映画The Garden of Evening Mists(夕霧花園)を、クアラルンプールで観ました。
いよいよ、2020年1月16日(木)マレーシア全土で、映画The Garden of Evening Mists(中国名: 夕霧花園)が公開になりました。
第二次世界大戦中とその後のマレー半島を舞台に描かれた同名の原作を元に、台湾人のトム・リン監督によって、マレーシア国内で撮影された映画です。主演は、マレーシア出身で台湾で活躍している43歳の女優シンジェ・リーさんと、日本の阿部寛さん。
これまでに公開された韓国の映画祭で上映されたり、台湾の映画賞(金馬映画祭)の9つもの賞にノミネートされた話題作です。
英語で、タイトルを検索してみてください。たくさんの情報に出会えるはずです。
ただ、日本語で検索しても、全く情報が出てきません。何故なのでしょうか。
待ちに待った、この映画公開。その翌日の
2020年1月17日(金)
夫を誘い観てきました。
ミッドバレーメガモールという、クアラルンプールで最も大きなショッピングモール内の映画館で、夕方午後4時頃の時間帯でした。
クアラルンプールの街中で、この映画を宣伝するビルボードや電光掲示板を目にしていたので、もう少し多い観客数を予想していましたが、意外にも劇場の半分くらいの動員でした。時間帯のせいもあるかもしれません。
鑑賞席にいたのは、ほとんどがマレー系と中華系マレーシア人と思われる人たちと、1組の白人の老夫婦(おそらく60代後半)で、アメリカ人の夫と一緒に行ったわたしが、その場で、どうやらたった一人の日本人のようでした。
映画がいよいよ始まりました。
冒頭は、第二次世界大戦後のマレーシアのシーンから始まります。
美しい茶畑が広がる名所、キャメロンハイランド。(トップ画像がその茶畑です。画像はお借りしました。)
この地に住む日本人なら、一度は訪れたことのある美しいと有名な観光地だと思います。
映画では、この土地を舞台に、大日本帝国が侵略した国イギリス領マラヤに、日本庭園を造ることを皇室から任命された庭師、中村有朋(なかむらありとも)役を阿部寛さんが演じています。
そして、戦後の旧日本軍の戦犯裁判に立ち会った検事で、旧日本軍の強制収容所に収監され虐待された上で亡くなった妹の死を目撃した記憶から立ち直れぬまま、妹の遺言を叶えるために、日本庭園の庭師の有朋に会いに、はるばるクアラルンプールからキャメロンハイランドやってきた中華系マレーシア人女性、雲林(ユンリン)役を、シンジェ・リーさんが演じています。
これ以上はネタバレになるので、自重します。
ただ、わたしがこの映画を観た感想と、これから観ようと思っているあなたへ伝えたいことを、今日は手短に書きます。
この映画に描かれている旧日本軍の兵士たちは、人の心を忘れた悪魔です。その一方で、阿部寛さんが演じた有朋は、日本という母国で脈々と受け継がれてきた自然と礼節を尊ぶ文化を心から愛し、己の使命に忠実に生きた、誠実なこだわりを持った日本人男性です。
この戦争という歴史から見えてくる、人間の光と闇のコントラストを巧みに描き、映画という最も難しい方法で、観るものの心に深く迫る演出で描き出したトム・リン監督の偉業に、心から感服しました。
一方で、その映画の中の、旧日本軍兵士による強制収容所内での虐待の描写が、あまりにもリアルで、直視するには辛すぎました。
おそらく、その劇場内でたった一人の日本人だった私は、映画の後いたたまれなくなり、エンドロールが全て終わり劇場内にいる全員が会場を後にするまで、夫の腕に寄りかかったまま、顔を少しも上げることができませんでした。普段はとてもせっかちな夫が、辛抱強く最後まで一緒に私を待ってくれ、とても救われました。
私以外の、おそらくマレーシア人と思われる女性が、あるシーンから、顔を覆ってそれ以上画面を観ることが出来なくなっていることにも、気付きました。
もしかしたら、彼女にはその時代に、日本兵から被害にあった身内がいるのかもしれない。そう思ったら、わたしの全身に震えが来ました。
それくらい、生々しい描写が続き、如何に主人公の雲林(ユンリン)が戦争が終わった後も、終わることのない苦悩に苛まれ続けたかが、淡々と描かれていました。
わたしたち日本人は、東南アジアで起きたことを、知らなすぎる。この映画を観て、そう思いました。
74年も前に起きたことを、今更掘り起こしても仕方がない。
日本は十分に各国に対して戦後補償をした。
現代を生きる私たちは未来だけを見ればよい。
そんな風に思う人もいるかもしれませんが、わたしはそうは思いません。
わたしたちの祖先が各地に残した深い深い傷という負の遺産を、どれくらいわたしたちは理解しているのだろう。この映画を観て改めて考えました。
捕虜の強制収容、慰安婦問題、民間人への虐殺行為、、、
わたしたちの教科書には載っていない、生々しい証言の数々が、東南アジアの至るところにあります。
インターネットというツールを使える現代の私たちは、知る術も責任も同時に併せ持っているのです。
知らなかった、という言い訳は、もう通用しないんです。
知らずになかったことにするのではなく、知った上で理解し許しが起きるための「行動」に移さなければいけない。有朋が自分の心に忠実に、雲林に接したように、日本人一人一人が、人として正しい行いをして初めて被害者の何代にもわたる傷が、心が、溶けて行くのだ、と思うのです。
遡ること
2018年6月。
この映画の撮影場所となったマレーシアのペラ州カンパー。
わたしは、日本人のジャーナリストさんに同行し、インタビューに伺う機会に恵まれました。
残念ながら予定していた阿部寛さんとの面会は叶いませんでしたが、トム・リン監督にお話を聞くことができました。
(※このインタビュー記事は、日本での公開が決まり次第リリースされる予定です。)
印象深かったのは、アメリカと、親日の台湾で育った私と同世代のトム・リン監督が、東京を訪れた時のエピソードでした。
長くなったので、続きます。