忘れられない記憶
2011年3月10日
とある企画で沿岸メーカーが
抱えた在庫のことで頭を悩ませていた。
メーカー担当者から
「どこか売り先ありませんか?」
という連絡が度々入っていて
その時は自社店舗で少しづつ
販売してあげるしかない状況だったため
「少しづつで申し訳ありません」
という回答しかできなかった。
上司に相談しても
「メーカーが悪いんだから」という回答。
確かにメーカーにも非はあるけど・・・
メーカーの担当者も社長に言われて
間に挟まれている状況だったので
「何とかしてあげたい」という気持ちと
「何とも出来ない」という気持ちで
行ったり来たり。
その日もメーカーの担当者から連絡あって
「やっぱり無理ですよね・・・」
「力不足で申し訳ない・・・」
という話になった。
電話が終わった後に
「いっそのこと
津波にでも流されてしまえばいいのに」
と思ってしまった。
2011年3月11日
未曾有の津波が東北の沿岸を襲った
そして多くの命が失われた
「まさか本当に・・・」
信じられなかった
そして強い罪悪感に襲われた
数日後
電話をもらっていた担当者が
津波にのまれて亡くなったと知った
いたたまれない気持ちになった
数か月後
そのメーカーの社長が来社し
上司にその時の状況を話していた
社長「一緒に逃げよう!」
担当者「子供を保育園に迎えにいかなきゃ!」
社長は最後まで
一緒に逃げようと言っていたそうだが
結局、子供が心配で
一緒に逃げなかったとのこと
そして、津波にのまれてしまった・・・
遺体は綺麗な状態で見つかったそうで
社長が本人確認出来たとのこと
子供には会えたのだろうか?
他のご家族はどうなったんだろうか?
聞くことが出来なかった
あの時
「津波で流されてしまえば」
と思った自分を責めた
「お前が悪いわけじゃない」
言われるたびに心が苦しくなり
そして
「自分だったら子供を迎えにいかないで
逃げただろうか?」
それを今でも心に問いかけている
「自分の命が優先」
という言葉を聞くたびに
心が痛くなる
子供を助けに行かないで
一生後悔する人生が正しいのか
子供を助けに行って
後悔なく死んでいくことが正しいのか
今でも答えが分からないまま
罪悪感とともに
3月11日を迎えている