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【タクシー・ショートショート】雨の女

その女性客は、雨の桜木町駅から乗って来た。
その日は風も強く、だいぶ濡れていたようだった。
お客は泣いていた。
「町田まで行って」
「はい」
長距離だ。私は少し緊張した。
「高速、使いますか?」
「何でもいいわよ。早く行って」
お客は怒ったように言った。

私は、三ツ沢から乗って、横浜新道、保土ヶ谷バイパスで行く事にした。
夜の10時を過ぎていた。
タクシーは、雨の中を走る。
「横浜なんて大嫌い。二度と来ない」
お客は泣きじゃくりながら、強い口調で言った。
私はバックミラーで少しだけ後ろを見た。
年齢は30歳ぐらいだろうか。酒に酔っている様子だった。

車内の雰囲気は最悪だった。
私は、こういう感じが苦手だ。怒っている人に接すると何か声をかけたくなる。
私は、ポケットティッシュを持っていたので、お客に手渡した。
「よかったら、どうぞ」
お客は黙って受け取った。
涙を拭いたようだった。
私も黙って運転した。

しばらくして、お客は話しかけて来た。
「泣いてる女なんか乗せたくないでしょ」
「え?」
「何があったか聞かないの?」
「はあ・・・」
「タクシー運転手は、そういうの聞いちゃいけないの?」
「ええ。まあ・・・」
確かにそうだ。
私に限らずタクシードライバーは、乗客のプライベートに立ち入らない方がいい。後でクレームになる時がある。

お客はしばらく黙っていた。
タクシーは、横浜新道から保土ヶ谷バイパスに入った。
「振られたんですよ。私」
お客は唐突に言った。
「今日、 私の誕生日だったんです。デートの約束してた。ホテルのレストランで待ち合わせしたのに、来なくて」
「・・・」
「ずっと待ってたのに。電話かけても、全然出なくて。さっき、やっと繋がって。どうして来ないのって聞いたら、別れてほしいって」
「・・・」
「好きな人が出来たんだって」
「・・・」
「ひどくないですか。よりによって、誕生日に。あー、本当嫌になる。どうしてあんな男好きになったんだろ。最低」
「・・・」
私は、何と声をかけていいかわからず、黙っていた。
「こんな話されても困りますよね。そうでしょ」
「いえ・・・」
「運転手さん、結婚してるの?」
「・・・はい」
「お子さんは?」
「いますよ。息子が。もう大きいです。 この前、結婚しました」
「ふうん。結婚か・・・息子さん真面目なんだ」
私は、少し馬鹿にされたような気がした。
「運転手さんも真面目そう。真面目なお父さんって感じ」
お客が、絡み口調になって来たので、私もつい言い返した。
「そうでもないですよ。若い時は、悪い事もしました」
「何したの?」
「ギャンブルで借金作って、妻に迷惑かけて」
「へえ・・・結構ひどい事して来たんだ」
「そうですね。ひどかったです」
「でも今は大事にしてるんでしょ」
「ええ・・・」
「だからタクシーも頑張ってる」
「まあ、そんなところです」
私は、思った。
どうして、こんな個人的な話をしているんだろう。
私は、めったに自分の事を話したりしない。
お客の挑発に乗ってしまったのかもしれない。

タクシーは保土ヶ谷バイパスを抜けて16号に入った。
相変わらず、雨は降っている。
町田までもう少しだ。
窓の外を、いろんな店舗や飲食店のネオンが流れていく。
「ね、運転手さん。牛丼食べたいな。一緒に食べよう」
「え?」
「牛丼屋さん、寄って」
「いや、でも」
「いいじゃない。付き合ってよ。振られて、このまま帰りたくないもん」
「・・・」
「ねえ、いいでしょ。運転手さんもお腹空いたでしょ」
確かに、お腹は空いていた。
私は、仕方なくタクシーを牛丼屋の駐車場に入れた。

それからしばらくして。
私とお客は、向かい合って牛丼を食べていた。
「おいしい。牛丼久しぶり」
お客が笑ったので、私もつい笑顔になった。
「ごめんなさい。さっき、ひどい言い方して」と、お客は謝ってきた。
「さっき?」
「真面目なお父さんとかなんとか」
「ああ、気にしてませんよ」と、私は答えた。
お客は、化粧の落ちた顔で私を見つめた。
私は見つめられてドキドキした。
少しだけ、女優の有村架純に似てるかもと思った。
「奥さん、どんな人?」
「まあ普通ですよ」
「仕事何してるの?」
「パートです。近くの会社で」
「ふうん。いいな、奥さん、幸せね」
「はあ・・・」
私は、再び、どうしてこんな話になってしまったんだろうと思った。
「でも、私、運転手さんみたいな人、あんまりタイプじゃない」
「そうですか」
「だって、なんだかんだ言ったって、最後は、守りに入るタイプ」
「・・・」
「私、そういう人には、あんまり魅かれないの。もっと危ない人がいいの。たぶん満足出来ない」
「60の爺さんつかまえて、何言ってんですか」
すると、お客は、また笑った。
「私、ホント性格悪いんですよ。いい人を見ると、どうしても傷つけたくなっちゃうの」
「直した方がいいですね。よくないですよ」
私は内心ムッとしながら言った。
「そうね。運転手さんの言う通り。だから振られるんだ」
「・・・」
「自分でも嫌なの。この性格。このへんにね。意地悪な虫飼ってるの」
と、胸のあたりを叩いた。
そして、その後、両手で顔を覆って呟いた。
「思うようにいかないな」

店を出ると雨は止んでいた。
私は、お客を乗せて、タクシーを走らせた。
お客は、再び黙ってしまった。
車内は、海の底のように静かだった。
私は、その沈黙に耐えられず、話し始めていた。
「私ね、女房に捨てられそうになった事があるんですよ」
「どうして?」
「サラ金から、ものすごい借金してるのがバレて」
「いくらぐらいだったの?」
「もう何百万です」
「へえ・・・それで、どうなったの?」
「 泣いて、土下座して謝りました。みっともないぐらい。でも、謝るしかなかったんですよ」
「許してくれたの?」
「まあ、なんとか」
「・・・」
「すいません。なんか変な話、しちゃいましたね」
「良かったですね。奥さん、出て行かなくて」
「はい・・・」
やがて、タクシーは町田駅の近くに着いた。
牛丼を食べている間、メーターは切っておいたが、それでも到着時、料金は1万円を超えた。

私は車を降りて、後部座席のドアを開けた。
お客はタクシーから降りた。
私は、お礼を言った。
「ありがとうございました。 すみません。牛丼ごちそうさまでした」
「こちらこそ、引き止めてしまって」
「あの・・・」
「え?」
私は、言おうかどうしようか迷ったが、思い切って言った。
「横浜、大嫌いなんて、言わないでください。また、是非遊びに来てください」
お客は、少し真顔になった。しかし、すぐ笑顔になった。
「その時は、乗せてね」
「はい。桜木町に、たまにいますから」
「・・・運転手さんのタクシーに乗れて、よかった」
お客は、頭を下げて、そのまま歩いて行った。

私は見送って、タクシーに乗ると、横浜に向けて走り出した。
人には、いろんな生き方がある。
いろんな人生を乗せて、タクシーは走る。
私は、お客が少しだけ笑顔になったのが嬉しかった。


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