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人間失格(挿絵付き)第2話_お道化

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つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾(てんてん)し、呻吟(しんぎん)し、発狂しかけた事さえあります。

自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍(わざわ)いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負(せお)ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨(せいさん)な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、

 しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快(そうかい)なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依(よ)ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

そこで考え出したのは、道化でした。


 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。

そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。(つづく)

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ども!横井です。人間失格(挿絵付き)第2話目になります。

縦スクコミック版「人間失格」はこちらで読めますので良かったらご覧ください!(最新第10話配信されました!)

さて、今回の第2話部分を漫画にするにあたり、苦労した部分があります。それは「いかに動きをつけるか」です。

人間失格の序盤は、主人公 大庭葉蔵のモノローグ(ひとりしゃべり)によって進んでいきます。つまり他キャラとの絡みがありません。なので、おのずと会話もなく、動きもかなり制限されてしまうのです。

小説なら何の問題もないのですが漫画で見る場合は(絵)(アクション)といったものも重要な要素であるため、正直ちょっとおいしくありません。

そこで登場させたのが、道行くおばちゃん2人組や、体中を這う蟻の大群です。これらを葉蔵と絡ませることによって、会話だったり絵に動きを付けることが可能となりました。

原作と違う!と思われる方もおられるかと思いますが、その点は漫画化する上での演出ということで許してもらえると嬉しいです!

それでは近いうちにまたお会いしましょう!

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