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フリーダ・カーロの香り


以前<アーティストの自画像>というタイトルの記事でフリーダ・カーロについて触れた。

そんな縁があって今回のパリのガリエラ美術館でのフリーダ・カーロ特別展は前々から楽しみにしていたのだ。
なにせメキシコ美術館からフリーダ(今回はファーストネームで呼ばせてもらう)の遺品等の貸し出しは普通そう簡単にはありえないだろうし、特に衣服、コルセットや義足、化粧雑貨等の展示は今回の楽しみのうちの大半を占めるであろうから。


入場に関してはすべてインターネットでの予約制。
行けば何とかなるであろうといったいつもの考え方は通用しない。

その通り、予約してなければも世の中そんなに甘くないといった意味の内容が記された看板が会場入口に置かれていた。

その日の朝は出かける前に何も確認しないで家を出たので会場に着いて急いでチケットを確認。

おお、あった。

ひんやりしたわ。

フランスではたとえ駄目と言われてもねばれば何とかなる事が多いのですっかり慣れてしまったが、今回の場合は実際に断られている人を何人か目撃したので教訓になった。

今後は考え方を改めなくてはいけないのと同時に、いかに今回のフリーダ・カーロ展に対する皆の期待が大きいかがよくわかった。

その後は比較的スムーズに流れて行き、セキュリティチェックも結構細かくコントロールされたものの、そう待たずに中に入って行くことが出来た。

あれっと思ったのは見学順路がいつもと違って最初に階段を降りて地下をひと通り見学してから戻ってきて、通常だったら真っ先に見るはずの正面の部屋に入って、そこでフリーダに影響を受けたファッション・デザイナー達の展示を満喫して終わりという段取りであった事。

これは変わった方法の展示だなと思った。
構成は3つに別れていて、その最初がフリーダのバイオグラフィーや、フランスとの関係だのを明らかにわかりやすく展示したものであったが、配置的に今ひとつだったのが残念。

写真の様に一列に、あるいは入れ違いになって狭いスペースをフルに使って見学していくので隣の人、或いは後ろの人が気になるあまりに作品に集中出来ない。
内容が頭に入らないとでも言ったほうがよいのか、自分より前に人がいて、その人のスピードがあまりにもゆっくりだと
追い抜かすわけにもいかないので多少なりともいらつく事がある。

また、その反対もお互い気を使うことが多々ある。

結果、フリーダの事故の事やパリに着いてからのフランスでのアーティスト達との交流についてなど興味深い情報を得ることが出来たものの、廻りの見学者に迷惑を掛けてはいけないと気を使うあまり写真も撮れなかった。


第二部からはいつも通りに近い広々とした展示法だったのでゆっくりと、また写真も沢山撮った。

フリーダ亡き後、浴室や整理戸棚は長い間閉められていた。その後開けられたのは50年後の2004年で、その時には6000枚以上の写真と20000枚以上の書類、その他3000点以上の資産が見つかったそうだ。

遺品は衣類やコルセット等身につけるものが多く、その他に化粧品や香水などフリーダの愛用していたものもあり、彼女の好み、人柄、また事故がどれだけ人生を変えてしまったかが語られていた。

上の写真のショール、ブラウス、スカートの組み合わせはフリーダにしては色合いが少しぼやけた感じであったが、私個人的に一番気に入った。自分に似合うとは思わないけれどいつか何かの参考になるかもしれない。

フリーダは18歳で事故にあったが、それより若い時は比較的自由な感じの服装だったそうだ。
民族衣装は20歳位から着始めて、その後一生このような華やかな色合いを着ることが多かったそうだ。

確かにそのような組み合わせの展示が硝子のケースにズラリと入って並んでいて、それはそれは見事に明るく華やかであった。

また、コルセットは至るところに少しずつ展示されていた。
フリーダにとっては第二の肌であり、また重要作品でもあるのだから。
と、言うのはどう言うことかと言うと下の作品を見ればわかる。

また、普段見ることのない義足の展示なども。

彼女がどれだけ大切にしたか。
作品の色彩は地味なものもあれば派手なものもある。痛々しさや重々しさのメッセージを伝える役割りをもしている。

また、自画像の中で一番気になった作品をご紹介。

フリーダ・カーロ
<La colonne brisée>
1944年
メキシコ、Dolores Olmedo美術館


フリーダが怪我をしているように描かれている。
コルセットをつけているが胸をあらわにしている。
釘が全身を突き抜けているが、これは聖書の中の聖セバスチャンの殉死の様子を表している。
さらには土地がひび割れている。
フリーダのボサボサの髪の毛はメキシコの伝統を語るときにしばしば言及される人物<ロロナ>を思わせるそうだ。

数ある自画像の中でこの作品が一番フリーダをよく描き表していると思ったのは私だけであろうか。


また、数々あるフリーダの遺品のなかですぐに目についたのはゲルランの香水の<シャリマ>の空き瓶である。

孔雀の様な形の瓶は既にミステリアスな雰囲気を漂わせている。
1925年のパリの万国博覧会(アール・デコ博覧会)で最高賞を受賞し、世界最初のオリエンタルノートだと言われている。
それは単に流行を求めているのではなく、一人の女性が自分だけの永遠の香りを必要としている事を言いたいのであろう。

トップノートとしてシトラス、マンダリン、ベルガモットなど。
ミドルノートとしてはアイリス、パチョリ、ジャスミン、ローズなど。
そしてラストノートとしてはレザー、ムスク、ヴァニラなどが使用されている。

フリーダがどういった点からこれを選んだのかははっきりとはわからないが、全体的に複雑感が漂い、かつフレッシュさや甘みが大人の女性の魅力を表している。

その他にも化粧品やクリームなど沢山展示されていたがやはりこの<シャリマー>の前で長く立ち止まってしまった。

その他パートナーのディエゴとのエピソードについてももっとじっくり時間を取りたかったが、無常にも時は流れて私は既に第3部の暗闇の中に呆然と立ちすくんでいたことに気がついた。

そこにはジヴァンシーやジャン・ポール・ゴティエなどの名前があった。
フリーダの影響を受けた現代のファッション・デザイナー達の美しいドレスやコルセット等が並べられていた。

ジヴァンシーのコルセット


ジヴァンシーのコルセット


ジヴァンシーのコルセット
ジャン=ポール・ゴティエ

フリーダ・カーロを幾つかの言葉で言い切ってしまうのは不可能である。
また、彼女が持っている中で今回見ていないものが沢山ある。埋め合わせる事が出来ない掛け替えのないものなのだ。

数回の展覧会見学だけでは彼女の何も理解することは出来ない。
足元に及ぶ事も出来ないな。
これが私なりの結論なのはちょっと淋しい。
けれどたとえ友達にはなれなくても正直なところもう少し彼女のことを色々と知りたかった。

最後に私の記事<アーティストの自画像>のリンクをつけておくので良かったらこちらも読んでみて欲しい。

https://note.com/yokokaise/n/n75a5e782e486


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