ギュスターヴ・モローの生徒
シャルル・カモワンの展覧会
さてまずは何をさておき今回は少し前に投稿した<ギュスターヴ・モロー美術館に行く貴方へ>をまだ読んでない方、或いは読んだけどギュスターヴ・モローって誰だっけ?という方の為にリンクを早速ご用意。
今回の記事はこの作品を読まないとあまりピンと来ないかも。逆に読んでもらえれば今回の内容もスッと入ってくる。
…と思う。
とは言え上の記事の中にシャルル・カモワンの名は全く出てこない。私もその時はあまり注目していなかったのだけど偶然今回薔薇の庭園のためにパリのモンマルトル美術館を訪ねた際にそこで開催されていた特別展が<シャルル・カモワンー自由なフォーヴ派メンバー>であり、内容を見たらちょうど美術学校でのギュスターヴ・モローと生徒達のことが書ける、特に名作を模写することで学べるという考え方をより理解出来ると思って今回シャルル・カモワンに協力して登場してもらう事にした。
そのためにはさっとカモワンについて、特に画家としてどんな絵を描くのか、またどんな活動をした人なのか今回の特別展を通して発見してみよう。
会場はあまり広くはないのだけれどフランスの大抵の美術館と同様ノン・フラッシュを条件に写真撮影はok.
見学者も私以外に数人の女性(ドイツ語を話す二人の女性とはリズムが同じで、殆ど一緒であった)、あとは入れ代わり、特に最後の方で一緒になったカップルの男性が全く訳わかっていなかったみたいで反応が全くスットンキョウとはまさに君のことだよと言いたくなるような様子で笑わせてくれた。
きっと彼女について来たのだな。
その時唯一の男性見学者であったので余計目立ったが可愛いかった。
ま、それはさておいて作品を観るにしても写真を撮るにしてもやりやすい環境であった事は明らかであった。
さて、展覧会の始めはやはり軽い自己紹介。シャルル・カモワンはマルセイユ出身で父親はペイント&装飾の会社を持ち、カモワン自身はマルセイユの美術学校で学んだ。パリに住んだのは1897年頃母親に励まされて、そしてパリ美術学校にてギュスターヴ・モローに出会い生徒になるのだが、数ヶ月後にモローが他界してしまう。マティスやマルケとの出会いもここであるが、モローがあまり自らのスタイルを生徒に押し付けることをしなかった事もあり、どの生徒もモローのスタイルそのものの影響は殆ど受けていないような気もする。
その代わりルーヴル美術館等でのコピーを中心とした修行という姿勢は仲間達と共に身につけたし、マティスやマルケと過ごした日々、また1900年から1903年まで兵役で、そこでセザンヌと出会った事実はその後の画家カモワンに多大なる影響をもたらしたことは明らかで、これは後に詳しく話そう。
そして何より他の仲間と異なるところはやはりマルセイユという南仏の都市出身というところではないだろうか。
弱々しい、でも紫外線をはっきり感じる太陽の光を浴びてロラという女性は冬の装いで夢中になって何かを読んでいる。この絵は様々な仲間達と過ごした日々や、勿論先輩画家との出会いー、実は1918年にカモワンはカーニュ・シュル・メールのルノワールを訪ねたこともあり、その影響も否めないのである。
かと言ってパリのモンマルトルにアトリエを持って暮らしたこともあるので近所ではそこそこ知られていた位、パリジャンとしてのエスプリも持ち合わせていた事も忘れてはならない。
結論を先に述べてしまう様であるが、カモワンのスタイル、特に色、光に対しての強いこだわり、ライン、構成など、フォーヴィスムなのかそうでないのかのある種の多様性はこうした様々な出逢いから生まれてきたのであろう。
100%ピュアなメイド・イン・フランスも良いけれど、こういうミックスも非常に興味深くて事実面白い。
フォーヴィスムと言われながらカモワンは自由に表現を楽しんで泳ぎ回っている。まさに<水浴の人>だな。
さて、ここでギュスターヴ・モローからの強いすすめで試みた美術館でのコピー(模写)について触れてみよう。
模写そのものは以前からよく行われていたが、これをアプレンティサージュとして生徒達にもバシバシ勧めていったのは他の誰でもなくカモワンの師であったモローなのだからこれは実行あるのみ。
もちろん仲間のマティスも。
例えば、
原作のシャルダンの<買い物帰りの女中>を真似して描いたのであるが、見事である。
シャルダンのこの作品はおそらく現在一般公開されているらしい(シュリー翼の二階〈日本式で言うと三階〉ルームナンバー921)。何せルーヴル美術館の所蔵作品は莫大な量で、現在一般展示数35000〜38000で公開されていないものも含むと40万点以上と言われている。
故に常に公開展示されているとは限らない。
頻繁な貸出と、修復(特に油絵は古くなってくると色がどんどん薄くなるもんね)を考えると、また一度一枚の絵を例えば日本に貸出すると戻ってきてから何も問題なくても修復したり、休ませたりしなくてはいけないので、複雑である。
だからがっかりさせて申し訳ないのであるがあの<モナリザ>が日本に出張するなんて事は今後二度とありえないのである。
以前館内を移動しただけでも大変だったのだから。
皆さんがルーヴル美術館に移動してね。
逆に言えば<モナリザ>はもう貸出することはないのだから、いつもルーヴル美術館であの謎の微笑みで貴方を迎えてくれる。
ただ修復はあり得るだろうな…。
マティスの他にも多くのアーティストは当時ルーヴル美術館に出入りして模倣をしてテクニック習得に努めた。
このやり方は恐らく最適であろう。
今もそうだけど、まず学校等の養成機関はパリにも、また他の都市にもあまりない。だからカフェに入り浸ったりして情報交換をしていた。
カモワン展では特にカモワンのコピーした作品を数点紹介して、どれだけ彼が師と仰いだモローの教えを忠実に受け止めてコピーに精を出して取り組んだかわかるように後半に集中させて、カモワンによるセザンヌの、マネの、またアングルその他ルーヴェンスやフラゴナール等の名画のコピーを紹介した。
ひと目見ておわかりのようにカモワンは主役の3人ではなく後方の女性を中心に描いている。その理由については色々と考えられるがやはり「この人何やっているのだろう?」という素朴な疑問も可能であるが、よく考えると<水浴>している、しかも女性を描きたかったのであろうな。
次の作品はアングルのコピーなので念の為オリジナルも載せてみよう。
両方とも浴女を描いているが、これはもう明らかに浴女の為の習作であろう。
更には
一連の水浴の女達の探求の後カモワンがたどり着いた彼の<水浴の女達>である。
ではセザンヌの作品も見てみよう。
そして
ここにはセザンヌの影響は見られてもまさにカモワンのスタイルが存在しているといえないか?
ではセザンヌのも見てみよう。
とうとうカモワンは自分なりの水浴の女達を探し当てたのである。
セザンヌとの出会いの後、彼の作品を見て衝撃を受けたのであろう。
何故かはわからないがそれが他の作品ではなく水浴の女達であり、何枚ものコピーの挙げ句悩んだり、進んだり、確信に近づいたり諦めそうになったりしてやっと巡り合うことの出来たシャルル・カモワンの<水浴の女達>である。
先にも述べたようにカモワンには様々な要素がある。様々な人との出会いがある。しかしながら彼が大作を仕上げるにおいて、ほんの数ヶ月の師であったギュスターヴ・モローの助言が重要な手助けになっていたというのが、もちろんカモワンの努力と才能、モローの講師としての生徒を見る目もあることは当然だが何より出会いというのは人を導いてくれる興味深い瞬間だなとつくづく思う。
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