そぼふる雨って、どんな雨?
今朝、雨が降っていた。
それは、どしゃ降りと呼ぶにふさわしい雨。
ザーザーの雨。
そんな雨の中、ある曲の歌詞を思い出した。
それは、29日に発売になったイエローモンキーのアルバムSparkleXに収録されている
「Beaver」の歌詞。
そぼふる雨。
そう、そぼふる雨である。
みなさんは、
「そぼふる雨」がどんな雨か知っているだろうか?
そぼふる?
なんか古典?歴史?に出てきたような気がしないでもないが、分からない。
分からないけど、
ザーザー降りのイメージはない。
どちらかというと弱そう。
そぼふる
→そぼろ?
→そぼろはパラパラしている
→だから小雨?…かな?
正解はこちら。
雨がしとしと降る、か。
「小雨そぼ降る」
とも使うようだし、そぼろからの連想は間違いではなかった…かな。
…
で、何が言いたいかというと
日常の中で、知識が繋がってちょっと楽しくなることあるよね、ってこと。
曲を聴いていただけなんだけど
天気は雨
→吉井さん、そぼふる雨って歌ってたな
→それってなんだろ?
→へー、しとしと降る雨のことか!
みたいな。
別に言葉を学ぼうと思って、曲を聴いてるわけではない。
でも、結果的にそこから何か学ぶことがあった、ってちょっとうれしいなと。
…
今、この本を読んでるんですが、
カーンアカデミーという、WEB上の教育プラットフォームを作った人の話。
その中に、学習内容の「教科」への細分化ってどうなの?いう話があって。
要は、
現行の教育制度
=学習領域を「教科」に分け、さらにそれを単元に分けることで、それぞれの内容が別々で関連性を持たないという、危険な幻想をつくり上げている、と。
で、単元テストが終わったら、もうそれで終了。はい次!というような感じで、関連性がないことを危惧していました。
…
いや、本当そうだよなと。
国語、算数、理科、社会。
教科は分かれていても、結局問題文は国語だから、すべての教科に国語の土台は必要という話はよく聞く。
でもさ、今回そぼふる雨について知れたのは、
教科で言ったら「音楽」なわけで。
音楽を聞く
→そこから言葉を知る(教科的には国語?)
→関連性ができる
→なんか楽しい!
っていう流れ。
教育って、本当はこういうのが理想なのかな、と思ったり。
この本のタイトルも
「世界はひとつの教室」
要するに、単元に分けるなんてのはナンセンスで、すべてが学びなんだよ、みたいな話なのかなと。
まだ半分も読めてないので、違うかもしれないのですが。
…
ということで
「そぼふる雨」から色々と考えた、雨の日でした。
▼Beaverの歌詞。Eテレで流れてそうなかわいい雰囲気。