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こんな幸せ

幸せは至るところに

現在フランスのパリに住んで政府公認ガイドとして働いているが、20年前はボルドー市内で暮らしていた。早朝は車で一時間位のラカノー(Lacanau)というところまで行き、浜辺で読書をして昼過ぎに戻ってくるという事をよくしていた。

或いはやはり一時間、またはそれ以上かけてメドック(Médoc)まで葡萄畑を眺めながら行くのも好きであった。自動車道沿いには立派な屋敷(ボルドーではシャトー《城》と呼ばれる通常ワイン生産者所有の建物、有名なのにはシャトーマルゴーとかシャトーラトゥールなどがある)がずらりとあるが、一本横の細い道に入ると小さな建物がぽつりぽつりと、どちらもそれはそれで風情がある。

午前10時頃に人を見かける事は滅多にない。それだけ住民が少ない。空気も何気にどんよりした感じ。おかげでその雰囲気に呑まれてぼ〜っとし過ぎて何故自分がここに居るのかを追求した事はなかった。せっかく異国から来て、広々とした空と葡萄畑に囲まれているのにそれが果たして自分にとって何を意味するのか考えようともしなかった。 すべて当たり前の様に受け取っていたなんて今から思うと恐ろしい贅沢。私は環境だけに満足して、実際何も見ていなかったんだろうな。

それからだいぶ経ったある天気の良い初夏、バスから降りて散歩を始めた。とあるワイン生産者と約束があり、早く到着したので時間潰しをする必要があった。辺りは緑一色の葡萄畑、その脇に小さな家がぽつんと建っていた。

まさかそんなところに20年以上たった今でも覚えているような光景が存在するとは思わなかった。小さな木のテーブル(というより机という感じ)と椅子2つ。テーブルの上には飲みかけの赤のグラスワインが2つ。これはデコレーションか?いや、何かの演出か?? 子供時代はずっと東京育ちであった私には衝撃的であった。辺りには誰もいないので想像を楽しむ事にした。

一番考えられるのは父子が作業の途中でワイン飲んで休憩して飲み終わらないうちに作業再開したか。或いは朝の仕事を終えて片付けずに家に戻っていったとか…。

何故父子なのか?何故か私の頭の中ではそれ以外考えられなかった。父と娘?母と息子?母娘?夫婦?…、いやいや、可能性としてはありえるがどれもピンとこない。だいたい今まで私の人生の中でそういう光景を眺めることがなかったのだから、新鮮とも言えた。

そこでふと閃いたのだが朝早くから広い葡萄畑で黙々と肉体労働をした後、木陰でワインを飲みながら一息つく事の繰り返しの日常生活…、他愛のない会話で互いの存在を確認し、生きている事のありがたさを噛みしめる、こういう事を幸せと言うのかもしれないと。

それにしても田舎の当たり前の風景がまだ若かった私にあれこれ考えさせるなんて、大袈裟かもしれないが素朴さというものは人間の基本であり、時には生活に多大なる影響力を与えるのではないかと、つくづく自然でいる事が一番幸せに通じるんだなと悟った。

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その後パリに移り住んでからはそんな事考える事も無く、他人に話す事もなかった。時間が無いというより気持ちに余裕がなかったのかもしれない。すっかり忘れていた。しかし、ボルドーにいた頃よりストレスは圧倒的に多かったので、そんな時は雰囲気の良さげなカフェでコーヒー或いはアルコールを頼んで束の間くつろいでいつもの自分を取り戻す事にしていた。私にとってはカフェでのひとときが仕事の合間に葡萄畑の横でワイン飲むのと同じ価値があったのだろう。

アルコールは何でも好き。その時の気分、季節、時間などでまずはどんなドリンクを選べるかと言うのは幸せと言えるのではないか。一人で飲むか、或いは2人で、またある時は3,4人で、さらには大勢で賑やかに。シチュエーションは変わってもいつもその中に自分がいるのはこの上ない幸せだなと思う。




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