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わたしは世界で一番大事。何よりも絶対に確実に。

インターネットのおかげで、私は昔に比べるととても生きやすくなった。

昔から集団生活が苦手で、学校がいやでしょうがなかった。でもネットの世界には、私と同じ思いを持つ人がたくさんいて、学校になんか行く必要はないと言ってくれる人もたくさんいる。

個人が発信できるようになって、今までの「常識」の影に隠れていた声が表に出てくるようになった。その結果、「みんな正しくてみんな良い」という多様性を認める世の中に少しずつ、でも着実に変わろうとしている。

そんな多様な価値観を知ると、絶対的な正解なんてないんだなぁと気付く。だって私の偏った意見でも、誰かはイイねと言ってくれるから。



でも多様な生き方が認められる世界は、実はとってもタフなものだと思う。
昭和生まれの「良き人生」とは

偏差値が高い大学に行き、大学で勉強を頑張りサークルの部長としてサークルをまとめあげ、誰でも知っているような大手企業に勤め、30前に結婚をして、マイホームとマイカーを手に入れて子供を2人つくり、そしてその子供も自分たちと同じ道を歩むというものだった。


ところが平成生まれが思う「良き人生」はきっと

お金よりも、時間と自由があって、自分らしく生きていくこと。

に変わった。昭和の良き人生よりも実にシンプル。

ただ具体的な道筋がなくなり抽象度が高くなった分、「自分らしく」とは何? と道に迷っている人が多いように思う。


スマホに手を伸ばしSNSを見ると、インフルエンサーと呼ばれる人は、みんな「自分らしく生きる」を手に入れた人たちばかり。それに比べると、自分はまだまだ「自分らしく」を手に入れられていないなぁ。と感じる日々を積み重ねる。


そこで考えてみる。彼らのように「自分らしく」生きたい。インフルエンサーのように生きられれば、自分は今よりももっと自由になれるのだろうと。良い人生に近づけるだろう、って。

具体的な良い人生のレールがひいてあった昭和の価値観に比べると、今は「良いとされる人生」が抽象的でつかみどころがないモノになった。だからこそ、みんな分かりやすい「誰か」にすがり、そこを目指そうとするのではないだろうか。


良い人生って何なのか分からない。色んな生き方があって、どれも正しいとみんなが言う。だから迷う。私はいったい誰で何者で何がしたいのか? 好きなことをして生きていくって言うけれど、私が好きなことって何? 

昭和の時代は両親と先生と上司が決めてくれた。でも今は誰も判断してくれない、自分で決めるしかないのだ。



多様性と自由が、新しい生きづらさを作っている。



私は思う。無数の選択肢が存在する中で、きっと必要なのって根拠がない「自分は世界で一番大事だ」という確信だと。多様性の海の中に飛び込む前に、しっかりと「自分は絶対に大事、自分は自分なだけで最高」というイカリをおろしておくことだと思う。

「自分」に価値があるとしっかり認識していれば、すべてが正しいと言われる世の中で、下した決断に自信を持てる。成長するより、発信力をつけるより、まずは自分の身体と感情は「絶対に一番大事」なのだ。


ただ、悲しいかな。それを教えられる大人は多くない。昭和生まれの私たちも、抽象的で多様性がある世界に急に放りこまれたもんで、恥ずかしながらおぼれちゃっているから。


こんなことを、まだ「家族と過ごすことが絶対一番大事」とみなが信じているベトナムの片田舎で考えてみたのでした。

昭和時代の最終ロットの私より


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南洋子
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