見出し画像

先生になりたい人が減っている世の中へ。

先生になりたい人って
こんな時代にいるのだろうか?

と、現職の教師である私が言うのもアレだが、
結構本気でそう思う。


先生だってバレると
150%「うわー、大変!」って言われる。

「先生やってる人ってほんと凄いと思う!」
「モンペってほんとにいるの?」
ってコメント、多分50回は聞いてる。

いや、私なんぞが出来てるから
先生って何も凄くないんだけど。
いや、勿論凄い先生も山ほどいるんだけどさ。
でも先生になること自体は何も凄くない。
試験に受かれば誰でもなれるし。
その試験の倍率も年々下がりまくってるから
先生になりたい人が今はどんどん減ってる。

先生がニュースで取り上げられるのは
ヤバい不祥事を起こした時。
ヤバい不祥事の内容にもよるんだけど、そういうニュースを見るたびに、その先生の家族はもちろんだけど、教え子や同僚の気持ちは大丈夫だろうかと考える。
なんでこんな人が先生やってんだろ…とイライラする時もある。
ニュースを眺めながら、自分は歳を取っても柔軟でありたいなぁと思う。
そして試験の倍率が下がってる今、どんな人でも簡単に先生になれることが裏目に出ているのを目の当たりにしたような気持ちになり、私も肩を落とす。

あとは教育に対する問題提議の時。
「日本の教育はこれでいいのか?!」みたいな話をコメンテーターがしていて
教育現場についてアレコレ言っているのををたまに見る。

いや、色んな先生が日本の教育についてなんて
現場で死ぬほど色々感じてるけど、
そんな思いは職員室で話して消える。
っていうか先生達は日々の仕事に追われてるから
日本の教育を変えるほどの時間が無い。

そんな時間があったら
今日の出来事を振り返って色んな先生に相談するし、
鬼の速さでテストやドリルの丸付けするし、
成績や行動を忘れないうちに記録するし、
明日の授業の準備をするし、
出席簿のデータを打ち込むし、
気になった子の家に電話をするし、
近々自分のクラスでやりたいことの構想を練るし、
これからやる行事の計画を立て、会議をするし、
来週の予定を管理職に出すために入力するし、
必要かも分からない研修を受けるし、
配付するお便りや会議の資料を作るし、
1年後の校外学習の予約をする。

それより何より、
日本の教育を牛耳ってる偉い人達まで届けるよりも、
これから先、日本を築いていく目の前の子ども達の未来に託した方が断然早いと思ってる。


日々遅くまで仕事をしても
残業手当もつかない。
リモートワークにも不向き。

唯一言われるのが

「でも先生って
福利厚生しっかりしてるよね!」

これも今までに50回くらい聞いた。
皆の思う先生の良さ is 福利厚生。
福利厚生 is 先生のよさ。

とは言え、福利厚生目当てで先生になった人には
今のところ出会ったことはない。




「先生!あの、覚えてますか?」

先日、学校の一大イベントがあり
休日に出勤をした時のこと。
あるお母さんに声をかけられた。
一目見て分かった。
確か、長男がお腹にいると分かった時に
担任していたクラスの子のお母さんだ。

「ご無沙汰してます!お元気でしたか?」

お母さんは、
私が覚えてることに驚いていて、
続けさまに

「もしかして○○君、
今高校生ですか?」

頭の中で計算しながら尋ねると、
目を丸くしながら頷いた。

「そうなんです!
息子、高2になりました!」

お母さんの顔が綻ぶ。


私が小5だったその子を担任したのは、
もう6年も前のことだった。

口数も少ないし、
クラスで目立つ存在ではなかったけれど、
とても優しかった男の子。

帰り間際、いつも数人の男の子達が
サッと机を整頓してくれたり
埃を見つけるとほうきで掃いてくれたりした。
私がして欲しいことを伝えなくても
サッと動く男子達に
えらく感動したのを覚えている。

「みんな、将来絶対に良い旦那さんになるね」

お礼を言う時に、
こんな言葉が思わず口から溢れた。

旦那さんに対して家事や育児で
〝自分で気付いて動いてほしいのに!〟
と思う女性が多いのは事実で、
結局旦那さんが気付かないから
〝やって欲しいことをちゃんと伝えるようになった〟
なんて話はよく耳にする。

それがどうだ。
当時の私のクラスの男子達ときたら
自分で気付いてガンガン動く。

〝どう?俺やったよ?
やったから褒めて?〟

みたいなアピールも全くしてこない。

今からでもいいから、
タイムスリップして6年前のあの教室に行き
男子達の爪の垢を少しばかり分けて欲しい。
毎朝煎じて、
愛する旦那のプロテインにでも忍ばせたい。
出来れば大量に。


一緒にほうきで掃きながら
一緒に机を整えながら
一緒に窓を閉めながら
そのちょっとした時間に
今読んでいる本や休み時間の出来事、
習い事や楽しみなことなど、
他愛もない話を毎日必ずした。

その男の子は私に積極的に話しかけてくるわけでは無かったけれど
いつも他の男子と一緒にニコニコ話を聞いてて
私が声をかけると照れ臭そうに返事をしてくれた。

私の記憶の中のその子は
ちょっとシャイで、優しくて、
あの教室にいた5年生の男の子で。

今会っても気付かないんだろうなぁ。
高2だもんなぁ。

お母さんと話しながら
あの時の教室にタイムスリップしたような
懐かしい気持ちになる。

「それで、先生に声をかけたのは、
『今日もしかしたら先生に会えるかも!』
って息子に言ったら
『いいなぁ』って凄い羨ましがられて。
『絶対写真撮ってきて』って言われたので
思い切って声をかけたんです!
写真撮ってもらえます?」

「えー!私?!
いや、全然良いですけど…
○○君にガッカリされちゃわないですか?!」

6年前の私は
まだ子どもを産んでなくて
今より6歳若くて
骨盤もこんなに広がってなかったわけで。

そんな不安気な私をよそに
お母さんは笑顔で

「大丈夫!先生!
だってマスクしてるし!」

と言ってのける。
私も思わずガハハと笑って
そりゃそーだ、と
お母さんと一緒に写真を撮った。

写真を撮り終えると、

「それに、息子、
本当に先生のこと大好きだったんです!」

クルリとこちらを向き
お母さんが真剣な目で言う。

「先生とやりとりした宿題ノート、覚えてます?」


私は毎年子ども達に出す宿題を変えている。
クラスの雰囲気や子どもの学力、家庭環境によって
この宿題なら頑張れるかな?とか
ここが苦手な子が多いから出すか…とか
これなら子ども達、楽しんでやりそうかな?とか
色々考えて宿題を出すようにしている。

その年に出した宿題は
〝子どもが興味をもった課題を自分で選んで
ノート1ページ分埋めてくる〟
というものだった。
毎日この宿題ではないけれど、
1週間に一度はノートを1ページ埋めてきてもらった。

この宿題の良いところは、
子ども達がどんなことに興味があるのか
一目瞭然で分かるところだ。

宇宙のことを調べてくる子、
学校ではやらないような計算問題を解いてくる子、
作文や小説を書いてくる子、
漢字の成り立ちを調べてくる子、
デッサンを描いてくる子。

勿論宿題が嫌いな子や出さない子もいて、
「何をやればいいか思いつかない」と
ちょっと自由度が高いせいで辛そうな子もいた。
そういう子には何をやればいいのかこちらで決めて課題を出していたけど、
そのうちにそういう子たちも課題だけでなく、
数行は日記を書いてくるようになった。

その1ページには
子どもの頭の中や好きなものが詰まっている。

〝おー!こんなことが好きなんだ!〟
〝へぇ…こんな風に考えてたのか!〟

色んなことを思いながら
子ども達の書いてきた1ページをチェックする時間は楽しかった。
良いなぁと思うページは子どもの許可をとり
クラスの皆に紹介させてもらった。
子ども達は互いに刺激を受けて
宿題ノートを益々楽しんでいるように感じた。

ノートには
絶対にコメントを書いて返すようにした。

普段は話しかけて来ない子も
ノートの中では私に質問をガンガンぶつけてくる。
〝先生って何歳ですか?〟とか〝好きなアイスベスト3は?〟とか。
唐突に〝先生、しりとりしよー〟と書いてあって、
それ以降ノート上でしりとりが始まった子もいた。
クイズを必ず最後に書いてくる子もいた。
これがまたどんどん難しくなるので、
一日中クイズの答えを考えてた日もあった。


お母さんの一言で、
子ども達とのやり取りを楽しんだ宿題ノートが
私の脳裏にポンと蘇った。

「懐かしい!やりましたね!」

私が声を弾ませると、

「実はあの子、まだあのノート
大切に持ってるんですよ!」

秘密のことを打ち明けるように、
お母さんがコソッとした声で言う。

今度は私が目をまん丸にした。

「え!ほんとですか?」

「そうなんですよ。
先生のこと大好きだったから、
先生との思い出のノートは捨てられないって…
この前もそんなこと言って、大掃除した時に結局捨てなくて。
だから宿題ノート、
今でも大切に持ってるんですよ。
あの子、全然大したこと書いてないのに」

お母さんが面白そうに笑う。

高校2年生になったはずの男の子が、
6年前に私のクラスだった男の子が、
未だに私の事を忘れていないだけでなく、
やり取りしたノートを大切にしてくれていた。

私が大切にしていた
あのクラスで過ごした日々を
同じように大切にしてくれていた。

それが、私の胸をいっぱいにした。

なんか泣きそうになった。

「いやー、私も何書いたか覚えてないので、
絶対大したコメント書いてないんだけどなぁ…」

ハハハ、と誤魔化して笑ったものの、
目から涙が溢れそうになった。

「でも嬉しいです。
そんな風に思ってもらえて。
今、先生やってて良かったって
心の底から思えました。
お母さん、ありがとうございます」

涙が溢れそうだったので、
深々とお辞儀をした。



私は小学校の先生をしている。

小学校の先生は大変だ。

だけど、
クラスにいる子ども達の
大切な人生の1年を
一緒に過ごすことが出来る。

もしかしたらそこで
誰かにとってはかけがえのない思い出を
一緒に作ることが出来るのかもしれない。

あの男の子の宿題ノートみたいに。

そして忘れてはならないのは
私の人生の大切な1年も
クラスの子ども達と一緒に過ごすことができるということ。

子ども達からもらう言葉や見せてもらう姿、
一緒に経験した出来事は
私にとってもかけがえのない思い出になる。
それが良いものばかりでなくとも、
素敵なキラキラしたものばかりでなくとも、
かけがえのない思い出になる。

この感覚は、
親になって知った感覚と
ちょっと似ている。

親だから感じる幸せや楽しさは
子どもと過ごす日々の中に転がっている。

産むまでは知らなかった大変さや幸せを
数年後に振り返っては
懐かしみ、愛おしむ。

先生も同じ感じかも。

担任になった時点で、
クラスの子ども達は私にとって特別な存在になる。
特別な絆がうまれる。

色んな子がいるから子ども達は成長して、
色んな子がいるから事件が起きて、
色んな子がいるから絆が深まる。

教室という一つの空間に
一生のうちの一年間だけ集まる奇跡。
どの子が欠けてもダメで、
どの子が欠けても同じクラスにはならない。
その奇跡を大事に出来るのが、
私の特権だなぁと毎年思う。

先生だから教えるばかりなのではなくて、
先生も子ども達に沢山のものを教えて貰う。

それだけじゃなくて今回みたいに、
大きくなった教え子が
私と過ごした日々を大切にしてくれていたと知るのは、
タイムカプセルを開けた時のような
何とも言えない幸せな気持ちになる。




去年の4月、私の教え子が2人、
小学校の先生になった。

私が13年前、
初めて担任をしたクラスの子達が
社会人になった。

教え子が先生になるという初めての経験に
うわぁー、私も歳とったなぁー!
という気持ちと、
なんだか嬉しい気持ちと、
いつか同僚になるかも…
というワクワクした不思議さと、
色んな気持ちがごちゃ混ぜになる。

勿論、大人になった子ども達の記憶には
小学校で過ごした時間が
あまり残っていないことが多いのも知ってる。
ボンヤリとしか覚えていない人が
きっとほとんどかもしれない。
だって、たった1年間一緒に過ごしただけなのだ。

それでも、クラスにいた子ども達が
頑張っている現在の姿を知ると
勝手に嬉しくなる。

私も頑張ろう。

そう思える。

親はいつまでも親だし、
先生もいつまでも先生なんだよな。

先生の良さって、
そこかもなぁ。

その瞬間だけじゃくて、
時間が経ってからも
子ども達から貰える気持ちが山ほどある。
それこそ、タイムカプセルみたいに。

それぞれの子が
幸せに、自分らしく生きててくれて、
もしも何かの機会に知ることが出来たら
その度にきっと私は嬉しくなる。

それってとても幸せなことだ。


先生になりたい人って
こんな時代にいるのだろうか?

とは相変わらず思う。

思うけど、
先生ってやっぱり良い仕事だ。

たった1年。
されど1年。

この1年が積み重なって、
先生も先生になっていく。
親が親になっていくように。

そして改めて思う。

私はこれからも

やっぱり先生でありたい、と。

いいなと思ったら応援しよう!