社会の成り立ち(必要悪は本当に必要なのか)
皆様お久しぶりです。
日々卒論に追われている限界大学生です。
早いもので今年ももう4ヶ月が経ち、桜も散りましたね。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今回のテーマは、社会の成り立ち、さらに細かく言うと、必要悪は本当に必要なのかということです。
結論から言うと私の持論では(noteには持論しか書いてませんが)、必要悪は必要という結論に至ります。どう言った考えなのかを以下で述べられたらなと思う次第です。
まず、"社会"という言葉がこの記事においては、何を指すのかについての定義付けを行いたいと思います。
ここでは社会というものを、大きく捉えていこうと思います。例えば学校のクラス、会社のチーム等々。なにか自分が属している集団のことを指すこととします。
社会というものは、様々な人達が集まって構成されています。良い人もいれば、悪い人もいる。良い悪いではなく、自分にとって合う人もいれば、合わない人もいる。
そんな中で今回特にフォーカスをあてたいのは、悪い人です。
例えばクラスにいるいじめっ子、会社にいるパワハラ上司。
僕はこういった人達はある意味で社会にとって必要不可欠な存在だと感じております。
たしかにこういった人達が居なくなればみんな幸せになるのかもしれません。
しかしながら、全員が幸せになるなんてことは理論上起こりえないことであります。
全員が嫌な思いをせず、ストレスフリーな社会では、イノベーションは生まれず、それは社会の衰退を呼び起こすものだと考えているからです。
つまり、社会の発展のためには、嫌な人というのも必要不可欠ということです。
僕は、基本精神論は嫌いですし、苦労することが美徳という風潮のあるこの日本文化にも嫌悪感を抱いている身なのですが、ある程度の困難を乗り越えて初めて人として成長出来ると思っているのもまた事実であります。矛盾しているんですけどね。
世間様はそんなに優しくないので、自分に対して危害を与えてくる人も一定数はおります。(もちろん行き過ぎたものは、法の下対処すべきですが)
そんな人たちとどのように関わっていくのかもひとつの大事なスキルであり、それが社会を支えているものの一つであると感じております。
いじめ、パワハラが良くないとかは当然なんだけどね。
では、卒論に戻ります…