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究極の選択:「ウ⚪︎コ味のチョコレート vs チョコレート味のウ⚪︎コ」
まだnoteを初めてまもないのに、なんてタイトルで書いているんだ?と思ってしまいますが、先日、小3の長男が我が家に持ち込んだ話題です。
人生誰しも一度は出くわすであろう「究極の選択」について考えてみました。
お食事中の方、ごめんなさい。
P.S. よく考えたら「チョコレート」よりも「カレー」の方がメジャーですね。
なんで長男は「チョコレート」だったんだろう・・・
究極な質問
人生絶対どこかのタイミングで、どこからともなく、ふっと湧いてくる、誰が考えたかわからない「究極の質問」。
小3の長男にもとうとうそのターニングポイントがやってきたようです。
先日、夕食後にキッチンで洗い物をする私のところに長男が突然やってきて質問してきました。
長男: ママ、”チョコレート味のウ⚪︎コ”と、”ウ⚪︎コ味のチョコレート”どっちがいい?
私: あぁ、あれね。私は間違いなく”ウ⚪︎コ味のチョコレート”だけど、あなたは?
長男: 俺も。だって、ウ⚪︎コ食べるんじゃなくて、チョコレート食べるんだもんね〜!
納得したようですぐに向こうに行きました。
その後も洗い物をしながら考えていたのですが、そういえばこの質問、一体誰が考えたのでしょうか・・・?
みなさんはどちらですか?
この質問って結構”ウ⚪︎コ味のチョコレート派”が多くなりがちな気もするんですが、どうでしょうか?
そもそも、形容詞を取ったら本質は「ウ⚪︎コ」と「チョコレート」の対立なわけで、そこはよく考えるとそこまで究極な選択ではないかな、なんと思ったんです。
昔は、え〜!?どうしよう〜!?って思ったものでしたが。
さらに究極な質問
そこで考えました。
こっちの方がきっつくないか???と。
「チョコレート味のウ⚪︎コ」vs「ウ⚪︎コの臭いのするチョコレート」
基本コアラ以外、普通の方であればウ⚪︎コ味を知っている方も少ないので、パッと思いつかないと思いますし、目隠しをされたらはっきりいって「変な味」という範囲で許容できるものかもしれませんし。(絶対嫌ですが)
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でも、何がきっついかって、やっぱり「知らないウ⚪︎コの味」よりも「すでに知っているウ⚪︎コの臭い」の方だと思うんですよね。
なので、味はチョコレートのままだけれど、臭いが「ウ⚪︎コ」だったとしたら、口の近くに持っていくこと自体死ぬほど勇気と覚悟が要ることだと思ったわけです。
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圧倒的に重さに差があったシーソーが、これでグッと均等に近づいた気がする!
と、洗い物をしながら、本当にどうでもいいことを考え、長男にぶつけてみました。
「”チョコレート味のウ⚪︎コ”と、”ウ⚪︎コの臭いのするチョコレート”どっちがいい?」
残念ながら、かなり困惑した表情を見せ、説明してみたものの、何を言われているかよくわからないといった顔をしてブツブツ呟くと、話を逸らしてプイッと向こうに行ってしまいました・・・
後には、2つの汚いチョコレートをイメージした私の虚しさだけが残りました・・・。
(そして、書いておいてこういう話題ってnoteでは許されるのか、という心配も若干残っています・・・)
人生は選択の連続
人生ってここまで究極ではないものの、やっぱり大なり小なりの選択の連続だと思うんですよね。
さすがにこのチョコレートが云々みたいな選択や、ホラー映画「SAW」シリーズみたいな理不尽で残酷な選択なんかは出くわしたくないですが。
だんだん親が直接的に選択に口出しをしなくなってくる頃であれば
・どこの大学に入るか
・何を専攻するか
・なんの仕事をするか
・誰と結婚するか
から始まり、現在の私生活では
・子どもを私立の中学校に入れるべきかどうか
・田舎に引っ越すべきか、都会に残るべきか
・車を運転すべきか、ペーパーのままで良いか
とにかくまだ答えを出していない選択もまだまだたくさんあります。
きっとここからまたさらに数年経つと、介護や相続、健康問題といったものもやってくるのかな、なんて思うと、色々な選択からは逃げられないなと思います。
人によっては「あのときこうしていれば今どうなっていただろう?」とか「あの選択をしなければよかった」とずっと何年も後悔が消えない選択もあるかもしれません。
でも残念ながら過去の選択を覆すこと自体が不可能であることがほとんどだと思いますので、そのためにも間違った選択をしないように知恵をつけていく、ということなのかなぁ、と思います。
もちろん、知恵や知識だけではどうにもならない選択もたくさんあるのだと思うのですが。
でも大人になって結構大切だなと思うことは
・何を選択したか
・結果どうなったか
ということ自体よりも、
・誰が選択したことか(自分で選択したことか、人に選択してもらったことか)
・結果に対して結局何をどうするか(終わったことを悔やまずに前に進む気持ちなど)
ということだったりするのかな、と思うと、こういうしょうもない質問も単なる冗談で通りすぎずに、そんな究極の選択に迫られた時、自分ならどうするか?、どう考えるか?その後どうやって生きていくか、そんなことを考える機会をもらったと思ってとことん考えてみることも大事なのではないかな、と思いました。
(まぁ、できればこのチョコレートの味や臭いが云々の質問じゃないほうが遥かに知的で有益かと思うのですが(汗))
何気ない子どもとの会話も、なんとなくスルーするよりも、ちょっと横に広げてみるか、なんて思うのでありました。
ということで
みなさんは、こういう「究極の質問」に最近出くわしましたか?
もしこういう体験ありましたらぜひ教えていただきたいです。
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