西加奈子著『夜が明ける』
先頃、「『新しい資本主義』によって世界の流れをリードする」というような提言がされた。経済に明るくない私でも、「それ、また、経済格差広がるやつ」だと思った。
賃金が上昇する先進国の中で、日本の賃金だけは横這いどころか、やや右肩下がり。物価が安いことを喜ぶだけのタームはとうに終わっていいはずだった。
コロナが過ぎ去った頃、海外に足を運ぶことになったのなら、その物価に驚くのだと思う。「安い!」と、韓国や台北、東南アジア各国に足を運んでいた時代を懐かしく思い出すのだろう。Netfixで配信されたばかりの若者で活気づくアジア各国のナイトシーンを追った『ミッドナイトアジア』を観ながら、そんなことを思った(東京だけ、なぜか90年代の香りがした)。
「日本はどんどん貧しくなっている」という意見が色濃くなる中、西加奈子さんが放ったド直球の一冊を読んだ。
一気に読んだ。
社会が押し付けてくる、「自助」「自己責任」の問題を考えさせられる。現状が続くのなら、もっともっとそれらを求められる社会になってくるはずだ。
西さんは帯(表4)に、「当事者でもない自分が書いていいのか、作品にしていいのか」という葛藤を書いている。当事者には、もう、その声をあげる力は残っていないところまできているのだとしたら?
社会の中で透明にされている無数の声たち。全集中で耳をすましても聞こえてこないほどの、それらの声が聞こえるように。そして、聞こえたら、動ける自分であるように。そして、自分の立場にいつでも自覚的でいる思慮深さを。
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