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マレーシアの中華学校で学ぶ旧日本軍が統治した時代


本日は、マレーシアで20年以上暮らし、中華系マレーシア人とご結婚され高校生のお子さんがいる、中国語が堪能な日本人のお友達から教えていただいたことを書きます。

お子さんは、中華学校で学んでいて、中国語はもちろん日本語も英語も堪能。

う、う、羨ましい。

これは、中学校一年生が使う中国語の教科書。

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その教科書の中から

『永恒的怀念』著者 夏諾

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をご紹介します。

中華系マレーシア人の著者が、南マレーシアの西海岸にある村に旧日本軍がやってきて襲われそうになった経験を描いた9ページに及ぶ物語です。

簡単に内容を説明します。

当時は「旧日本軍は中華系ばかりを狙っている」という噂がありました。ついに兵士たちが村にやってきます。逃げ場を無くしているところに、昔に仲違いをしてよく思っていなかったマレー人の男の子(阿末)と出会います。予想に反して彼が助けてくれ、その家にいた阿末の母親に匿われ身を隠し、無事敵に見つからず命が助かります。安心したのも束の間、その兵士達が、今度は家族が住む家の方角に向かったことを知り、恐怖の中で家族の身を案じていると、阿末は「自分は中華系ではないので殺されないと思うから大丈夫。」と言い残して、制止を振り切り行ってしまいます。その後、阿末は、兵士に拳銃で撃たれ大怪我をして道端に倒れているのを発見されます。彼が教えてくれたおかげで、家族は間一髪で逃げ切ることに成功し、全員が無事でした。

このような物語を、中学校一年生で学ぶそうです。

実際に歴史を紐解いて行くと、イギリス領だったマラヤに日本軍が上陸し半島を陥落するまでの3ヶ月間、そして陥落後にも多くの現地の民間人が殺害されています。正にこの物語に出てくるシーンのような光景が各地で繰り広げられていたのです。

イギリスが無条件降伏し、日本軍がシンガポールを陥落すると、シンガポールは「昭南島」と命名され、その後3年半もの間、日本に統治されることになりました。

陥落後間もなく「抗日分子」と疑われ、ゲリラ活動をする恐れのある者を掃討するという目的で、「シンガポール華僑粛清事件」が起きました。

1942年2月19日、昭南警備隊(憲兵隊)により

「シンガポール在住の18-50歳の華僑は21日正午までに所定の場所に集合せよ」

という命令が出て、21日から23日の三日間に、多くの「抗日分子」とは無関係のシンガポール華僑も殺害されました。その数は、4000とも5000人とも言われています。

参考:シンガポール華僑粛清事件


この事件に限らず、この後も幾度となく罪のない住民虐殺が起き、その被害者の血縁や生存者たちが、今度は自分の意思で抗日ゲリラに加わったという背景があるようです。


罪もないのに殺害されたり傷つけられた人々の無念さや、陸軍上層部の無計画な指示に翻弄され、将棋の駒のように扱われ、上からの命令に盲従するしかなかった前線の旧日本軍の若い兵士達の辛さを、それぞれの立場で想像すること。

マレーシアやシンガポールに限らず、戦時中各地で起きたことを、民間の人の視点から知ろうとすること。

何故そんなことが起きてしまったのか、について考えること。

この文章を書くこと。

様々なきっかけをいただき、貴重なお話しを聞く機会をありがとうございました。

最後まで読んでくださったあなたもありがとうございます。

今も世界の各地で迫害や紛争が続いています。

私は、ご縁があってマレーシア国内に逃れてきたミャンマーチン族難民の子供たちの支援をしています。この二年間の間に多くの友人たちもボランティアに協力してくれました。

長い間、母国に帰れず、異国で教育や医療が満足に受けられない中、一生懸命に生きている子供たちと過ごしていると、自分が置かれた立場がいかに恵まれていて、今何が出来るのか、を常に考えさせられます。

一人より二人、二人より仲間がいた方が、活動も続いて行くし個人ではできない事が可能になります。

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