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2024年10月27日 加野さんエッセー「熱海逃避行」

ゼミ2期生は夏休みの宿題でみな「エッセー」を書きました。
その中から、ゼミ生に好評だった加野さんのエッセーを公開します。

「熱海逃避行」 作:加野(ゼミ2期生)

熱海に行くことを決めたのは、別に大した理由があったわけではない。ただ手軽に行けて、遠くに来たと言う感覚を味わいたかった。家から出られて、海が見えればどこでもよかった。

ある月曜日の朝、その日から2日間のインターンがあった。ただ、どうしてもやる気になれず結局、辞退した。これでその2日間の予定が空いたことになる。どうせだし、どこかへ行こうと思って何気なく宿を検索し、そのまま予約してしまった。行き先は熱海だ。 東京駅から新幹線に乗って1時間も経たないうちに、熱海に着く。窓から見える景色は、段々とビル群から緑が増え、開いたドアから海の匂いが感じられる。駅を出た瞬間、体にまとわりつく空気が東京とはまるで違う。湿り気があり、少し塩っぽい香りがする。深呼吸をして、駅前の古びたアーケード街に向かう。結構雨が降っていたが、そこにはたくさんの観光客が見える。(残念ながら旅行の日程はそう簡単には変えられない。)着けていたヘッドホンからはたまたまCreedence Clearwater Revivalの『Who’ll Stop The Rain』が流れていた。しかし、戦争と同じように、雨を止められる人はなかなかいない。(そして実際に雨はずっと降り続ける。)アーケードの古びた土産物屋、手書きのメニューが貼られた小さな食堂、そして潮の風を浴びて錆びている温泉宿の看板。これらすべてが、どこか時間の流れに取り残されたように見えた。それとは対照的に、現在の流行りの服を着た学生らしき若者がたくさんいる。なんだか不思議な気持ちになる。そんな熱海の温泉街を、ただ歩くのが好きだ。目的地などなく、気の向くままに坂道を下り、海沿いの道を歩く。熱海の町は複雑に入り組んでいて、散歩しているといつの間にか自分がどこにいるのか分からなくなる。だが、それがかえって心地よかった。

無事に宿に辿り着く。夕食の時間を過ぎてしまっていたので急いで食堂に行くと、大学生の団体がいた。話を聞く限りではどうやらゼミの合宿らしい。横尾ゼミを思い出す。夏休みの課題を思い出してしまう。しかし一旦、課題のことはビールと一緒に身体の奥に流し込んで忘れよう。部屋に戻り、一度敷かれていた布団に入ると、縛られているかのように布団から出られなくなる。でもまだ寝るわけにはいかない。(わざわざ貸切温泉付きの宿をとったのだから。)なんとか布団を出て温泉に入る。45度のいささか熱すぎる湯に浸かりながら、僕は目を閉じ、耳を澄ます。体がゆっくりと温まり、心の中の澱が少しずつ溶け出していくのが聞こえる。

夜遅くに宿を出て、永遠に思える坂道と階段を下り、海に辿り着く。海は真っ暗で、そこでは視覚は役に立たない。サンビーチから突き出た突堤に立つと自分の身体すら輪郭が曖昧にしか見えず、自分の存在は自分という意識の中でしか感じることはできない。宿に戻り、もう一度熱い湯に浸かって自分が存在していることを確認する。

次の日もまた海へ行く。9月のあまり天気の良くない日に海に来る人は多くない。
海はいつも変わらないようでいて、絶えず変化している。波が寄せては返す、そのリズムは、僕たちの呼吸と似ている。深く息を吸い込み、静かに吐き出す。その繰り返しが、僕たちが生きている証拠だ。そして海もまた、そうやって生きている。波は時に穏やかで、時に荒々しい。しかし、どんなに荒れ狂っても、結局はまた静かに戻っていく。僕はそのリズムに引き込まれるたびに、波が通った後の砂浜のように、自分の内側に潜む何かが静かに整えられていくのを感じる。
海を前にすると、僕は一種の孤独を感じることがある。だが、その孤独は決して悲しいものではない。それはむしろ、心地よい孤独だ。誰かと一緒にいても感じる孤独とは異なり、海の前で感じる孤独は、世界との繋がりを再確認させてくれる。それは「自分が小さな存在に過ぎない」という認識を促しながらも、同時に、小さいながらも宇宙の一部であると認識することができる。 僕たちは孤独を恐れがちだ。しかし、海はその孤独を優しく包み込んでくれる。僕たちは孤独でありながらも、同時に世界の一部なのだ。海の果てしない広がりは、そのことを教えてくれる。やっぱり海が好きだ。 

熱海という町には、不思議な引力がある。熱海という町には、失われたものと残されたものが混在している。かつて賑わいを見せた昭和の温泉リゾートは、今ではその影を潜めている。時折、古びた建物や使われていない温泉施設を見ると、過去の姿を想像せずにはいられない。だが、その寂しさは不思議と哀愁を帯びていて、心にある種の安らぎを与える。 失われたものに対する郷愁と、残されたものに対する愛着が混ざり合っている。あるいは何かが欠けているからこそ、そこに魅力を感じるのかもしれない。 熱海は、過去と現在が共存する場所だ。訪れるたびに、新しい変化を感じつつも、その本質的な部分は何も変わらない。人々が来ては去っていく中で、町自体はただそこに存在し続ける。僕はその静かな佇まいに魅了されているのだろう。
 

熱海に行くと、毎回つい行ってしまうレストランがある。「路地裏523」というイタリアンだ。文字通り、商店街から少し外れた路地裏にある。熱海まできてイタリアン?と思うかもしれない。全くその通りだ。でもなぜか行ってしまう。「本日のパスタ」のエビのレモンクリームパスタが美味しい。2ヶ月前にきた時と同じ本日のパスタだった。


2024年10月 一橋大学・経済学部3年 加野(ゼミ2期生)

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