初期キリスト教信仰について⑯
パウロのエルサレム行き
使徒言行録20章において、パウロの行動を説明する箇所において「わたしたち」という、執筆者があたかもパウロの同行者であるかのような記述が良く出てくるようになります。
この20章以下は、どちらかというと、パウロにおける「受難物語」の導入部分みたいなもので、パウロはエフェソの教会の人たちに対して、「”霊”」による導きによってエルサレムに上ることを伝えます。
パウロはここで、告別のことばをエフェソの教会の人たちに伝えたとされており、およそ使徒言行録と「エフェソの信徒への手紙」との関係性について、考えることができるのでないかと思います。
なお、「エフェソの信徒への手紙」は、今日的には「パウロの名による書簡」(『新約聖書V パウロの名による書簡 行動書簡 ヨハネの黙示録』、岩波書店より)として、パウロの自筆の手紙とは異なるものとして理解されています。
上記の「使徒言行録」の引用には「”霊”」と「聖霊」という言葉が出てきますが、これは聖書では「pneuma(霊)」と「pneuma(霊)to(前置詞) hagion(聖なる)」という違いで、永野個人としては「”霊”」は「旧約聖書の概念における霊(神の霊)」、「聖霊」は「キリスト教の信仰的概念における霊」というふうに理解しています。
つまり、使徒言行録20章22・23節は、この後パウロのエルサレムへ上る行為が、まさに福音書における「イエスのエルサレム入城」のように意識されているというところでないかと思います。そして、それが、まさに「聖霊の導きによるものだ」というのが、使徒言行録がパウロの口に言わせているのでないか、というところです。
そして、使徒言行録21章になって、パウロはエルサレムへとのぼっていくわけですが、このところで幾つか特徴的な情報を使徒言行録は記しています。
そのひとつが、使徒言行録6章1節以下、ステファノたちと同じ、使徒によって任命された「7人」のうちのひとりで、ステファノの次に名前が紹介されていた「フィリポ」について、「福音宣教者」という説明がしてある点です。また、彼には4人の未婚の娘がおり、この4人は預言をしていたことに触れています。
さらに、使徒言行録では、2回「アガボ」というユダヤの預言者についての言及がありますが、これは使徒言行録21章と11章と2回登場し、およそこれが同時期の出来事であることがわかります。
以前にも書きましたが、通常、「パウロの宣教旅行」は「3回」と数えられていますが、ひょっとすると、歴史的には「2回」だった可能性がある、というところです。
パウロのエルサレム入城
使徒言行録21章の記述によると、パウロは、地中海寄りの町カイサリア(使徒言行録では8・9章でも登場するが、10章のコルネリウスの洗礼で有名)の町を経由して、エルサレムに行きます。
そこで、パウロはヤコブ(主の兄弟、イエスの実の弟)のところに行き、そこで長老たちと面会すると同時に、自分の奉仕について説明するのでした。
ところが、使徒言行録の記述を見ると、およそパウロが「ガラテヤの信徒への手紙」で書いている内容とはことなります。特に、パウロが「テトス」という弟子の名前を上げていますが、たとえば使徒言行録15章の使徒会議のところに、バルナバは登場させていますが、「テトス」は全くふれていません。この「テトス」については、以下のところで触れていますので、そちらもご参照ください。
使徒言行録21章の記述によれば、使徒によるエルサレム教会は、①「幾万人ものユダヤ人が信者になり」、②「熱心に律法を守っている」という事にあらわれています。すなわちイエス・キリストを主として受け入れているけれども、なお、モーセの律法も同様に重要な教会の掟として守っている、ということです。
それに対して、パウロは、「異邦人の間にいる全ユダヤ人」に対して、「割礼を施すな」という教えを説いていたわけです。
つまり、使徒言行録が考えているのは、当時として「使徒たちによるエルサレム教会」(律法の遵守が必要)と「異邦人教会」(律法の遵守は不要)という、二つの相異なる信仰的理解について、それを発展的に解消させるために、使徒言行録は「異邦人の間にいる全ユダヤ人(つまり、異邦人でなく)」に対して、「(ユダヤ人なら)律法の遵守は必要である」というふうに、少し論点をずらして、異邦人教会で問題になっている「割礼の問題」を単に「離散のユダヤ人」の律法の問題であったとし、そしてパウロも主の兄弟ヤコブの提案に同意したかのように描いて見せているのです。(主の兄弟ヤコブの提案について、パウロの応答がどうであったかは一切触れておらず、そのまま提案に沿うかたちで神殿を詣でている)
パウロの逮捕
さて、使徒言行録の記述でいけば、パウロは主の兄弟ヤコブの提案に倣い、エルサレム神殿で清めの式を受け、その後、清めの期間が終わろうとした時、アジア州から来たユダヤ人たちが、神殿の境内でパウロを見つけ、パウロを捕えるのでした。
使徒言行録はここで、パウロの逮捕の理由を「①民と律法とこの場所(エルサレム神殿)を無視することを、至るところでだれにでも教えている」、「②ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」ということでした。
この使徒言行録が伝える「②ギリシア人」とは、おそらくパウロが「ガラテヤの信徒への手紙」で「テトス」と言っている人物であると考えられるのですが、使徒言行録では、「テトス」でなく、「エフェソ出身のトロフィモ」であると説明します。
この「トロフィモ(豊かな・栄養のあるの意)」は使徒言行録20章4節に、登場するパウロに同行した人物で、「アジア州(エフェソはアジア州の都市)出身のティキコとトロフィモ」で紹介されている人物です。
ところが、この「トロフィモ」と呼ばれる弟子は、使徒言行録の他には「テモテへの手紙2」に登場するだけで、パウロの直筆の手紙には一切、名前が出てこない人物です。
なぜ、使徒言行録が、「トロフィモ」というパウロの手紙に一切登場しない人物を登場させたのか。
もちろん、この問いの答えは書いてないのですが、個人的には「テトス」についての考察のところで示したように、おそらくは「パウロが、自身の手紙で紹介しているテトスを、トロフィモという名前で消したかった」ということでないかと推測する次第です。
そして、使徒言行録は、つまるところパウロが逮捕されたのは「①(無割礼の)ギリシャ人をエルサレム神殿の境内に連れ込んだ」という事と、②異邦人に対して「律法は不要」であるということが原因である、というところだと思います。
そして、使徒言行録は、そうした歴史的な事実を微妙に修正するかたちで、「①パウロが教えたのは異邦人教会において異邦人に割礼を施すのを禁じただけで、ユダヤ人が律法を遵守することは認めた」ということ、「②パウロはテトスを神殿の境内に連れ込んだ」というのではなく、「トロフィモであったのをアジア州から来たユダヤ人たちが見間違えた」というふうに、ある種、「歴史の改ざん(修正)」をしているという事になるかと思います。
パウロの弁明1
エルサレム神殿での逮捕後、使徒言行録21章では、パウロがユダヤ人たちを町に弁明する話が出てきます。また、パウロが「キリキア州タルソスの(ローマ)市民」であることをパウロの口から言わせていますが、パウロの直筆の書簡にはこのことは出てきません。
また、ここではパウロが「ヘブライ語で話した」とありますが、パウロが手紙の中で引用するのは「ヘブライ語の聖書」ではなく、ギリシャ語で書かれた『七十人訳聖書』であることが知られており、そのため、パウロが「ヘブライ語を話せたかどうか」については、確かな事は分かっていません。
しかし、使徒言行録21章がそのことを記したということは、それだけ「パウロをエルサレム教会と異邦人教会との懸け橋になった人物として、高く評価する」意味において、ギリシャ語だけでなくヘブライ語にも精通していた、ということを主張するものであるのかもしれません。
次回は、使徒言行録22章からみていきます。
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