タクシーに転職するまで⑤【禁断のフルコミ営業】
私は、37歳の時に不動産仲介の会社に転職した。
会社は大手で、横浜駅の近くにあり、テレビCMでも有名な会社だった。
私がその会社を選んだのは、とにかく稼げるという理由からだった。就職情報誌を見て選んだのだが、派手な募集ページには年収800万、1000万円を超える営業社員がいると書いてあった。
私はそれが本当なのかどうか疑問に思ったが、とりあえず面接に行ってみた。すると、会社の部長と課長が出て来て話をしてくれた。
私は実際に稼げるのか? 仕事の内容は? どういう営業スタイルなのか? どんな物件を扱っているのか? 売上と給料の計算方法は? 等を詳しく聞いた。
その内容は大まかに言うと以下の4つである。
1、給料については完全歩合制で、売上(仲介手数料)の30%弱である。例えば、新築5千万円の新築物件を仲介すると、売主と買主の両方から仲介手数料が入り、300万円程の売上になる。給料は80万円ちょっと。
2、仕事内容は、住宅を探しているお客に一戸建てやマンションを紹介、車で案内する。会社に知名度があり、広告費も多く使っているので、広告反響の客、来店客が数多くある。課長をはじめとして会社が全面的にバックアップするので、まじめにやれば数字が上がる。
3、物件の契約をした後も、銀行ローンの紹介や、登記の手伝いなど、引き渡しまで担当者が責任を持って行う。
4、取扱物件に関しては、横浜市内をはじめ、全国殆どの新築戸建て、中古戸建て、中古マンションを取り扱うことができる。ただし売主直販の新築マンション等は取り扱うことができない。
といった感じだ。
会社からは「是非働いてほしいが、最終的に決めるのはあなたです」と言われた。私は即答することが出来なかった。
完全歩合制(フルコミッション)になると、基本給や社会保険が無くなるし、仮に売り上げがゼロだった場合、給料が全く入って来ないのである。
さすがに私は不安だった。営業の経験はあったが、不動産は未知数だったので、実際に働いた時にどうなるのか見当がつかなかった。
私は、家に帰って妻に相談した。妻は、完全歩合の給料について、不安そうだった。そして、あんまり転職を繰り返して欲しくないと言った。
私は、それはそうだろうと思った。私は今までに何度も転職を繰り返してきた。私が妻の立場だったら、同じことを言ったと思う。
しかし、本当のことを言えば妻に相談した時点で、私の気持ちは決まっていた。私は不動産仲介の営業をやりたいと思った。高額給料を稼げるというのが一番の理由だったが、自分の可能性を不動産営業にかけてみたかった。
私は、次の日、会社に電話して、働きたいと言った。
会社に入ると、私は必死に働いた。
平日はひたすら物件の下見をして、間取りや地図を頭に叩き込んだ。また、横浜市内の建売の業者を訪問して新規の物件を紹介してもらった。会社に帰ると、夜は電話でお客を呼び込み、土日の度に案内した。
一生懸命に、そして出来るだけ丁寧に説明して、会社に連れ帰ったが、それでも申し込みはもらえなかった。
やっと申し込みをもらえたと思っても、すぐにキャンセルになってしまう。
まわりの先輩営業マンは、どんどん契約を取って来るのだが、私は申し込みさえも取れなかった。
経験が浅いのが原因か。それとも仕事と歯車が合ってないのか。私には営業の才能なんてないんじゃないのか。
さすがに私は落ち込んだ。一生契約は取れないんじゃないかと思った。
不動産仲介の仕事は独特だった。契約までのハードルが高く、正直言って、お墓の方が売りやすいと思った。
最初の2ヶ月は、ほとんど売り上げがなかったが、私は必死に食らいついた。
3ヶ月目に入った時に、やっと保土ヶ谷の新築の物件が売れた。4000万円だった。給料にして65万円程になった。
私は、1件でも契約を取れば、一息ついて達成感も得られると思ったが、実際は真逆だった。これだけやって、やっと1件かという徒労感の方が強かった。
契約しても、全く心が満たされない。逆に不安感の方が増してしまう。
その時点でゼロに戻され、次の契約をすぐに上げなければと焦るようになった。当たり前のことだが、とにかく契約を常に上げていかないと、給料が途絶えてしまうのだ。
私はひたすら、平日は下見をして、土日にはお客さんを案内した。そして、その度に会社に連れ帰るようにした。
とにかく仕事に慣れること、そして場数を踏むことが大事だと思った。
1年ほどが経ち、私は少しずつ不動産営業に慣れて行った。
コンスタントに、月1〜2軒ほどの新築物件を契約出来るようになり、生活も落ち着いて来た。給料も月50万円は稼げるようになった。
調子がいい時は100万円を超える時もあった。
しかし。
ここからが人間として、家庭人として私のダメなところだ。
私は稼げるようになると、その分、遊びに使うようになった。同僚と飲みに行くことはなかったが、一番金を使ったのはギャンブルだ。パチンコとスロット。私は休みのたびに昼間から店に入り浸った。
お金が入って来ても、あればあるだけ使ってしまう。
それでもたまに大勝ちするものだから、やめられなくなっていった。
私は、典型的なギャンブル依存症に陥る。
当然仕事にも熱が入らなくなり、新しい契約が全く取れなくなってしまった。
これが4年目の話だ。私は、3ヶ月間、一件も契約が取れなくなった。
それが原因で私は不動産の仕事を辞めてしまう。
経済的にボロボロに傷つき、 そして、次に選んだのがタクシーの仕事だ。
その経緯は、別の記事に詳しく書いてあるので是非読んでいただきたい。
5回にわたって、タクシーに至るまでの自分の転職人生を振り返った。
ここまで書いてみると、
映画館の仕事、
助監督の仕事、
中古ビデオ屋の仕事、
墓石営業の仕事、
そして不動産仲介の仕事と、
約20年の間に、興味のある仕事、面白そうな仕事、 稼げそうな仕事ばかりを選んでやってきた。
それで本当に良かったのか。
選んだ仕事自体が悪かったとは思わないが、いい気になって、将来のことも、家族のことも考えず、自分のやりたいことばかりやってきた。
堪え性が無い。一貫して何かをやり遂げるということが無い。例えば、資格を取って一つの仕事に専念するとか、そういうことが出来なかった。
行き詰まると4、5年のペースでやめてしまう身勝手さ。
バブルという時代のおかげもあり、散々に甘い汁を吸った時期もあった。しかし、そのツケが、巡り巡って不動産営業の失敗につながった。
私には自分を管理する能力が欠落していた。
やはり不動産のフルコミ営業は、開けてはならないパンドラの匣だったのだ。
タクシーを始めてからギャンブルは殆どやらなくなった。タクシーの給料がそれほど高くはないので、ギャンブルをする余裕が無くなったのだ。身分相応な生活に落ち着いたというところだろう。
年齢も、もうすぐ63歳になる。
住宅ローンが終わる75歳まであと12年。
それまで、私はタクシーを続けられるのか?
自信は無い。それまで体が持たないかもしれない。
しかし、明日一日を乗り切ることは出来るだろう。
12年は長い道のりだが、一日一日を何とか積み重ねていきたい。
私の勝手気ままな転職人生・全5回を読んで頂き、本当にありがとうございました。
(禁断のフルコミ営業 終わり)