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<なにもしない>日々を過ごして私が得たもの。夏至と日食と父の日と重なった蟹座の新月に願うこと。


ご無沙汰しております。

このnoteを放置すること1ヶ月半・・・


とにかくこのコロナ禍は

な に も し な い

に徹する時期

という直感に従い日々を淡々と過ごしていました。

このコロナ禍は、いわゆる「無の境地」を体験できるかもしれない絶好の機会かも?と、何故か思ったんです。

外からの刺激を一切断ち、静の時間を持つことが出来たのは、たぶん生まれて初めての経験でした。少なくとも成人して社会人になってからは。

大学に進学せず就職した私は、18歳から(高校時代もアルバイトしてたのでそれを入れたら16歳から)休むことなく働き続けてきました。結婚して渡米しアメリカで働きながらカレッジに通ったり、出産後もマレーシアでは産休が2ヶ月と短く、出産の前日まで働きスピード復帰したり、多分一般的な人よりワーカホリック気味な人生を歩んできました。会社員を辞めて会社を起業してからも、フルタイムの時ほどは忙しくないとはいえ、常に途切れずに何らかの仕事やお付き合いを抱えている状態でした。子育てに伴うお付き合いも多い方だったし、自分の趣味の習い事などで、ほぼ毎日出掛けるライフスタイルが20代の頃から当たり前に私の人生に染み付いていました。

その生き方の裏には、父の仕事熱心な姿や、その父を専業主婦として支えた母の、後ろ姿が大きく影響していたと思います。

頑張って休まず働くことはいいことだ

という揺るぎない価値観がありました。

働かざるもの食うべからず

ですね(汗)


そんな親譲りの私の生き方と日常が、コロナ禍で一変。

行きたくてもどこにも行けず、これまでお世話になっていたお仕事の顧客も身動きが取れず、日本在住の方々はマレーシアに入国が出来なくなり、オンラインで定期的に受けていた仕事も、この未来が不透明なご時世のためか激減。

同じく夫も出張の多かったお仕事が当然中断を余儀なくされてしまいました。

そんな不可避な状況を嘆いても始まらない。

この地球規模の危機を、嘆いてばかりいないでとことん家族で楽しむことにしました。

結婚してアメリカに渡ってすぐに起きた2008年のリーマンショックの時は、まだ若かったせいで右往左往しました。でも今回は年の功かな?そこまでジタバタせずに、スッと前を向けたように思います。当時はいなかった二人の間に生まれてお互いの性格を譲り受けた息子の存在も大きいと感じています。

息子を見ていると客観的な視点に立てるんです。夫や自分に似てる発言が飛び出す度に苦笑い。ちょっと考え方を変えたり緩めてみようかなって気付きをくれる存在です(笑)

そんなわけで、またとない、私たち家族に神様から授けられた空っぽの箱。

そこに何を詰め込むかは自分たち次第なわけです。

夫はそこに

「新しい事業を創造する」

という夢や希望や野心が詰まったアイデアを詰め込むことにしたようです。この期間に仲間と新会社を設立しフル稼働で頑張ってます。男ですねぇ。(この件についてはまた機会があれば書きましょう。)


私は、いろいろ葛藤と逡巡の末、、、

な に も し な い

ことにしました。

会社経営者という立場で、それではまずいんじゃ、、、と思ったりもしましたけどね。

それ以上に得るものがきっとある、って確信に近い感情がありました。

当然、最低限の妻として母としてやっとかないといけないことは日々結構あるにはありますが、それ以外はほとんど何もせず、ずっと家にいて、ビフォーコロナでは考えられなかった時間の使い方をするようになりました。

朝、気持ちのいい風が吹く時間に、ベランダに座って、ただひたすら樹々が風にそよぐのを眺めたり。

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最近ご縁があって飼い始めた2匹の子猫とリビングのソファでお昼寝をしたり。

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その日の気分で選んだアロマオイルを垂らしたお風呂にゆっくり入って、足の裏のツボがどの臓器と繋がっているのかを一つ一つ確認しながら、ひたすら丁寧にマッサージしたり。


ぽっかり空いた時間の隙間に、たくさんの心地よいことが自然と入り込んできました。

この期間に、健康的に食べて運動する習慣も出来ました。(夫と料理したり散歩したり、ご近所さんとテニスにハマったり。)

これはテニスコートから朝陽が昇る時間に撮った写真。クアラルンプールの街が動き出す前の時間。

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不思議なことだけど、親がそういう生活を送っていると、野菜嫌いで偏食気味だった息子が、刻んであげれば野菜たっぷりの食事を嫌がらずに食べるようになりました。これ全部チャーハンに投入し完食します。

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なにもしない

何の予定もない、する必要もない日々。

生まれて初めて得た自分が好きに選べる時間。

この時間を経て、長い目でこの先の人生にとってお金では買えない大切なものが見つかった時間となりました。

不安を押し除けて、なにもしないと決めた時に感じていた直感通りに、まさに思った以上の結果が来たというわけです。

そんな日々を過ごしている間、このnoteには意識的にログインしなかったのですが、、、

正直に言うと、常に頭の片隅に消えることなく鎮座していました。

常にわたしに話しかけてくる存在と言ってもいいかもしれません。


そして、今日。

6月21日(日)

蟹座の新月と、部分日食と、夏至と父の日が重なった日。

ようやく、本当に久しぶりに「書いてみよう」という心境になり、noteを開いてみたら。


気付けば、フォローしてくださる方が1000人に近づいていました。👏👏 

(927名。 6/21/2020現在)


なにもしてないのに。

なにも書いてないのに。


不思議だ、、、。


一気に増えた読者さんが読んでくださっている記事をダッシュボードで確認してみたら、フォロワーさんが増えた理由がわかりました。

マレーシアの第二次世界大戦中と後を描いた映画「The Garden of Evening Mists」のいくつかの記事がダントツトップでした。日本では大阪の映画祭でのみ上映になったそうです。日本が誇る阿部寛さんが主演で日本庭園を造る庭師役なので、いつか日本全国で上映され英領マラヤと旧日本軍が統治した時代の悲しい歴史について、もっと知る人が増えることを願ってやみません。

そして、続いてマレー半島やアジアの戦時中の歴史や、偶然この地で知り合った戦争経験者やその遺族の証言などをまとめているわたしのnoteマガジン「Before Too Late」、それからマレーシアのコロナ禍のロックダウン(MCO)についての記事が、よく読まれていました。

この特別な日を境に、読まれている記事と自分の情熱が交差する部分を意識しながら、また少しずつ活動を始めていけたらと思います。

余談ですが、この期間中に読んでいた本をご紹介します。

どちらも戦争時代に関する本です。


まず一冊目は

The Garden of Evening Mistsを書いた作家Tan Twan Engの本

The Gift of Rain

真珠湾攻撃と同じ日に起きたマレー上陸作戦。その戦争を開始する以前に大日本帝国が調査のために英領マラヤに送った外交官と現地で知り合った中華系の青年との間に芽生えた友情の物語です。

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ずっと読もうと思って本棚に仕舞い込んでいた山崎豊子さんの二つの祖国は、真珠湾攻撃を機に運命が変わってしまった日系アメリカ人の親子の物語
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上の五冊を読了するためには、日頃抱え込んでしまったたくさんの荷物を下ろす必要がありました。ただただ壮絶で人間の深い葛藤を描いた物語。自分の中を空っぽにしないと、読了は難しかったと思います。

ぽっかり空いた時間に、自分と向き合う時間が出来たことは、今後の私の、そして家族の未来に、大きな発見を生んでくれたと思っています。

生きた時代は異なっても、この本の中で描かれている家族や関わる人々と同じく、たくさんの喜怒哀楽の時間を刻んで来た私たち。

絡まった糸が少しずつ赦し(ゆるし)と共に解れ、家族が愛の力で再生して行く過程を書いて残したい、という気持ちが芽生えた今日「蟹座の新月」だったのでした。

あなたはこの新月の夜に、何を願いますか?




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