8. 登校のお時間です☆
私は近くの木に止まり、中学の校門前を見下ろした。
磯山幸治が登校してくる生徒たちに挨拶を返している。
「おはよう!」
「おはようございます」
生徒らは薄暗の昇降口に向かって吸い込まれていく――いや、流れついている、といったほうがいいだろうか。川を流れる春の桜の花びらのように、流れに逆らうことなく、しかし微かに揺れながら、校舎の中へと。
ムクドリの群れは青い空を一、二、三と旋回すると、陽射しの方角に向かって消えた。
私たち鳥類がなぜ旋回するのかはわからない。意味があるのかないのかも、なぜしてしまうのか、しなければどうなってしまうのか、も。知ったところでどうだというのだ。もしも無駄な動きだとして、ならば意味はないといって旋回をやめられるのだろうか。私はおそらく、やめられないだろうと思う。
二人組の男子生徒がやってくる。
「ジーコ、おはよう!」
背丈の小さい方がそう言って右手を上げる。その手を幸治は笑いながら強めに弾いた。
「ジーコじゃねえだろ」
「いってぇ」
声を上げた男子生徒は、しかめっ面でハエのように両手を擦り合わせた。
「普通に呼べ」と言った幸治は面倒くさそうな表情を浮かべていたが、すぐにパアッと表情を笑顔にすり替え、
「さっきお前のおばあちゃんに会ったぞ」と続けた。
「なに? 龍星のばあちゃんとジーコって知り合いなの?」
長身で色白の男子生徒はそう言うと――なるほど、これが野口の孫の龍星か――小さいほうの男子生徒、龍星の顔を覗き込んだ。
幸治はため息混じりに「呼び方」と言うと、長身の生徒を睨みながら「高田、お前のその前髪についているのはなんだ。外せ」と言った。
「ああ、これすか?」
「おう」
「ポムポムプリンですよ」
「……没収」
高田は低い声で「へーい」と言いながら、素直にそれを外し、磯山幸治に手渡した。ポムポムプリンで抑えられていた高田の前髪がくるんと上を向く。
「昨日言っただろう。生活指導強化週間に入るって」
「寝癖つけたままじゃ授業に身が入らないんですけどね。一限目が始まる頃にはこの癖治る寸法だったんすけど」
「放課後、職員室まで取りに来いよ」
「ダルいっす。いいよ、磯山先生にあげる」
二人の身長は同じぐらいだが、幸治の体格がいいせいか、高田が異様に細く見えた。
「いらねえよ」
間に挟まれた龍星が、キョロキョロと二人の顔を見比べてはニヤケていた。
ふと、背丈を詰められたツツジの木が視界に入る。雨のせいで多くの花が地面に落ちてへばりついている。湿ったそれを避けながら、三匹の蟻が協力しながら乾いたダンゴムシの死骸を運んでいた。
龍星と高田は真っ直ぐ昇降口へと向かわず、うねうねと進んだと思うと、朝礼台の上に鞄を置いてそこに座った。
二人は昇降口に向かう生徒たちを眺めていたが、同時に登校してくる生徒からも見られていた。特に女子生徒からの視線は熱く、積極的な者は「高田さまー!」と大声を上げ、手を振った。高田が手を振り返すと、甲高い歓声が上がった。
「へいへい」と龍星は嫉妬と呆れが入り交じった表情を浮かべる。
「アイドルだか王子様だか教祖様だか知らないけどさ」
続きの言葉を見つけられず、龍星はそれから黙って首の骨をボキ、ボキ、と鳴らした。
白球が空を裂いて彼らの足元に転がってくる。
龍星は拾い上げて駆けてきた野球部に投げ返す。
「あれ? 高田、またスニーカー替えた?」
「いいっしょ、これ」
「意味わかんねえ。なんで最近そんなにカネあるの? おまえんちだけバブル来たとか?」
「そうそう。俺んちいま、ハイパー・バブリシャス。あ……」
高田の目が獲物を捉えたように追従して動く。視線の先を追うと、そこにいたのは、しずかっちと呼ばれていた三つ編みの女子生徒だった。
彼女を見ながら「今日は、どうする」と龍星が言った。
「考えがある。でも、今はまだ」と高田が答えた。
龍星の声は掠れていたが、高田の声は低く穏やかで落ち着いていた。二人はゆったりとした足取りで校舎に向かった。
チャイムが鳴る。
幸治は門扉を半分閉める。慌てて走ってくる生徒らに向かって、「遅いぞー!」と声を荒げる。
「丸くなりましたね」
「校長。おはようございます」
幸治は、隣に来た白髪混じりの女性に向かって頭を下げたが、ひどく顔が引き攣っていた。
「丸くならざるを得ませんよ。こういう時代ですからね」
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