エルトンには派手な衣装が必要だった。映画『ロケットマン』
エルトン・ジョンの歌はそれなりに知ってはいるけれど、パーソナリティについては正直ほとんど知らない。
『ボヘミアン・ラプソディ』のデクスター・フレッチャーが監督(厳密に言えば途中から)したエルトン・ジョンの伝記映画は、どうやらミュージカル調らしい。それ程度の前情報だけで、私は『ロケットマン』を観に行った。
【ややネタバレ注意】
一時は、エルトン役をジャスティ・ティンバーレイクが演じるとも噂されていたらしいが、歌唱力、演技力、そして、何より英国人であることでタロン・エガートンが抜擢されたのだそう。
たしかに、ジャスティンよりは当時のご本人に似ているような気はする。本人から「僕に似せる必要はないよ」と言われていたらしいタロンの歌の上手さも申し分なかった。
両親との確執や仲間からの裏切りなど、とにかく想像していたよりもエルトンは過酷な人生を歩んでいるようで、思い切り苦悩にスポットライトが当たっている。個人的にはずっと「なぜ、エルトンはこんなに派手なステージ衣装でしっとりとピアノの弾き語りをするのか」と思ってきたので、その長年の疑問が解けた気がした。
劇中、ひとりもがき苦しんでいたエルトンの魂の叫びがどんどんクレッシェンドしていく。ステージ上の彼の衣装が派手になっていけばいくほど、そのサングラスのフェイスがデコラティブになっていくほど、道化師のようにおどければおどけるほどに、私の胸はしめつけられていった。
一方で、(もちろん同じ手は使えないだろうけれど)『ボヘミアン・ラプソディ』のような『ライブエイド』的ハイライトシーンをつくらなかったことが、この映画が少々カタルシス弱めの仕上がりになった理由かなとも思ったり。
と思ったものの、観賞後に監督のインタビューを読み、すぐに撤回。
今作はミュージカルです。実際、私はこの映画を伝記映画であるとは言いません。『ボヘミアン・ラプソディ』は三人称視点からの俯瞰的な映画でしたよね。でも『ロケットマン』はエルトン・ジョン個人の、非常にパーソナルな経験を描くものです。エルトンを俯瞰するのでなく、彼の精神の中に入っていく。(中略)彼がどんな精神状態だったのか、それこそが、この映画で一番大事な部分ですから。より良い人間になりたい。かつての自分がそうだったように、と。
エルトンはこの映画に全面協力し、この映画を通しで初めて観た際には泣いて、そして、感謝を述べたという。
たしかに、エルトンの歌はもの悲しいものが多い。今はパートナーと幸せに過ごせているからこそ作ることができた、エルトン自身の“禊”の映画なのだな、と思う。
ちなみに、個人的には『Your Song』ができあがったシーンがこの映画のクライマックス。このエピソードを核に映画を作ってもらいたかったくらいにツボだった。
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