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【エッセイ】走れ!ジンジャーブレッドマン
私が生まれて初めてパブに行ったのは、多分九歳か十歳頃で、もちろん、保護者である親が一緒だった。
英国が一番美しい夏の季節で、海沿いの小さな村を訪れた時だった。ちょっとした公園のようなガーデンがあって、綺麗な芝生の上を子どもたちが駆け回っていた。
パラソルのついた庭のテーブルで、大人達はビールを、私はオレンジジュースと、外の店で買ってもらったお菓子を食べた。
こんがり良い色に焼けた、人形型のビスケットはたいそう可愛らしく、いかにも外国のお菓子と言った感じで、私はわくわくしながら口に入れた。けれど一口で吐き出しそうになった。強烈に甘い生地のくせに、その合間にピリピリ辛いものが舌を刺激する。
ジンジャーブレッド、と言うのだよ、と教えてもらった。ジンジャーが生姜だということも。
日本で時々食べた、生姜せんべいとは随分ちがうのだなと思った。口に入れたぶんはなんとか飲み込んで、けれど残りは食べる気になれず、そっと包み直して鞄に入れた。
私には理想のパブの形が二つある。
一つは、オールド•オークとかホワイト•ライオンとか、よくある伝統的な名前がついていて、チェーンではない、自宅から歩いて十五分以内にあれば尚いい。仕事帰りや夕食後に、ふらっと出掛けると、馴染みのオーナーやバーメイドが迎えてくれて、特に約束はしていなくても、顔見知りの誰かしらが来ていて、話し相手には不自由しない。メインはビールか、冬場は赤ワイン。ちょっと目先を変えてブラディメアリーやジントニック。珍しかったり高価だったりするものは何もない。でもジンなら、青いボトルが綺麗なボンベイ•サファイヤがいい。
それを一杯か二杯、時には他愛もないおしゃべりをしながら、時には一人の世界に入り込んで無言のまま、サラリと飲んで、閉店前には家に帰る。
そんなソープドラマに出て来るような行きつけの店が欲しい。
そんな私の理想に、独身の頃に働いていた会社の、裏にあったパブが、一番近い。
仕事の後、少なくとも週三回は顔を出していたから、女主人ともバーメイド達とも仲良くしていた。
仕事上がりで乾き切った喉に、ビールを流し込む。更に注ぎ込む。空きっ腹にこんなことをしているから、三日に一度はベロンベロンになった。
あの頃、私はまだ自分がお酒に決して強くないこと、むしろ弱い部類に入ることを知らなかった。いや、薄々気づいていたけれど、ビールをゴクゴク飲み干す快感には逆らえなかったし、たくさん飲めることがカッコいいように思い込んでいた。
お酒絡みの失敗や失言が一番多かったのも、この頃だと思う。
それでも不思議に、どんなに酔っ払っても、バスと地下鉄を乗り継いで、ちゃんと家に帰り着いていた。
翌日は早くに目を覚まして、熱ーいお風呂に浸かる。朝ご飯とコーヒーを途中で買って出勤する。そんな朝は意識的に、体を使う仕事ばかりを選んで、せっせと汗を流すので、昼頃にはもう、パスタだの芋だの、お腹にずっしり来るランチを食べ、就業時間近くになると、もう上がった後のビールが楽しみでそわそわした。
その頃はパブと言えば飲むことがメインだったが、最近では食べることも同じくらい重要度を占めて来ている。
日曜日のロースト•ディナー、これはビーフかチキンかラムかポーク。
定番のフィッシュ&チップス、又は魚の代わりにすり潰した小エビを揚げたスキャンピ。肉か魚か野菜がぎっしり詰まったパイ、マッシュポテト添え。この辺が定番だけど、この頃のちょっと気の利いたパブなら、イカリングのポン酢ソース添えとか、キノコのアヒージョ、ロースト•アーティチョークだの、小洒落た前菜が置いてある。
食事が出来るパブは、値段も手頃だし、子連れでも気を使わない雰囲気と広さがあるからいい。
それから飲みに、というよりも、ショッピングの途中で、喉を潤して休憩する為にもよく利用するようになった。こういう時は、大手のチェーンがいい。どこにでもあるし、ランチタイムを外せば空いているし、広々して小綺麗だ。それにお酒じゃなくてもこの頃では、コーヒー紅茶はもちろん、カプチーノやラテくらいなら揃えてある。
窓際の席で、半パイントの冷えたビールで乾いた喉を潤して、紙袋に入った戦利品を今すぐにでも確かめたいのは我慢して、さて次はどこの店を攻めようか、ヴィネガー味のポテトチップスでもつまみながら戦略を立てる。
食事を出すパブと言えば、ロンドンでよく見るのがタイ料理を出すパブだ。不思議なのが、タイ料理とパブのコンビは多くても、中華とかインドネシアとかは聞かない。
小綺麗なチェーン店ではなく、見るところ五、六十代のお腹の出た、赤ら顔のおじさんが、二、三十年やっている、典型的なイギリスの酒場。
「あのお姉さん達の誰かが、オーナーの奥さんなのかなあ?」
私たちはパッタイやグリーンカレーをパクつきながら、ちらちらバーの奥の厨房を盗み見て、ゲスな想像を展開させる。
「タイ旅行で見初めて連れて帰って来ちゃったって?」
「そう、それで女房にした女を働かせているわけよ」
「で、無事にビザが取れた暁には、そんなシケた亭主は打ち捨てて、若い好青年と手と手を取って出てっちゃうのさ」
私はタイに行ったことがないので、本格的かは分からないけれど、食べやすくて、ついついビールが進む上に、値段も手頃なパブのタイ料理が好きなので、私の下品な想像が当たっていないといい、と思う。
もう一つの理想のパブは、田舎のパブだ。田舎にあればどれでもいい訳じゃない。一見こじんまりとしているけれど、中に入ったらびっくりするくらい広くて、暖炉で火が赤々と燃えている。その前では大きな犬がゴロゴロ寛いでいる。その犬はパブに住んでいるとは限らない。緑の長靴と袖無しダウンジャケットを着た近所のお客さんのお供だ。よく来るのですっかり勝手知った顔をしている。
本日のおススメメニューにはフィッシュパイがあって、日曜日のローストの日には、洗面器ぐらいの大きさのお皿にドドーンと厚身のビーフ、たっぷりのグレービーソース、茹でた野菜の付け合わせ、シュー皮みたいなヨークシャー•プディングを、黒ビールかエールで流し込んだら、もうお腹ははち切れそうだ。でも辺りを見回せば、赤ら顔のおじさんやお腹の出たおばさんが幸せそうに、ルバーブのカスタード添えやアップル•クランブル、トライフルを平らげている。
昔、理想のカントリーパブとはかけ離れた酒場で働いたことがある。
そこは多分、私が観光客なら絶対入らない。中を覗き込んで、すぐ間違えましたって扉を閉めるだろう。元は薬局だったという、マッチ箱みたいに小さな店には、常に地元の常連客がたむろしている。海沿いの小さな町のはしっこにあって、背の高い痩せたお爺さんが、一人で切り盛りしていた。縁が会ってその町をちょくちょく訪れていた私に、時々店番をさせて、汽車賃を稼がせてくれた。
ヨーロッパ人ならともかく、毛色の違う東洋人などはちょっと珍しいような田舎だった。お客は毎日通って来ている常連ばかりで、一見さんにはちょっと入りづらい店だけど、意地悪い人なんかはほとんどいなくて、親切にしてもらった。
何もかも旧式で、電話はダイアル式、レジスターは足し算も引き算も出来ない、いちいち売り上げを暗算して、音を立てて一個ずつ数字を打ち込んだ。
オーナーのお爺さんは、ビール樽の交換のような力仕事は、決して私にはさせなかった。女性にそんなことさせられないと、ヨロヨロしながら自分でするか、常連客にさせた。
バイト代は安いけれど、私はあんなに楽チンで、奢ってもらったビールを飲んだり、タバコを吹かしたりしながら出来る仕事は他に知らない。
私はこのパブで新世紀を迎えた。正確に言うと、店の向かいの海岸で。精一杯のおめかしをして、シャンペンのグラスを片手に打ち上げ花火を見物した。
私はまだ二十そこそこで、結婚もしていなかったし、勿論子供達もいなかった。近い将来、自分が何になりたいか、何をしたいのかもよく分からなかった。シャンペンが本当に好きなのかも分からなかった。
自分も世の中も分からないことだらけの私は、まるでぐるぐる同じところを回る、目の見えない鼠のようだった。
でも、不安な反面、根拠のない期待や希望もいっぱいあって、それはそれは滑稽で、でも面白おかしい日々でもあった。