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サッカー日本代表と兵法──森保ジャパンの戦いは「聖徳太子戦法」!?

昨年は寅年だった。徳川家康は寅年の寅の日、寅の刻に生まれたというが、これは聖徳太子にちなんだ話である。

以下、拙作『大樹の心』第一章より引用──。

竹千代は寅年、寅の日、寅の刻に生まれた子でもあった。
これは聖徳太子の伝説に関わる話だ。千年近く前の大昔、聖徳太子は戦勝祈願のため大和国のある山を訪れた。すると武神が現われ、戦勝の秘法を授けたという。これが寅の年、寅の日、寅の刻であった。
この有難い山は信貴山と名づけられた。聖徳太子は、若い頃には世が乱れ、争いが多かったが、「和を以て尊しとなす」という大方針を打ち立てて、見事に国を治めた。この寅の吉日に生まれた者は、ただ寅のように強い男子という意味を超え、もっと崇高な役割を負っているのだ。
                                                                                        ──引用、以上。

聖徳太子というと、古い時代の遠い人物のように思える。しかし、家康は間違いなく聖徳太子を意識していただろう。

そして、何と現代においても、この聖徳太子の心で戦う人々がいる──と感じる出来事があった。それは昨年、寅の年に、世界の舞台で明らかにされた。

去年、サッカーのW杯をご覧になった人は多いだろう。森保ジャパンの戦いに感動した人もいたはずだ。強豪のドイツ、スペインに勝ち、W杯で9位という高評価を受けた日本。この世界を恐れさせ、惑わせた日本の戦いを、私は「聖徳太子戦法」と呼びたい。

森保ジャパンのサッカーの何が「聖徳太子戦法」なのか。
その特長の一つは、監督をトップにしつつも、スタッフや選手達が軍議に参加する「多人数体制」であったということ。
聖徳太子は一度に十人以上の話が聴けた、という逸話が有名だ。しかし、これは何も頭や耳が特殊で、超分散型の脳の持ち主であった、ということではないと思う。

たとえ十名以上の人が、各々異なる意見をもっていても、それらをすべて聴き取り、うまく融合させる。全体のバランスをとり、皆に配慮し、敬意をもって決定を下した。こういうことだと思う。結果として、皆の納得が得られ、和が保たれたのではないだろうか。

森保ジャパンはまさに、こういうやり方でチームを強化し、まとめたと考えられる。
日本代表の選手たちは口々にこう言う。「森保監督は選手をリスペクトしてくれる」。
近年、日本の選手たちはドイツやスペインなどで日々、リーグ戦などを戦い、現地の外国人選手を熟知している。その知恵やパワー、体感を活かさない手はない。

もし、監督が一方的に戦術を押しつけ、選手に上から命令していたら、おそらく反発を招いたことだろう。とはいえ、一部の選手の意見を取り入れ、戦い方を決めていたら、これもまた問題が起きたと考えられる。自分の意見が通った人と、排除された人との間で、チームが分裂する危険があるのだ。

このため、どれほど個性的でパワフルな選手が揃っていても、皆の意見を聴く必要がある。これは容易なことではない。森保監督のことを「無策だ」などと批判する人がいた。「選手任せで戦略がない」といった人もいる。しかし、その実体は、皆に敬意を払い、知恵を集めた「聖徳太子戦法」なのだと思う。

森保ジャパンの兵法──あれは剣術でいえば、「無形(むぎょう)の位」だ。
固定的な型や構えを予め決めておかず、対戦相手によって動きを変える。戦い方を変える。これが今の日本代表の特長といえるだろう。

スペインなどは、世界がうらやむほど戦い方が確立された国で、陣形なども皆が深く理解し、各選手の身体にしみついている。しかし、戦い方が確立されたスペインだからこそ、森保ジャパンにはそれを打ち破るチャンスがあった。

日本は逆に、謎に包まれた存在で、相手は少々研究してもその戦法が読めない。いざ試合が始まっても、前半、日本は敵の攻めを何とか防ごうと対応するだけで、勝つための戦術が特に見えない……。

ドイツやスペインは、自分達が優位に試合を進めており、得点も決めたため、このまま後半も戦えばよいと思い込んでしまった。ここに罠があった。後半、森保ジャパンは豹変し、選手も変えて攻めに転じたのだ。驚き、慌てた敵から2点を奪って、逆転勝利した。

あの戦いは、まるで柳生新陰流のような「待(たい)の兵法」だった。まず、相手に攻めさせて敵の特徴を確認。「待ち」ながら状況を見極めた上で、突然、攻めに転じる。敵が驚き、本来の実力を発揮できないうちに勝負を決める。

この兵法ならば、相手がいくら強くても、技術的に優れていても勝てる。端(はた)から観ている人達は、いくら日本が意外な攻撃をしても、ドイツやスペインの一流選手なら対応できるだろう、と言うかもしれない。しかし、実際に体感してみなければ、この「待(たい)の兵法」の恐ろしさは分からない。

それは剣術でも同じだ。自分が勝つと思った瞬間、その場のイメージと立場が全く変わって、負けるのだ。驚くと、本当に身体が動かなくなる。頭も働かなくなる。
ヨーロッパの人々は森保監督が試合中にメモをとるノートのことを「デス・ノート」と呼んだ。それほど怖かったのである。

日本は、勝ち越してからの最後の守り切り方も落ち着いていた。これも前半に、相手をよく見ていたおかげだ。ディフェンスにはある程度、手応えを得ており、守り方を理解していたので、日本側は終始、勝利への確信をもって戦い抜くことができた。

森保ジャパンは「聖徳太子戦法」で入念な準備を行ない、自分達は「無形の位」で相手には的をしぼった準備をさせず。
ピッチ上では「待(たい)の兵法」と表裏変転の「転(まろばし)」で敵を惑わし、勝ちを得た。そのベースには、選手と監督が互いにリスペクトし、尊重し合う「和」の心があった。

加えて「聖徳太子戦法」「無形の位」に欠かせないのは、個々の選手の適応力、対応力と柔軟性だ。相手によって戦い方を変えるためには「次戦はこれでいくぞ」と言われたとき、即、対応できるだけの柔軟な頭と心、身体が必要になる。多数の意見を和して決定された戦術を理解する力と度量も要る。

チームプレーではないと思われる剣術でも、実は同じことがいえる。もし、兵法の理を頭で理解したとしても、心と身体が固く、自由でなければ、実際に術を表現することはできない。
だから、日頃から身体をほぐしておくことが大切なのだ。
そしてもちろん、心の修行も必要となる。

決まった型だけを反復し、鋳型にはめたような堅い身体になっていては、「無形の位」には近づけない。頭がよく、柔軟性があり、心が寛く、才能豊か──そんな選手が揃ったサッカーチームのような身体になる。これを目標とすればよいだろうと思う。

今後、世界の様々なサッカーチームが日本の真似をしようと試みるだろう。しかし、にわかには難しいと思われる。なぜなら、「聖徳太子戦法」には「徳」が必要だからだ。日頃の言動や心がけ、生き様が関わってくるからだ。日本人でも、簡単にできることではないと思う。

単に十人、二十人から意見を聴けば、聖徳太子になれるわけではない。千人、万人からデータを集めても、徳は得られない。それらの意見や情報を受けて、何を感じるのか。その背景を慮り、どれだけ寛い心と深い敬意、鋭い戦術眼をもって意思決定ができるのか。
これが問われるのだと思う。

しかし、日本式の「和の戦法」が世界に大きく示されたのは、喜ばしいことだ。まだまだ森保ジャパンは謎だとか、明確な戦術が見えないなど、批判を浴びることもあるだろう。試合に負けることもあるかもしれない。ただ、チームや選手達は確実に成長を続けており、その狙いや戦略も、分かる人には分かると思う。

徳川家康も、非常に多くの人の意見を聴き、広い諸国の情勢をつかんだ上で、大事な意思決定を行なっていたと想像できる。
だからこそ、乱世を生きた猛将たちがおおむね納得し、徳川に従ったのだろうと思う。

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多田容子
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