初期キリスト教信仰について⑫
バルナバとの確執後、エルサレム教会のシラスに頼った宣教活動
使徒言行録15章において、パウロはバルナバとの信仰的な違いが決定的になり、バルナバではない別の人物、「シラス」と共にシリア州・キリキア州を回ったとあります。この「シラス」は前回触れたように、「①パウロの弟子であるシラス」である可能性と、「②エルサレム教会で指導的な立場にあるシラス」と二通りの可能性があり、比較的新しい写本では②の人物であるとされていました。『聖書 新共同訳』では、「②は後代の加筆」ということで、それを記した節は削除され「†」が付され注記として、巻末に記されています。
この場合、当然、パウロはエルサレム教会の指導者シラスの同伴者として、シリア州・キリキア州を回ったという話になります。
パウロ、痛恨の失敗
使徒言行録16章で、パウロはガラテヤ州のデルベやリストラ(上記聖書地図では、リステラと表記)に行き、ギリシャ人を父に持つユダヤ人女性の子どもで「テモテ」という人物を、自分の弟子にします。
この「テモテ」は代表的な「離散のユダヤ人家庭の子ども」であり、母方はユダヤ人の血筋ですが、父親はそうではなく、おそらくその土地で比較的裕福な家庭を持っていたのでないかと、考えられます。
そして、この「テモテ」は、リストラとイコニオン、すなわちガラテヤ州において、母親が属する教会(離散のユダヤ人のシナゴーグ)の人たちに良く知られた人物でした。
しかし、パウロは自身の宣教の上で、ガラテヤ州の人たちから、自分自身が(自称ではあるが)使徒であることを周囲に認めさせるための手段として、テモテに割礼を施し、ユダヤ人として帰依させた上で、自身の宣教に利用するようになったのです。
その意味で、パウロは、テモテのことを、自分自身が「使徒である」ということの、ある種、証拠として弟子とした可能性がチラホラ見え隠れしている、というところです。
しかも、パウロが自筆による手紙で名前を挙げている弟子で、新約聖書にもその手紙の受け取り手として名前が知られている「テトス」について、「使徒言行録」は「テトス」を知ったうえ(使徒言行録の成立はおよそ90年代なので)で、あえてパウロの弟子である「テトス」の名前について沈黙を保っているのです。
使徒言行録の後の方で出てきますが、パウロがエルサレムで逮捕され、そこで裁判のためにローマに護送されることになるのですが、その直接的な原因について、使徒言行録は、パウロがエルサレム神殿の境内に異邦人を連れ込んだという点について、実は「ユダヤ人の見間違いであった」というような情報操作を行っています。このテトスについては、この後で触れるとして、パウロとしてみれば「本当は、テモテに割礼を施す」ことは「やりたくなかった」ということです。
なぜなら、パウロが、この福音宣教の働きにおいて夢見ていたのは、「ユダヤ人や異邦人という区別なく、エルサレム神殿において神を礼拝する」ということを、パウロは夢見ていたからです。
つまりパウロは、エルサレム神殿に「異邦人」を連れて入り、他のユダヤ人たちと同じように神を礼拝することによって、まさにキリストの再臨の実現を考えていたのでないか、というところです。
そのためには、「ギリシャ語を話す異邦人で、かつ、割礼を受けていない信仰者(キリスト者)」の存在が必要であったのです。
使徒言行録の記述では、パウロは「ギリシャ語を話す異邦人で、かつ当時、ガラテヤ州で知られていた弟子のテモテ」を、そのまま自分の弟子として、エルサレム神殿に一緒に行き、神を礼拝することを実行したかったのだと思います。
しかし、使徒言行録15章における使徒教令の発布(使徒言行録の記述では割礼については沈黙している)により、また、バルナバとの決別の後、おそらくは初代エルサレム教会から、各地の教会に対して、そうした「異邦人の弟子に対して割礼を施すよう」要請が、使徒教令と共に出されたのでないかと個人的に推測します。
テトスとトロフィモ
さて、ここで少し「テトス」について説明します。新約聖書における文書の中で、「パウロの弟子」と見られる人物で、信仰的にいくつかに分けることができます。
以下の図は、使徒言行録の記述に基づき、信仰的な違いを図で示したものですが、イエスさまが生きていた時代、あるいはパウロが生きていた時代において、まだ「厳密な意味でのキリスト教」は存在せず、十二使徒のペトロや、あるいはバルナバといった初代エルサレム教会に関係する人たちは、基本的には「イエスをメシア/キリストと信じるけれども、ユダヤ教(律法)も信じている」というような具合でした。
そして、下図では「ユダヤ主義のキリスト教」と示していますが、表現としては、「キリスト主義のユダヤ教」と訂正します(古い資料なので、ちょっと元データが出てきませんでした)。
すなわち「初代エルサレム教会」とは、「キリスト教」というよりは「初期ユダヤ教と同様の信仰」であった、というところです。そして、「初期ユダヤ教と異なる」のが、「メシアについて」の信仰的理解であり、「初代エルサレム教会」の信仰は「イエスがメシアである」と信じていた点において、パウロが考えるキリスト教信仰よりも、限りなく「初期ユダヤ教」に近いものであったのです。
ところが、使徒ペトロによる「(未割礼の)異邦人に対する洗礼式」や、「アンティオキア教会における、異邦人に対する宣教と組織への受け入れ」などの事実により、初代エルサレム教会としては、「他地域の教会の信仰と初代エルサレム教会の信仰とのギャップ」について、本体である「初期ユダヤ教」との間で、対応を迫られるようになったと考えられるのです。
そうした「初代エルサレム教会の苦肉の策」が、「異邦人の会員に対する割礼のお願い」であり、それがアンティオキア教会の異邦人会員から苦情として問題にあがり、パウロやバルナバがアンティオキア教会の代表者となり、エルサレムの使徒たちと会議をしたのです。
しかし、使徒言行録では、この時、「割礼については何も決まらなかった」ように報告しているだけで、おそらくは「強制でないにせよ、異邦人に対する割礼のお願い」が、各地の異邦人会員に対してお願いされるようになったのでないかと思います。
そのため、バルナバは、初代エルサレム教会で代表的な母マリアの子であるヨハネ・マルコをアンティオキア教会に呼び寄せ、先にパウロと一緒に回った教会を訪ねて、「使徒教令」と「異邦人に対する割礼のお願い」をしたのでないかと思います。
当然、パウロはそれに反対し、バルナバと決別する形で、その後の宣教へと出ていくわけですが、だからと言って「初代エルサレム教会の意向」を無視するわけにもいかず、結局、パウロは弟子のテモテに対して割礼を施したうえで、福音を宣教するのですが、使徒言行録にはこの「テトス」という名前は出てきません。
そして、もうひとり「トロフィモ」(20:4,21:29、)という人物が使徒言行録に登場するのと同時に、「テモテへの手紙2」4章20節に出てきます。「トロフィモ」はアジア州のエフェソ出身の人物であり、おそらくは「異邦人の弟子」であったと考えられます。
この「テトス」と「トロフィモ」が、パウロが「エルサレム神殿」に上った時の同伴者であり、まさにパウロがエルサレム神殿で逮捕されるきっかけになった人物である、ということです。
パウロとしてみれば「テトス」「トロフィモ」、すなわち「ギリシャ語を話す、未割礼の異邦人」として、エルサレム神殿に共に詣でることが、ある種の目標でした。
それゆえに、パウロのエルサレム神殿における逮捕に関わる人物として「テトス」と「トロフィモ」は重要です。
ところが、「使徒言行録」に「トロフィモ」は登場しますが、「テトス」は登場しません。
逆に、新約聖書で「テトス」が登場するのは「テトスへの手紙」「テモテへの手紙2」を別にしては、「ガラテヤの信徒への手紙」「コリントの信徒への手紙2」と「パウロの直筆の手紙」にしか、その名前が登場しません。
つまり使徒言行録は「テトス」も「トロフィモ」をも知っているけれども、「トロフィモ」しか登場させず、「テトス」については沈黙したまま、パウロの逮捕は、「ユダヤ人のトロフィモの誤認によるもの」というふうにしているのです。
そして、パウロは弟子として「トロフィモ」の名前を自身の手紙の中では使っていません。ここら辺のところが、おそらく使徒言行録の隠された歴史みたいなもので、使徒言行録は、教会の正しい歴史として「テトス」の名前を「使いたくなかった」というところでしょう。そしてそれは、逆の言い方をすれば、「テトス」こそが、エルサレム神殿におけるパウロ逮捕の原因となった人物である、ということを間接的に示しているように思います。
上記の箇所では、いわゆる「初期ユダヤ教の人」たちがパウロを告発しているのではなく、むしろ、アジア州にある、初代エルサレム教会の指導を受け入れているキリスト主義ユダヤ教の教会の人たちであり、彼らは「イスラエルの人たち(エルサレムに住む、初期ユダヤ教)」の人たちに対して、「異端者であるパウロを逮捕する」ことに加担するようにお願いしていることから、ひょっとするとバルナバとの決別後、パウロは、ともすると「異端者」として各地の教会や、初代エルサレム教会から見られていた可能性がある、というところです。
パウロによるマケドニア州での宣教
使徒言行録16章11節以降、本文の主語が「わたしたち」になります。すなわち、「パウロの同伴者の視点」から以降の事柄が書かれている、ということです。
そこで、マケドニア州大一区の都市フィリピで、リディアという女性が信仰に入り、家族全員が洗礼を受けることになります。
ところが、別の日に、占いの霊に取りつかれている女奴隷に付きまとわれ、パウロはたまりかねて、この女奴隷から占いの霊を追い出してしまうのです。
それが、女奴隷の主人にバレ、そのためパウロとシラスは、捕らえられて牢屋へ入れられることになるのです。そして、色々あって、パウロはここで看守の命を守り、その結果、看守とその家族が信仰に入ることになるのでした。
使徒言行録16章11~40節にかけては、主としてマケドニア州フィリピにおけるパウロの信仰を継承する教会の設立という事に一番大きな意味があるかと思います。
加えて、16章11節以下では、パウロの同伴者としては「シラス」の名前が出てくるわりには、16章1節以下で出た「テモテ」の名前が出てこない点が興味深いところです。
次回は、使徒言行録17章からみていきます。
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