AかBか。ううん、 「○○○○○」で救われた話
こんばんわ、よこるです。
いつも通り突拍子もない話になりますが、人は自分に与えられた選択肢を選び取ることによって「生きている」と感じることができる動物なのかなあと、これまで生きてきて感じております。
当たり前のことを書いてしまうかもしれませんが「選び取る」というのは、人から与えられたものではなく、最終的には自分で選ぶものであると思うのです。
だから、例えどんなに仲の良い人や、親・家族など他人が「AとBがあるけど、どちらを選びますか?」とか「この後、あなたは〇〇の行動をすると言っていたけど、やりますか?やめますか?」と言ったようなことは、一見すると選択を相手に聞いているように思えますが、私は以前これで精神的に参ってしまったことがありました。
「選び取る」
それは、1つの答えやはっきりした未来を示すことだけであってほしくないのです。
では、どんな選択肢が他にあるのでしょうか?それは
「分からない」
です。それは今、思考が追いついていないのかもしれないし、今 考えることではないのかもしれない。もっと時間をもらってじっくり考えたいのかもしれない。
そうなのです。この「分からない」の選択肢を選べると分かった時、私はとても救われた気持ちになる時があります。
とはいえ、私は時に他人にこの選択肢を与えないで話す時があります。だから今日は忘備録で残しておきたかったです。
ずっと分からないままでもいい。。思考を無理矢理曲げようとすると歪みがおきます。だから、その時がくるまでそっとそこに置いておくような、そんな余裕を持つことができると、もっと人に優しくできるし、自分自身の心がまんまるくなるのかなと。
うーん・・・分からないやww
なんて、分からないというのは嘘です。私にとって大切な忘備録でした(^^)
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