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食の人の食《前編》Mel Coffee Roasters マサさん

私の友人は、本能に振り回されているタイプばかりです。
恋人がいるのに好きな人ができてしまい、なんとか3人で理想的な関係を築こうと正直に想いのたけを打ち明け、両者から激怒されたりするような。愛すべき馬鹿野郎たちです。

それとは反対に。クレバーで飄々として、つかみどころのない印象だった『メル コーヒー ロースターズ』のマサさん。話しやすいけれど、とっつきにくい人なのではないかと。出会ったばかりのころは、身がまえていた気がします。
しかし顔を合わせる回数が増え関係が深まっていくにつれ、相変わらずの飄々とした語り口のままに、聞き流せないエピソードを次から次へと溢れさせておられました。

マサさんについて興味が高まっていた、そんな折。今回の企画を思いつきました。
専門職に造詣の深いプロのライターが、その道のプロに話を聞き記事にする。これが、もっとも一般的なインタビューの形式かと思います。広く読者に向けて発信するには、有効な方法ですね。
それならば、その道のプロ同士でインタビューをする記事が、あってもいいんじゃないかと思ったわけです。ミュージシャンにミュージシャンが、音楽について尋ねるように。飲食に携わっているものが飲食に携わっているものへ、食事についてインタビューする企画です。文章が拙かったり、ところどころ破綻していたりするのも、むしろ可愛げがあるはずです。インチキおじさんの愛敬です。
そのインタビュー相手として、まっ先に思い浮かんだのがマサさんでした。

私とマサさんとの出会いは、雑居ビルで『シュクレクール四ツ橋出張所』をやっていた4年前のことです。
パン屋とわかる看板を設置せず、まっ暗な階段を下りていった、地下の一室という。まるでお客さんの勇気を試すようなお店へ、マサさんの愛妻リエさんが、パンを買いに来てくれていたのがはじまりでした。
それからしばらく経って、私が仕事の合間に街をふらついていると。とてもいい予感がするコーヒー屋を発見しました。近所に新しくできたお店にわくわくしながら近づいてみると、もくもく焙煎されている煙の中からぼわっと、リエさんとマサさんが現れたのです。
ちょっと嬉しくなってしまい、興味本位で飲んでみたコーヒーが、とても個性的で尖っているのに寄り添ってくる味わいで。気がつけば1日に2,3杯飲むのが当たり前となり、現在では、シュクレクールのコーヒーをプロデュースしてもらうまでの間柄になっています。

ものすごくゆるい物腰なので、つい忘れそうになるのですが。コーヒーのこととなれば、0.1単位の数値で科学的なアプローチをされ、『ジャパン ロースティング チャンピオンシップ』で活躍されていたりします。世界のコーヒーショップを紹介するサイトでトップ3に入っておられたりもします。とにかく、コーヒーを介して、地元の人たちからも海外のゲストたちからも、幅広くたくさんの人に愛されているお店なのです。

そんなわけでお店に伺い、さっそくインタビューの依頼をしたところ「なんでも、いいっすよー」と、いつもの調子で返事がかえってきました。本当にいいと思っているのか、まったく興味がないのか判別がつかない快諾です。ではでは。はじめましょう。

You are what you eat!

――今回は食事をテーマにお話を聞かせてください

マサさん「はい。全然いいっすよ」

――こちらとしても初めての試みなので。知らない人に迷惑かけちゃうより、身近な人だったら場合によってはなかったことにもできるし、ちょうどいいんじゃないかと思ったんです

マサさん「あぁ、はいはい。なんでも。どうぞどうぞ」

――では、まずは。実家で生活されていたところから聞いてみたいです。どんな食生活で育ったのですか

マサさん「子どものころですよね。そうですね。4人兄弟で家族が多かったのもあって、外で食事をした記憶がほとんどないですね。レトルトとか冷凍食品とか、そういうのも高校くらいまで食べたことなかったんですよ。ほとんど母親の手料理でしたね。韓国料理を日本風に味付けにしたものが多かったと思います。チャプチェにしょう油や砂糖を加えて、甘く味付けしたものとかですね」

――これが特に好きだったみたいな、好物ってありましたか?

マサさん「ぱっと思いつくのは、家族のなかだけで”サムゲタン子供バージョン”って呼んでたやつですかね。丸鶏を一日かけて煮込んだものを、こまかく切ってあって。一緒に煮込まれたお米が、お粥みたいにトロトロになるんですよ。味付けは塩だけでしたね」

――韓国料理の味覚構成ってもっと、うま味にうま味を重ねるような。強い印象のものが多いですよね

マサさん「たしかにそっち系もたくさんありますね。でも僕はどちらかというと、素材を生かした味付けの方が好みでした」

――なんかわかります。ぽいですね。そこから社会人になって、さらにはバックパッカー的に海外を放浪されてたんですよね

マサさん「そうです。自動車関係の仕事を5年くらいやってました。朝から夜遅くまで働いて、睡眠は3時間みたいな。あまりにも余裕がない生活を送っていましたね。でも年に1回、社員旅行としてハワイに行かせてもらってたんですよ。それがきっかけで海外にはまっちゃって。だってエレベーターとかに乗り合わせただけで、何気なく声を掛け合うんすよ。そのフランクさというか、自由な感じが、日本でのキツい生活との落差もあって。海外めっちゃええやんってなりましたね」

――現実からの脱出みたいな部分もあったのですね。私も疲れてくると、頭のなかでよく沖縄へ行ってます。では、実際に何カ国くらい旅されたのですか?

マサさん「まずはオーストラリアへ3カ月ほど語学留学するところからスタートして。南米、中米、北米、ヨーロッパ、中東、アフリカ、アジアと一周してから。またオーストラリアに戻ったんですよ。それぞれ10日ずつくらいで、28カ国に行きましたね」

――行ってますね。世界をぐるりと。しかも、その途中で無職のまま結婚もしてますよね

マサさん「そうですそうです」

――さらっと答えますね。旅のあいだは食べ歩きなどもしてたんですか

マサさん「当時は食べることへの興味は、まったくなかったんですよ。食事は生きるために摂らなきゃって感じでしたね。本当にそれだけでした。世界遺産とかも興味なくて、観光もしてないんですよ」

――なんだかワイルドな旅の雰囲気ですね

マサさん「基本的に野宿してましたからね。風呂も水さえ出れば、どこでもオーケーみたいな。トイレも紙とか使ってなくて、手と水でやってましたしね。これは日本に帰国しても半年くらいやってましたよ。それが当たり前みたいになってて。紙を使うのがむしろ不自然に感じてました」

――え、なんで日本でも継続してたんですか。むしろ難しい気がしますよ。では、そんな旅の道中では、主に何を食べていましたか?

マサさん「えっと、なに食べてたやろ……(しばらく考え込む)。あ!サンドイッチですね。めちゃくちゃ食べてました。自分で作って毎日食べてました」

――当時から料理はされてたんですか?

マサさん「まったくですね。バックパッカーって、背負うバックの中身を旅に慣れるほど、どんどん絞り込んでいくんですよ。スタートするときは25㎏だったのが、これはなくていける、これもなくていける、みたいにわかってくるので。途中からは5㎏くらいまで減らしていったんですよ。そのなかに入れていたナイフ1本だけを使って、公園とかでサンドイッチを作ってましたね」

――マジでサバイブしてますね。どんなサンドイッチだったんですか?

マサさん「スーパーで買ってきた安くて長い5ドルくらいのパンに、キュウリとトマトにマヨネーズでした」

――この上なくシンプルですね。キュウリとかトマトって、1回のサンドイッチだけじゃ使いきれないですよね?

マサさん「そうです、そうです。だから常温でリュックに、キュウリとトマトを入れて持ち歩いてましたね。ずっと入ってましたよ。とにかく食費を節約しながら、生きるために食べる感じでだったので、気にならなかったですね。選択の余地がなかったんですよ。それにキュウリとトマトは、世界中どこにでもありましたから」

――食べかけのキュウリとトマトをリュックに背負って旅するって、なんだか強烈なインパクトですよ。旅といえば、その国で出会った家族と食卓を囲んだり、友人の家に招かれたりとか、そのような機会はありませんでしたか?

マサさん「何度かありました。当時はSNSとかもまだなくて、カウチサーフィンっていう、家のリビングに泊まらせてもらうようなネットの掲示板があったんですよ。そこを利用したときですかね」

――お、気になりますね。お互いに手料理をふるまいあったりとかするんですか?

マサさん「そうですそうです。そんな機会もありましたね。当時、僕が作れたのが、リュックに入れていたナイフを使って、キュウリとトマトを……」

――いったんキュウリとトマトは忘れましょうか。世界をぐるりと旅されたなかで、これが一番美味しかったと印象に残ってる食べ物はありますか?

マサさん「エチオピアのインジェラですね」

――えええええ!即答で、あの悪名高きインジェラですか。私はアフリカの食に詳しいわけではありませんが。それでもネガティブな噂はよく耳にしますよ。雑巾みたいな香りだとか、酸味だとか。

マサさん「間違いなく、一番でしたね。本当に美味しかったです。インジェラって、テフという穀物をつぶして、水と混ぜて発酵させている生地なんですけど。そこにヤギ肉のローストやジャガイモとか、自分が好きな具材をのせて食べるんですよ。酸味のある生地とのバランスが、すごく美味しかったです。確かに言われてみると、何ものせないで食べたら雑巾みたいな要素もあるような気もします。でも油脂分とかと一緒なら、印象が変わると思いますよ。日本に帰ってからも、また食べてみたくなって探したくらい好きっすね」

――そこまで言われると、少しだけ気になってきました。では逆に、これは食べるのに苦戦したなって食べ物はありますか?

マサさん「比較的に何でも美味しく食べられるタイプなんですけど。ネパールのダルはきつかたですね。水で豆を煮て、そこへスパイスを足してるんだと思うんですが。たぶん水が合わなかったんでしょうね。唯一、お腹を壊しました。でも50円くらいで安かったですし、ほかに選択肢もなかったんで。ずっと食べてました。ダルですね」

――(しばしダルの画像を検索中)

マサさん「あ!そういえば。自炊で思い出したんですが、自分で”マグマ”って名前を付けた料理も作ってましたよ。トマトペーストの缶を買ってきて、米を入れて、缶ごと火であぶって完成です。ボコボコ煮立っている様子が、マグマみたいだったんですよ。トマト缶が1ドルで買えたんです」

――そんなハッと思い出すから、何だろうかと期待してしまいました。ちょっと共感はできないですが、節約しながら、生きるために食べておられたことは、よく伝わってきましたよ。では、どこから食に興味を持つようになったのですか?

マサさん「2度目のオーストラリアで、メルボルンに住むようになってからです。メルボルンの文化にはまっちゃったんですよ。ちょうど無職のまま結婚したときで。何かしないとやばいなっていうのは、もちろんあったんです。でも、世界を一周しても、自分に残ってるものって何もないように感じていた部分もあって。でも何か目的は必要だし。みたいな感じで、ゲストハウスでもやれたらと思っていたんです。それでメルボルンの学校に通いながら、アルバイトをかけ持ちしてました」

――そのころはどんな食生活でしたか?

マサさん「サブウェイによく行ってましたね。そこで、キュウリとかトマトが入ったサンドイッチを食べてましたね」

――また!サンドイッチ

コーヒーについて、マサさんの口から一言も聞けないまま。
キュウリとトマトのサンドイッチが食べたくなったような、別にならないような。そんな気持ちで。
≪後編に続く≫

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