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実名だもん。炎上怖いっす

私はここnoteとTwitterでは、実名と実顔をさらしている。

実名を出した理由は、これまで雑誌やウェブメディアで書いたり編集したりする時は、実名で記事に署名をするのが当たり前だったからである。だから特に偏った考えを披露するのではなく、メディアの延長線上で自分がイイと思ったことをシェアするのであるから、本名を隠す理由がないと思ったからだ。



Twitterは始めて1年半くらい。昔に比べると多くの人に見ていただけるようになった。

自分の正体を見せて、私が発信した情報がすごい勢いで広がって行くのは「快感」以外の何物でもない。特に1万以上イイねがつくとき、イイねのハートが、回転するように増えていくのを見ると、自分が認められているかのような錯覚に陥ることがある。バズは気持ちいい。

今年に入り1,000以上イイねがつく投稿が何個かあって。悦に入りながらも、怖さも覚えた。これは情報が拡散していく様子を、当事者としてみたことによる。すごい速さで、リプがつき、私が自由に発信した情報に、みんながまた自由に自分の意見をつけて、再発信していく。

その過程で、何度も自分が発信した意図が、伝わっていないことがあった。ただ、情報拡散のスピードが早すぎて訂正をする暇もないし、再発信の量が多すぎて伝言ゲームの終点で何が起きているのか。知るよしもない。何者でもない私が得た、新しい怖さ。



超絶快感バズを経験してから、少し私のTwitterでの振る舞いは変わったように思う。炎上しない、ネガティブな意見がつきにくい(負の現象に転じえない)投稿が多くなったのだ。本当は世界情勢や、ジェンダーの問題など。社会問題についても、私の思ったままに発信したいと思うんだけど。名前と顔を晒してしまっている以上、誹謗中傷されるのが異様に怖い。

この1ヶ月で、炎上し誹謗中傷を浴びて、SNSから退場した人を何人見ただろう? 彼らの言葉遣いや、差別意識など。公の場で発言すべき内容ではなかったのは確かだけど。私は批判はその発言にのみ向けられるべきであって、個人が攻撃される必要はないと思っている。

人格の矯正まで、正義の旗を振りかざし行う必要はないのだ。他人の思想を漂白する権利はない。


炎上を恐れるがあまり、多様な意見がでてこない世の中ほど窮屈なものはない。生きとし生ける人間が発信力を得た今。私たちは自分の意見とは異質なもの存在を認める、心の準備が必要だと思う。ネットで世界と繋がる前に。


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南洋子
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