なぜ勉強するのか
「どうして勉強するか、考えたことあるか?」
学年集会だったか、テルオが高校生の私たちに投げかけた。テルオは、英語の先生だ。手書きのオリジナルプリントが有名な白髪混じりの髭先生だった。怒ると怖いが人気があった。
十分に間をとって、テルオは続けた。
「優しくなるためだよ」
本当に強い人は、優しいんだ。テルオはずっと先の未来をみていた。
一応、進学校だ。目指すは早慶、MARCH。そんな意識は高校1年生の頃からあった。
センター入試のため、成績のため、いい大学に入るため…
部活と勉強しかしてない高校生だった私たちは、まさに「井の中の蛙、大海を知らず」だった。
「優しくなるため」
勉強したら、知らない世界を知ることができる。遠い国の出来事が自分ごとになる。知らない立場の人の気持ちを考えることになる。
それはつまり、思いやりなんだよ、とテルオは続けた。
妙に納得した。
出逢って良かった言葉だった。
今になって、テルオの教えはすごかったなぁ、と感心する。
高校受験、大学受験、就活、その他資格試験・・・なぜか日本では同じ歳であるから、同じ条件であるからといって、足並みそろえて同じように突破しなくてはいけないハードルがある。(・・・って思っているだけなんだけれども。)
そしてなぜか、ど真ん中を無駄なく、合理的に、歩いていくことが正当な道で、理想で、その脇を多くの人が真ん中を通りたいなぁと思いながらも歩いてる。
ボーリングでいえば、毎回ストライク。
そのための「勉強」
そのための「努力」
勝負には勝つかもしれない。
でも、違うんだよね。
ど真ん中のどストレートに「優しさ」や「幸せ」があるのか。
毎回ガーターだったら、「負け」なのだろうか。
そんなことないんだよね。
母親になってから、特に願う。子ども達に見せたいのはカラフルな世界だ。
色とりどりの思いやりにあふれた景色を見てほしい。
願いの根底にあるのは、
「正しく真ん中を生きてほしい」よりも
「寄り道しても、優しく生きてほしい」
私は、テルオの言葉をそのまま借り続けると思う。
「なぜ勉強するの?」って聞かれたら、
「優しくなるためだよ」って答えると思う。
私もまだまだ、道半ば。
強く優しく生きるために、「勉強」を続けていこう。
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