夢のオペラ座
それは夢の様な瞬間。まったく予想していなかった出来事が目の前に飛び込んできた。いや、飛び込んできたのはシャンパーニュ。そう、私は最後列だったので会場を出る時は一番最初。サーヴィス係は予期せぬ出来事に驚いて固まっていた私にそのシャンパーニュを渡すと、次から次へと会場にいた他の客に何も言わずに笑顔で同じ様に配っていった。シャンパーニュ片手にキョトンとしていた私に、他のサーヴィス係が「こちらへどうぞ」のジェスチャー、その先にはカウンターにミニサンドウィッチなどのカナッペがズラリ。
12月31日。この日私はパリのオペラ・バスティーユにいた。もう何年も前のことなので数字など詳しいことは覚えていないが、ニコラ・ル・リッシュが <ボレロ>を踊るので、また、一年最後の日をオペラ座でたとえ数時間でもいいから過ごしてみたかったという理由でチケットを購入した。
ここ数年はどうか知らないが、毎年12月31日にはプレゼンテーション終了後オペラ座からシャンパーニュとカナッペがサーヴィスされた。それを知らないでいた私はグッド・サプライズで新年を迎えたのである。
パリにはオベラ座が2つある。オペラ・ガルニエとオペラ・バスティーユ、ガルニエと言うのは建物の設計者であるシャルル・ガルニエから来た名で、バスティーユは建物のある地区名である。
①オペラ座で夢のようなひと時を味わうには
さて、ここからはガルニエの話に集中しよう。写真の建物はガルニエであるが、横から写したのでピンと来ないかも知れないが、よく見ると頂上に金の 竪琴を掲げた太陽と芸術の神、アポロンか見える。 さらに建物全体の細かいところを見ると、あちらこちらに竪琴が刻まれているし、作曲家や演奏者、歌手、ダンサーの胸像など、これは内部でもそうであるが見とれているだけで飽きない。
屋根の部分は近くのギャラリー・ラファイエットというデパートの屋上からよく見える。そう言えば、オペラ・ガルニエでは屋根の上で養蜂をしていて、出来た蜂蜜を毎年冬にお土産売り場で販売している。数が限られているので滅多に見たことはなかったが、今冬はさすがにたくさんあった。
私が最初にガルニエ宮内部に足を踏み入れたのは バレエ (何十回観劇したうち歌劇はたったの一回だけ)で <ラ・フィーユ・マル・ガルデ>だと思う。友人が誘ってくれたのだが、5階席正面でバルコニーの一番前。カテゴリー4、ど真ん中。以後声をかけてくれる時は必ずその席であった。彼女は知り合いがオペラ座で働いていたので頼んで確保してもらっていたらしい。座席は位置によって良し悪しがある。その席だってオペラグラスが無いとダンサーの顔がどんなかも分からない。ガルニエ宮が創立したのは1875年、ナポレオン三世の時代である。客席の中にはナポレオンの為の特別席がある。舞台の真横で何とも豪華な造りの個室である。それに比べて最上階の横とか、バルコニーの柱の後ろなどは何も見えない。その差は激しい。
舞台はほんの少々前後に傾斜しているそうだ。客席からは見やすくなるが、ダンサーにとっては容易くないであろうなと思う。また、オーケストラは舞台の下にある。これは音響の事を考えてこうなったそうだ。そしてシャガールの天井を眺めるのを忘れてはいけない。オペラの歌劇14作品を描いたものであるが、よくみると中に凱旋門やエッフェル塔も見つかる。
演目はバレエもオペラも一年毎に構成される。ダンサー達にとって夏休みはたっぷりあるが、代わりに毎年12月のスケジュールはハードでヘトヘトになるまで踊り続ける。キャスティング発表後楽しみにしていると、当日になって主役が急病のため代役が…、なんていうとやはりがっかりするが、その代役も素晴らしかったりするので結局その日の帰りには満足して会場を後にするのであった。
開演は19時30分で終了は22時頃のことが多い。間に20分の休憩を1、2回とるのでその間にカウンターバーでシャンパーニュを飲んだり、ちょっと軽くつまんだり、お喋りに花を咲かせたりと、ひと時を楽しんでもいいし、グランフォワイエ(大広間、写真)やバルコニーでくつろいでもいいし…。特にバルコニーから見えるオペラ通りの眺めはなんとも言えないパリの姿が見える。フランス19世紀のパリ大改造の姿(もしよろしければ私の<パリ大変身>をお読みいただきたい)が目の前に広がるのである。
そう言えば、パリのオルセー美術館にはオペラ・ガルニエの断面模型があり、さらに建物を中心とした改造当時の周辺の様子の模型が地下2階に広がっており、その上のガラス張りの上を歩けるようになっており、面白いので是非機会があったら忘れずにお試しいただきたい。何せこの美術館には興味深いものがたくさんありすぎてメモでもして行かない限りは何が見たかったのかわからなくなるなんてこともありえる。
②ドガとオペラ座
エドガー・ドガ(1834-1917年) エトワール 1878年頃 オルセー美術館
オルセー美術館にある数点のドガの作品、特にオペラ座でのダンサー達の姿を描いたものを紹介しよう。上の<エトワール>は美しいダンサーを中心に、オペラ座の舞台の様子を描いたものであるが、一応私もバレエを習ったので偉そうにコメントすると、ダンサーの顔の位置、顎の上げ具合と、特に腕の動きのしなやかさによく研究された画家としての腕の見せどころを見事に発揮している。エトワールとはオペラ座バレエダンサーの中で最高と認められた者に与えられた位である。ドガは何回も何回も通ってその素晴らしさを観察したに違いない。さらに気になったのは横の方に立っている黒服の男性であるが、彼とエトワールとの関係は謎。しかしながらドガのオペラ座を描いた作品の中にはしばしば黒服か登場するのである。常に同じ人物とは思えないが…。
2019年9月24日から2020年1月19日迄オルセー美術館にて<オペラ座のドガ>というタイトルで行われた展覧会は大盛況で、混雑しており、あまりゆっくり観賞できなかったがその内容の豊富さに感動した。
エドガー・ドガ バレエのレッスン 1873-1875年 オルセー美術館
ドガは裕福な家庭に育ち、銀行家の父親に連れられて子供の頃から頻繁にオペラ座に通ったそうである。自身もバレエ観賞が好きだったそうである。ドガの作品には、普通立ち入り出来ない様なレッスン中の教室などがあるが、間違いなく父親がオペラ座の会員だったのであろう。ドガは熱心に通って、スケッチを繰り返して自分の作品を仕上げていったのであろう、その中には彼ならの特徴が見事にあらわされている。例の黒服の男性がところどころに登場しているのもドガによるある種の高級感、特別感の表現なのであろう。
実はドガの描いたオペラ座は2つの時代にまたがっている。何故なら現在のオペラ・ガルニエの建物は1875年に完成したが、上の作品、<バレエのレッスン>は1873-1875年の間のものなので完成前に描いたものである事が明らかである。
オペラ・ド・パリの発祥は何とルイ14世の時代に設立された音楽アカデミーで、その後建物は数回移り変わり、現在のガルニエ宮は12番目である。その前はすぐ近くのル・ペルティエという所にあったが、1873年に火災によって壊されてしまったという理由で、ドガが描いた<バレエのレッスン>はオペラ座がまだル・ペルティエにあった時であることがわかる。それにしても中央のレッスンの講師が実在の人物であることから、ドガがレッスン風景の教室に近づいて描く事が出来るなんてかなり特別で貴重なことであると認めなくてはいけない。
1875年にドガはまだ40歳台であったので、当然オペラ・ガルニエにも通ったことであろう。建物の外観を描くのではなく、内部の、とくに美しいダンサー達を中心に描いた。そのおかげでオペラ・バレエの美しいイメージは広く伝わったのであった。 <夢のオペラ座>として。
③いつまでも夢のオペラ・ド・パリ
最近ではオペラ座通いも激減した私であったが、相変わらず心はオペラ座である。特にガルニエ宮での展覧会には必ず足を運ぶ。今一番好きなダンサーはエトワールのユーゴ・マルシャンである。完璧と言えるスキル、表現力、そして最近<ダンセ danser>というタイトルの本も出した。今も素晴らしいけれど、これから果てしなく成長していくのだろうな。まだ27歳なのでこれからが楽しみ。またオペラ座通いは再開したいと心から思う。
オペラ・ド・パリは彼のような期待の若手とともにこれからも止まることなく進化していくのだろうな、良くも、そして賛否両論のときもあるだろう。時代の流れとともに、また、特にディレクターが代わることでそれぞれの考え方によって大きく影響されるであろうし。しかし何はともあれ、今までの歴史を否定する事はありえない。オペラ・ガルニエは世界に唯一なのだから。訪れる度に夢の様な気分にさせてくれる場所なのである。
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写真は、オペラ座の図書室であり、見学コースでしか入ることが出来ないし、ズラリと並んだ書籍や楽譜は残念ながら触れる事が出来ない。ドガは当時閲覧する事が出来たのだろうな、などと思うとまた不思議な気持ちに包まれる。高級感や特別感を主張してきたが、ここにいる時は他のすべてのことを忘れていられることは確かである。建物を出る時には、まるで一つのストーリーを体験したかのような気分になるのである。