アフターコロナ、世界は何も変わらない!?
作家のミシェル・ウエルベックが、コロナ禍についての文章を公表。その翻訳記事を見つけた(ぜひ、全文お目通しください!)。
その中の一部。
いったい何歳までなら蘇生させ、治療するべきなのだろうか? どうやらこれは、世界の暮らす地域によって異なる。ともあれひとびとが「すべての命は同じ価値ではない」という事実を、これほどまで落ち着きを払った破廉恥さで言ってのけたことはなかっただろう。
スウェーデンは老人の死者を覚悟し、早期に集団免疫を獲得する戦略を取り、死亡率が急激に上がっている(スウェーデンが現時点で死亡率が高まっているのは、高齢者の延命措置をしていないため、とされている)。
スウェーデンは、寝たきり老人がいない国である。患者自身が延命治療を望まない傾向が強く(胃瘻などの延命措置は虐待扱いと見なされる)、自分で食事摂取ができなくなった段階で一切の医療行為を行わない。日本とは死生観が決定的に違う。ただ一方的に、「高齢者を切り捨てるのはひどい!」と言い立てることはできない。
冒頭のウェルベックに戻る。
テレワークもインターネット通販もSNSも……私たちは効率を上げるためにテクノロジーを通し、人間どうしの接触を結果として減らすことに尽力してきた。その私たちが求めてきた未来への到達が、ウィルスの流行によって、少し早まっただけではないのか? とウェルベックは指摘する。
文章は以下のように締めくくられている。
そもそもわたしは「なにもかもが以前とは変わってしまう」という類の言説を一瞬たりとも信じていない。むしろ逆に、すべてはまったく同じままだろう。
すべての傾向は、すでにいったように、新型コロナウイルス以前の世界にも存在していた。ウイルスの蔓延によって、新たな明白な事実とともに表出したにすぎない。わたしたちは外出自粛が解かれたあと、真新しい世界で目醒めるわけではない。世界は、以前と同じままか、あるいは少し悪化しているだけなのだろう。
アフターコロナの世界を予想し、分析している記事(多くは希望を示すだけのものだったり、悲観にくれるものだったりする)はたくさん散見するが、このウェルベックの「すべては同じまま」はひとつの真理だと思う。
世界中が同じ課題に取り組んでいる。その対応を比較して見れば、自分がどのような国で暮らしているのかがよく分かる。
すべては日々の延長線上にしか生まれない。だからこそ、常日頃から、「どうありたいのか」をきちんと自分の頭で考えておきたい。