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ワンオペ育児の後、なぜ笑顔で出迎えられないのか考えてみた


先日、ある問題提起があった。ここ数年の歪みであったことは間違いない。


週末、夫が仕事や雪寄せや趣味で出かけて一日中いないとき、私はとても疲れた顔をしているということ。皿は洗ってない、洗濯物も畳んでない、おもちゃはぐちゃぐちゃ。それでも、妥協だらけで、YouTubeやらU-Nextやらで、子どもたちはひとりずつ違うものを見ている。2歳児は常に抱っこかおんぶか、だ。

私が、出かけるときは、夫は笑顔で行っておいで、と言ってくれるし、ゆっくりしておいで、と言う。家も掃除しておくし、帰ったら風呂に入れるようになっている。何事もなかったかのような顔をして出迎えてくれる。


昨日だってそうだ。今年初めてだという趣味のジャズ喫茶に嬉々として出かけて行った。楽しんでおいで、って言えただけちょっとマシだった。だけど、帰ってきたときには、私はやっぱりぐったりしていた。なんなんだ、この違いは。私の了見の狭さが露呈している。笑顔で出迎えてほしいというニーズに、応えられない。



思いっきり言い訳をしよう。家事は苦手なんだ。大掃除や断捨離は好きだけど、こまめに片付けるのは苦手なんだ。ご飯は作るけど、足にしがみつかれたままじゃ、気が乱れて変なものを作ってしまう。子どもと遊ぶのが苦手なんだ。子どもの頃どうやって遊んだのか記憶がない。妹や弟を面倒見ていた記憶はあるけれど。幼馴染といつも外にいた気がする。外は雪だ。家でおままごとに付き合う演技力はない、棒読みだ。できれば勝手に遊んでいただきたい。


本当はYouTubeをずっと見ていたい6歳の長女が気を使って、私の『目を休めるべき』に付き合ってくれる。ある程度、積み木で創作物をつくったら、また小さな画面に戻っていく。4歳児は、とにかくトムとジェリーだ。寝ても覚めてもトムとジェリー。行動までアホっぽくなってきた。半日見続けた後に、「まだ全然見てない」という。認知の歪みだ。そろそろ頭がおかしくなったかもしれない。2歳児は、「そといきたい」「じーじーかきたい(絵を描きたい)」「アンパンマンみたい」「ノンタンみたい」「やぁーだー」「ヨーグルトのいちごー!」食べているとき以外、私は常に言いなりだ。


早くお昼を食べてくれ、早く日が暮れてくれ、早く夕飯食べてお風呂の時間にしよう、早く今日が終わってくれ、早く、早く、早く・・・!



夫が家にいるとき、子どもたちは勝手に遊ぶ。義母も来る。あぁ、私なんていないほうがこの家はうまく回るのかもしれない。趣味があって、行きたいところがあって、出ていく夫が羨ましい。私、行きたいところがどこなのかわからない。



閉塞感。子ども3人に手足をつかまれ身動きが取れなくなっている。



学びなんてものは、こういうネガティブな感情が付きまとうときは役に立たない。



だけど、出てきた。行先も決めず、音楽もかけず、ひたすら運転した。昨日耐えたから、今日は出てきた。とても消極的な理由だけれど、なにかしたくて出かけたわけじゃないけれど、ひとりになりたかった。


コーヒーチェーン店に来た。本当は、行きつけの老舗の喫茶店が欲しいよ。東京で、そんなお店があったことを懐かしく思う。



いろんな方向に思考がめぐる。


子どものこと。土日、習い事もなしにずーっと家にいて、かわいそう。ひとりで3人連れて出かけるのは疲れるし、連れていきたい場所もない。こんな生活でやりたいことや熱中することが見つかるんだろうか。私が子どもの頃は幼馴染がたくさん周りにいた。でも、この子たちは数少ない近所の子たちと遊びたいと言わない。保育所の友達以外の世界がない。とても狭い世界にいる。ないものに目が行く。


自分のこと。いま好きなこと。通勤中にアカデミアの録画を聞くこと。書くこと。スーパーでぼーっと買い物すること。あぁ、私何が好きだったんだっけ。

書いて、浄化する。書いて、浄化する。その繰り返し。ちょっと毒だし。

私って何になりたかったんだっけ。

幼稚園の時、みんながそう言ってるから、「セーラームーンになりたい」って言った。遠足でバスガイドさんが良い感じだったから「バスガイドになりたい」って絵を描いた。父がオリンピックで女子バレーを応援していたから、「バレーボールの選手になりたい」って言った。


小学校の卒業文集で、「社会の役に立つ人」って書いた。完全に母が言っていたことだった。自分なりにそれが「模範解答」だって考えたんだと思う。けど、それは大人の望む自分の姿だった。


中学校で、「通訳ガイド」という職業を見つけた。英語は少し好きだった。けど、前置詞とか大嫌いで、atでもonでもinでもいいじゃんって思っていた。


そんな私はフランスに出会った。高1の夏に1ヶ月間、母の友人の家にお世話になった。自分の英語は全然通じなかった。フランス語が必要だった。帰ってきたら、フランス人がうちの高校に留学に来ていた。そしてロータリークラブを知った。運命だと思った。そこから高校3年生で留学、大学入学、卒業、そして結婚までは縁のつなぐまま、導かれるように生きてきた。人とはちょっと違う選択ばかりしてきたけど、そんな自分も好きだった。

就活では、キャリアウーマンよりもお母さんになりたいと思っていたので、うまくいかなかった。うまくいかなくてもいいと思っていた。


通訳ガイドやバスガイドにならなくても、海外の友達を家に呼んで日本に触れてもらうのが好きだった。家を建ててからは、週末ホストファミリーやカウチサーフィンで人を受け入れていた。


バレーボールの選手には、なれた。中学・高校は下手くそだったけどバレー部だった。下手なりに頑張ったら、海外に出たときに最高のコミュニケーションツールとなった。


お母さんにはなれた。だけど、いいお母さんにはなれない。ならなくてもいいのかな、っていう学びと、よりよくなれるにはどうしたらいいだろうって想いが入り混じっている。


社会の役に立つ仕事、かどうかわからないけれど、利益を求める生き方は自分にはできないと思ってたどり着いたのが公の仕事。面倒なことも多いけど、案外嫌いじゃない。


なんだ、なんだ。なりたい自分、なるべき自分を叶えてきて、割と全部手に入れてきたじゃないか。今までの経験を回収するかのように、選択してきた。それが当時の正解だったのだけれど、そこに限界を感じている自分がいた。

閉塞感。

そして、パズルのピースが完成してしまったときの達成感と虚無感。額に入れるためにのり付けしてしまったら、もうやり直せないという不安。新しいパズルを始める勇気がないし、どんな絵のパズルを選んだらいいのかもわからない。



『枠を外して考える』



そうか、ピースを埋めることだけ見ていたから、息が詰まってたんだ。

私のパズルは、のり付けしなくていいんだ。四つ角を見つけて、落としどころを探りながら埋めていくのが窮屈になってきたんだ。


パズルの四つ角を外して、もう少し外側へ広げてみよう。

直角でなくてもいい、水平に広がらなくてもいい。額縁におさめようとしなくていい。



『今までとは違う価値観を生きる時期』


いつか聞いた言葉を思い出す。


ネガティブな感情がぐるぐる渦巻いて、言い訳ばかりのないものねだりのストーリーが悲鳴を上げていた頭の中に、少しだけ日が差す。



いま、苦しいのは、枠を広げて新しいピースをつなげようとしているから。




笑顔で出迎えられない理由は、自分の閉塞感にあり。

自分をハグして、何度も何度も言ってあげよう。

「いまはできなくてもいつかできるようになるよ」

「誰だって、ひとりで3人見ていたら大変なんだよ」

「いつか笑顔で出迎えられる日が来るよ」




さ、帰ろうか。笑顔でただいま、できるかな。

帰りの車では、好きな曲をかけよう。



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