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帰国すると、イライラしがちな日本人に戻る問題

日本に帰ってくると、海外で暮らす時の自分と中身が入れ替わってしまったんじゃないか、と感じることがある。

初対面の人にいきなり慣れなれしく接しちゃだめだよね。すっぴんで街を歩くことを恥ずかしい。人前でいるときはなるべく笑みを絶やさずいないといけない。30歳を超えているのだから、やっぱりミニスカートはやめておこうとか。

台北やベトナムにいる頃に気にしていなかったことが、急に頭の中に入り込んで私を支配していく。ただ飛行機に乗って数時間の時差を超えて、母国に帰ってきただけなのに「あるべき、するべき」という見えないものに囚われてしまう。

不思議だ。



そしてさらには、他人の言動にも敏感になる。

電車の中でうるさく電話をする人、道いっぱいにならんで歩く人、進まないバス、愛想のない居酒屋の店員。ベトナムに住んでいる時には、気にもとめなかったことに、イラっと胸が騒ぐ。



きっとこの現象、私だけじゃないと思う。例えば海外旅行に行って、日本と同レベルの清潔なトイレがなくても、店員さんが無愛想でも、電車が時刻通りにこなくても。まぁこんなもんよね! と大抵の人は許せると思う。これも旅情…と。

でもひとたび飛行機が日本の地に触れた瞬間に、海外では許せていたことが許せなくなる。数時間前までは気にならなかったことに、イライラと気が向く。


同じ人が、こうも変わってしまうの? 

改めて、日本ではいろんな物事が整然と当たり前に存在していて、そしてその社会が持つ同調への吸引力は強いなぁと唸る。


2019年は約100日は日本で、それ以外はハノイとバンコクと台湾で過ごした。日本とそれ以外の場所を行ったり来たりを繰り返す中で、確信を持ってきたことがある。

日本で暮らす人は、境界線の引き方を知らない

自分と他人との間に境界線がない、雑炊のような社会だと思う。

「XXXをやったら笑われるだろうな。白い目で見られちゃうだろうな」こんな風に感じることがある。それはそのXXXをすると、他人の視線や考えが境界線なく、ダイレクトに自分へ向けられると予想しているからだと思う。

私が今まで住んだり滞在した国の人は、自分と他者との間にしっかりと境界線がある。行動を起こす前、他人の考えが自分のテリトリーに入ってくるなんて考えつきもしない。また他人の不機嫌と自分の感情の間にも境界線があるから、店員がどんなに無愛想でも、イライラすることが少ない。一言でいうと「自分に関係ない」から。

影響は受けるかもしれないけれど、トドのつまりは「関係ない」で終わりなのだ。


とまぁ、分析的に自分の変化を考えてみても、この「境界線問題」をどう解決すればいいか…はまだ分からない。分からないからこそ、私はまだ日本ではなく海外で暮らしているんだろう。

理想を言えば、どこにいても誰と過ごしても、自分の周りにきちんと境界線をひき、必要以上に他人の目を気にすることをやめたい。そして他人の境界線をもっともっと尊重できるようになりたい。自分のスタンダードに合わないことにも、客観的に向き合えるようになりたい。

はぁ、なりたい。寛大な人に。


一時帰国も、残り一日となった。あさっての早朝私はまた日本を出る。それまでの間、自分では制御不可能な他人や社会の言動にイライラしたとき、おまじないのように唱えたい。

「これは私ごとではない。境界線境界線境界線…」と。


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南洋子
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