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うぶ毛はムダ毛なのか?

「葉子ちゃん、ひげ生えてるよ」。

中学生の頃、同級生から言われて驚いた。今、思えば、陰で言われ続けているよりはマシだと思うけれど、とにかく「恥ずかしい」と思って、家に帰って母親に「なんで言ってくれなかった!」と怒った記憶がある。多分、当時の大人から見たら、うぶ毛って初々しさの象徴のようなものだったと思うので(個人的にも、今となったらそう思えるのだが)、母親は微笑ましく眺めることはあっても、「剃りなさい」と助言することは考えもつかなかったはずだ。

今はキッズ脱毛というものもある。親が子供に勧めて来院するケースも増えてきていると聞く。私が思春期の頃に「ムダ毛は恥ずかしい」ムードがあったのだから、以降の世代が親となれば、「もっと早い時期に私もやりたかった」と思うはずで、「そりゃ、そうだよな」と思う。

今、公開中の『ナミビアの砂漠』。主人公は脱毛サロンで働いている。「やるなら早い方がいいよ」のキッズ脱毛、「介護してもらう時のことを考えて」の介護脱毛…など、脱毛を通し、いろいろな角度からルッキズムと資本主義の問題を問いかけてくる。


その筋の関係者に聞いたことだが、うぶ毛を除去すると、物の微妙な風合いが感じられなくなるのだそうだ。うぶ毛は人間の体表にかぶさった一種の透明のクッションのようなもので、物の触感は、それにふれたときにうぶ毛を圧す力の加減で得られるらしい。だからうぶ毛を取り除くと、その微妙な圧力が感じられず、したがって物の風合いにも感触にも鈍感になり、場のなんとはない気配を空気で感じることも少なくなる。

(出典:てつがくを着て、まちを歩こう)

かくゆう私も給料が貯金できるくらいになった頃に医療脱毛の門をくぐった。腕の毛は薄かったこともあり、「人間っぽくていい感じ」と残しているのだが、この「触感」はかなり理解できる。

人間はあくまで自然の産物で、環境に適応しながら進化を遂げつつ今にいたっているので、現時点での最適解で構成されているんだよな、と思う。

他人ともっと深く交わりたいがために身をきれいにしていたはずなのに、逆に感覚が難しくなるとは…皮肉なことだ。

(出典:てつがくを着て、まちを歩こう)


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memo


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