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マティスのココアポット

<マティス展> 生誕150年記念展。2020年10月21日より2021年2月22日予定  パリ、ジョルジュ・ ポンピドゥセンター

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はじめに

待ちに待ったマティス展、スタート(2020年10月21日から)は順調であったが結局続行は見合わせになってしまった。原因はコロナ禍が関係している。フランスでは春の第一波に続き第二波の影響で緊迫した状況に追い込まれ、やはり早急に対策を取る事が必要と判断され、再び外出制限が決定された。その際に美術館も他の文化施設同様、閉館する事を余儀なくされたのであった。

12月15日以降昼間の外出は許可されて夜間20時以降の外出禁止にすり替わったが、美術館再開の許可は降りなかった。幸い私はオープン翌日に予約が取れたので見学する事が出来たが、これは世界中に言える事であるがコロナ禍の状況は悪化するばかりで先が見えず、2021年1月現在再開の目処は立っていないのである。

ポンピドゥセンターにしても、マティス展は今のところほんの40日弱しか一般公開されていない。しかしながらその間の展覧会の内容は勿論のこと、コロナ対策の為の入場の人数制限、見学者一人一人のディスタンスのチェック、マスク着用の徹底は厳しく監視され、また、ヴィジター側もその点に関しての心掛けについては十分理解し、申し分ないように見られた。むしろ難点としては展覧会開始数カ月前からの会場の大工事が行われている事であり、特に入口のわかり悪さといったら生半可ではない。入場制限の為インターネットでチケット予約が義務付けられているのだが、おそらく一般のヴィジターで間違えずにセキュリティチェックの自分の該当する列まで来れた人は皆無と言える。中もガランと広く、通常よりも大回りしなくてはいけなく、会場までたどり着くだけでもいいエクササイズになるかもしれない位。

① マティス生誕150年を祝う大回顧展ー文学がマティスの創作に与えた影響。

とにかく大規模でバラエティに富んだ企画。だだっ広いスペースに絵画、彫刻や資料等トータル300点以上の作品が並んでいる中、鑑賞するのに殆ど他人を気にする事なく気に入った作品にじっくりとかぶりつき…、こんな贅沢な芸術鑑賞ってかつてパリではほぼ未体験であった。しかもマティスの、ポンピドゥセンター所蔵作品以外も加えて、普通観ることの出来ないものや、作品展示の方法も見事で、例えば大きな窓からのパリの景色の前に彫刻が並んでいるが、この演出は見事である。

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ポンピドゥセンター最上階からの景色は素晴らしい。下の写真はモンマルトルの丘頂上のサクレクール寺院を中心に広がっているパリの街だが、この景色をバックにするとマティスの彫刻はまた違うものに見えてくる。他では味わえない、世界でたった一つの展示背景だ。これだけでも一体いくら払う価値がある?

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見学コースはいきなりセザンヌの作品<3人の水浴>からはじまる。誰の展覧会だっけ? と、真剣に疑問を持ってしまう程。実はこの作品はセザンヌが描いたものであるが、マティスが購入してずっと保持していたものである。多くのアーティストからも影響を受けていた、と言うか様々な人のスタイルを器用に吸収していったマティスであるが、とくにセザンヌの構成、色彩、ダイナミックなところはしっかりと受け継がれていると思われた。このエキジビションのテーマは<文学がマティスの創作に与えた影響>であるが、文学とともに、また仲間に恵まれて幅広いジャンルに関心を示して自らの仕事に取り組む姿勢がアーティストを輝かしい成功の道に導いたのだろう。

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展示はほぼピリオド順に構成されているが、正直なところ内容が濃すぎて、全部じっくりと鑑賞するのにはかなり時間が必要。さっと流して全体を見るか、(絵画の他に彫刻、文学もあるので正直なところ私は後半は軽く流して目の保養という感じで見ようと予め決めていた)または部分的にじっくり鑑賞してあとは諦めるか、それとももう一回来るか…。

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②マティスとアルベール・マルケの間柄

アンリ・マティス(1869-1954年)は幅広い交流関係に恵まれていたが、アルベール・マルケ(1875-1947年)との友情は特に今回私が気になったマティスをより深く理解する為のキーポイントの内のひとつ、<マティスのココアポット>の謎を解き明かす為に欠かせない要素であると思われた。マルケも画家であり、マティスよりも若く、けして裕福な家庭で育ったわけではないが、二人ともエコール・デ・ボザールでギュスターヴ・モローに師事していたところから繋がりは始まった。年齢が6つも離れていたことからマルケがマティスを兄のように慕っていたのであろう、マティスが絵の具を買ってあげていたという話もある。ノートルダム大聖堂の眺めが素晴らしいカルティエラタンのアパートメントにマティスが長年住んだあと、翌年にマルケがそこに入居した事実がある。私は中に入ったことはないが、外からみても全体的に天井が低い小さめの部屋のようだ。それにしても景色を考えると、画家にとっては理想の住まいであったに違いない。そのマルケとココアポットが何の関係があるのかというと、実はマティスへの結婚祝いの贈り物だったそうで、しかもマルケ1人ではなく数人のフォーヴィズム仲間からの合同プレゼントだったらしい。それにしてもマティスが相当ココアポットを気に入ったであろうと言うのは明らかで、今回のマティス展でもココアポットを題材にした絵画が数点あり(正確に何点か数えなかったことを少し後悔、しかしながら5点以上は確実)、狭くはあるが一つのスペースを占めていたのだ。これは何か意味があるに違いない。その意味を知らないままではあまりにも残念ではないか。そこでこのココアポットはマティスにとって、また画家の創作活動にとって何を表すものか考えた。

③マティスにとってココアポットとは何?

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ココアはフランス語には存在しない。<ショコラ・ショー>と言って注文しないと「はぁ?何ですか?」ということになる。今ではカフェやティーサロンなどでプードルタイプを熱湯で溶いたものがサービスされるが、これが<ショコラ・ショー・ア・ランシエンヌ>(昔タイプのココア)とメニューに記されていた場合はブラックチョコレートにミルクを合わせたもので、かなり濃厚で、この甘さに耐えられない人もいるので要注意。ではマティスはどうであったのか?この画家をよく知っているはずの友人達のプレゼントなのだから単純に考えればマティスの喜びそうなものをじっくり時間をかけて選んだのに違いない。が、マティスがココア好きと言う評判は聞いたことがない。私が今回参考にしたフランスの専門誌<AAE ENSAD- エコール・ナショナル・シュペリウール・デ・ザール・デコラティフ(国立高等装飾美術学校)の卒業生のアソシエーション出版- 2018年7月31日号>によるとこれはココアあるいはコーヒーを入れて使っていたのに違いないと推定している。確かにこの様な容器に毎日ココアばかり入れて飲んでいたとは思えない。そもそもフランスではこういうポットは17世紀にカカオの飲み物を作る為に使用される様になり、1800年半ば以降各家庭で必需品となったが、最近の様にプードルタイプが出回る様になってからは徐々に使用される事も少なくなってきた。マティスはよく私物を絵のモデルに使ったらしいが、この場合は丸くて球根みたいで、取っ手が尖っていて、表面は輝くシルバーであるこのポットのデザインに魅了されたのではないかと思う。

④静物画は生きている?

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マティス                   ココアポットに生けられた花束   1902年   ピカソ美術館 


実はこの絵を気に入ったピカソが1939年に購入。ピカソとマティスもライバルとしてだけでなく友人としても長い事絆を深めていった。この絵の何が気に入ったかはわからないがやはり感情的な何か、あるいはストーリーが展開したのか…。 客観的にみるとこれはココアポットに花束を生けてあるところが大胆である。ポットの渋い色合いが明るく華やかな、でも優しい花を引き立てている。想像してみると、花は女性を表しているのではとも思える。全体の構成の半分以上を占め、人間の様に微笑んでいるかのようにさえ見える。実はマダム・マティスは2人の結婚一年後、帽子屋を開いたとの事、これはそのお祝いのつもりだったかも知れない。マルケからの贈り物のエピソードといい、このココアポットに纏る話しはしばしば親密感で溢れている。そう考えてみると静物画としてだけではなく、ココアポットは時には感情を持ち、表情に加えて、時には座ったりポーズをとってみたりしそうでさえある。3枚の絵を比べてみるとまた面白く、構成全体とのバランス、色彩がそれぞれ全く違うので同じココアポットとは思えないくらい。「優れた役者は10作のまったく様々な舞台劇を演じる事が出来、一つのオブジェは10種類の違うイメージの中でそれぞれ表現する事が出来る。」と語ったそうだがまさにこのココアポットシリーズそのものを指しているようである。


最後に(あとがき)

繰り返すが、ココアポットシリーズはマティス展の作品全体の半分にもならない、ほんの一部なのだ。これだけの大規模な展覧会を世界中のマティス  ファンに思う存分堪能してもらいたかった。今後更に画家に対して興味を持ち続けて幅広い研究を続けていきたいと思う気持ちを明らかにしてくれた。 主催者に 感謝の気持ちを表したい。


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