飲み会に誘うなら、ある程度の責任は負うべき
コロナ禍の影響により、飲み会に行く機会は減ったことであろう。
しかしながら、それでも好きな人は行く。
好きならば、ルールの範囲で別に行っても良いだろう。
しかし、行きたくない人を無理やり誘うのは違うと思う。
そして、無理に誘ったならば、それなりに責任を負うべきであると考えている。
私が働いていたバイト先では、業務終了後に飲みに行くことが多々あった。
一部の人間が好きだったのであるが、時々最後まで働いていた人全員に誘うことがあった。
若手はご飯を奢ってもらえるということで付いてくることがあった。
だいたい8~10人くらいで行くので、2テーブル使って行われる。
ここで問題が起こる。
席の配置だが、いつも飲みに行ってるメンバーで固まろうとして、もう1つのテーブルに無理やり誘われたメンバーが座る。
予想できるかもしれないが、片方のテーブルしか盛り上がっておらず、もう片方のグループは放置である。
この光景を見るたびに私は「わざわざ他の人を誘わず、自分たちだけで行けば良いじゃないか」と思う。
私は、無理やり来た人が気がかりになることがある。
このようなことが続いたことで、一部の人たちだけで行くようになり、他の人はほとんど来なくなった。
それまでは、みんなに話を振ってくれる先輩がいたので、そこそこ来ていたのであるが、その人がいなくなってから、このような状況になった。
バイト先の飲み会について話してきたが、ゼミの飲み会は一味違う。
私が所属していたゼミの飲み会は、席をくじ引きで決めるので、決まった人たちが集まることはない。
初めて席が隣になることだって多々あるし、ほとんどの場合、隣の席になるのは学年が違う人である。
そうなると、一部の人が固まることがなくなるので、放置ということは起こらない。
上級生が下級生に気を遣うことも理由の1つである。
バイトでもこれを導入すればよいのでは?と思ったが、反対されるだろう。
仲が良い人同士で集まりたいから。
ここで、勘違いしてはいけないのは、自分たちが楽しいからと言って、みんなも楽しいだろうという思い込みをしてはいけないということである。
楽しい雰囲気にいると自然と楽しくなることもあるが、それは同じ環境で盛り上がっているという前提である。
一部の人が盛り上がっていて、他は放置という状況は、同じ環境にいるとは言えない。
このように、他の人に気遣える人が増えれば、世の中は生きやすくなるかもしれない。
気を使を遣うので神経を使うかもしれないが、そうすることでより多くの人が楽しいと思えると私は思っている。