見出し画像

続、The Garden of Evening Mists(夕霧花園)を、クアラルンプールで観ました。

続きます。

画像1

通訳のお仕事で、クアラルンプールからペラ州カンパー(撮影地)に行き、台湾人のトム・リン監督(以下、監督)のお話を聞いた時のことを、今日は書きたいと思いました。

このブログを読んでくださる日本人の皆さん、そして日本語を解する外国人の皆さんに、伝えたいことがあるからです。

カンパーまでは、担当者の運転する車で2時間ほど。このお仕事を頂戴した時は緊張しました。当初は、監督と阿部寛さんのお二人に対する通訳でした。

この日、インタビューをされた日本人ジャーナリストさんによると、この時の記事は、日本の公開が決まり次第、リリースされるとのことでした。

その時に、1時間ほどインタビューさせていただいた時のメモが、今も私の手元に残っています。

一番印象に残ったのは、

「日本に対して、また、日本の文化・芸術に対して、どのような印象をお持ちですか?」

という質問に対しての監督の答えでした。

台湾で、日本の文化に触れながら育ちました。ドラえもん、ガッチャマン、あだち充のタッチ、などが大好きでした。わたしは、東京、大阪、そして沖縄を訪れたことがありますが、そこに流れる空気が、少し違っていることにすぐに気付きました。東京に比べ、大阪はリラックスしている。沖縄の田舎は、心がそれこそほっとするようなゆっくりした空気が流れている。そして、その感覚は、周囲にいる人、その場に身を置く人に伝染しやすいもの、のように感じました。僕が東京で感じたのは、閉塞感が漂い、個々人がプレッシャーを自分自身に与えているような、形容しがたい重苦しいものでした。それで、僕は現代の日本の社会が抱える問題に大変興味を持ちました。

このお話を通して、監督と私は同年代だということがわかりました。監督は76年生まれの43歳、わたしは77年生まれの42歳です。

このインタビューは続くのですが、わたしたちが高校生くらいの年齢の頃に起きた、神戸連続児童殺傷事件の「少年A」についても言及され、日本の社会が抱える闇や、そのような事件を起こす人々の心に何が起きているのか、について興味を持ち多角的に考えてきた、いつかそれを映画監督して撮りたいと思ってきた、とのことでした。

今、日本が置かれている状況を、外国人である監督が言語化するとこうなるのだな、と通訳しながらわたしも監督の言葉に共感していることに気付きました。

わたしも海外に住んで、そろそろ13年になります。日本に帰るたびに感じるのは、誰かが困っていても素通りする人の多さ、まるで周囲が見えていないかのように振る舞う人の多さです。多くの人が集まる大都会の駅などに行くと、人と人との間にまるで見えない壁でも存在するかのような、不思議な光景と空気が、そこに存在するのです。こういうことを言うと、そんなことはない、と怒られることも覚悟しています。

ただ、率直にお話すると、10年間、わたしが住んで、子供を産んで育ててきたマレーシアでは、感じたことがない感覚です。ベビーカーを押している時、一人で子供とスーツケースを押しながら移動している時、必ずと言っていいほど、道行く人が声をかけてくれ手を貸してくれます。エレベーターに乗る時、駅で切符を買っている時、スーパーで買い物をしている時、見ず知らずの人と自然に会話が始まるのです。それも全く構えている様子はなく、自然に。それがマレーシアです。人が優しいです。温かいです。壁がないのです。わたしはこの国で孤独を感じたことがありません。

ただ、これは単なるわたしの主観です。

なので、監督が語る、現代の日本の社会が抱える問題について、客観的な視点で撮られたこの映画を観るのを、お目にかかった2018年6月から、ずっと心待ちにしてきました。


監督はインタビューの中で、

この映画を通して、悲惨で残酷な境遇に置かれた主人公たちが、それでもその中から光を見出し、本当の愛や、人と関わることで得られる温もりを、見つけていくストーリーを、忠実に映画化したい。

と熱意を語っておられました。

現代に生きる日本人に、ぜひ観て欲しい映画だと思います。



ただ、日本での公開が決まっていません。

諸説あるかと思いますが、わたしが推測するに、この映画の中で旧日本軍がマレーシアの強制捕虜収容所で行った残虐行為がリアルに描かれていること、この映画の国際放映権を持つのが韓国の会社であること、などが公開を遅らせている原因なのかもしれない、と思っています。日本国民が知らなくてもいいことは、メディアに流れないのでしょう。

果たして、それで、本当に良いのでしょうか?


この映画への出演を決めた阿部寛さんの公開時に発表されたインタビューの翻訳も、ご依頼いただきました。その中で

「この物語を通して、わたしたちが学ぶべき最も大切な教訓とは、何でしょうか?」

という質問に対し、阿部さんは

異なる歴史や文化、事情を抱えた人間が、人種や国境を超え、互いに尊重し、平和という共通のビジョンを持つことができる。そういったビジョンを持つことで、最後には自分や人を許すことができるようになる、ということです。

と、語っておられます。


翻訳をしながら、わたしはこの「許し」という言葉に、大きな励ましをいただきました。 

この難しい役を、マレーシアのジャングルという過酷な場所で、多国籍なメンバーで、しかも英語という自分の第一言語ではない言葉で演じきった阿部寛さんだからこそ、この「許し」という言葉を、自然に扱えるのだ、心から他者を尊重し称え励ませるのだ、とわたしは思いました。


映画を観て、すっかり日本を代表する国際映画俳優の阿部寛さんの大ファンになったわたしです。

同世代の監督から、阿部寛さんから、映画に関わってくださったマレーシア人のスタッフの皆さんから、多大な勇気をもらったわたしは、この映画をきっかけに、70年以上前に起きた、わが国日本と、マレーシア、そしてその隣国や、連合軍にかかわった国々の間で起きた悲劇について、わたしの知る限りのことを、このブログに書いていこう、と誓いました。

深い深い爪痕を残した太平洋戦争の終戦から74年。

こんなにも長い歳月が過ぎたにも関わらず、東南アジアで亡くなった旧日本軍の兵士たちの遺骨は、日本に帰国できぬまま、まだ各地に眠ったままです。特にビルマ戦線(現ミャンマー)で亡くなった数万の旧日本軍の兵士たちの白骨化した遺体は、お迎えを待ちわびたまま、鬱蒼としたジャングルの中で、朽ち果てようとしています。

まだ先の大戦は終わっていない。

この事実や、現代の日本の様子を見て、そう思わずにはいられません。

まず、様々な社会問題に対して、無関心であることに自覚を持ち、わたしたち人間の負の歴史を振り返り、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うことで、起きてしまったことを許し慰める段階に、ようやく進めるのだ、と思います。

わたしたちは、大日本帝国が侵略した国々で何が起きたのか、知らないことが多すぎる。

東南アジアに住んで10年を迎えるわたしだからこそ、知り得た情報を、今後、わたしは、この「許し」をテーマに、ライターとして、ライフワークに取り組んで行きたいと思っています。

応援いただけましたら嬉しいです^^

マレーシアで上映期間中に、ぜひこの映画を観に来てくださいね!

いいなと思ったら応援しよう!

Matahari @マレーシア
よろしければ、サポートをよろしくお願いします!いただいたサポートは、マレーシアでの平和活動を続けて行く際に、大切に使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。