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【タクシー・ショートショート】失われた理想郷

これは、私が、タクシーを始めた頃の話。約20年前の事だ。
年で言えば2003年。平成15年になる。

私は、会社の仮眠室に初めて入った時の光景を忘れない。
そこでは、数人の乗務員が、わいわいと賑やかに生活していたのである。
衝撃だった。
タクシー会社の仮眠室って、こんな感じなのか?
うちの会社には、社員寮がない。だからと言って、仮眠室に住み込んでいいというわけではないだろう。
私はそう思った。

当時、会社の建物は築30年以上経っており、かなり老朽化していた。
仮眠室は、三階にあったが、割と広めで、40帖くらいはあっただろうか。
部屋の中には、鉄パイプ製の二段ベッドが15台ほどあり、いくつかのベッドの周りには、洗面器やら、着替えやら、小さなテレビやら、ちょっとした家財道具等が置かれていた。
まるで「このベッドは俺のもの! 部外者立入禁止!」と、強く主張しているようだった。

テレビからは、びよーんと、アンテナも伸びていた。
そういえば、窓のカーテンレールから自分のベッドまで、ロープを引っ張って洗濯物を干している人もいたっけ。

人が寝ている横で、酒盛りをして楽しそうに語らっている乗務員もいた。(あくまで、20年前の話である。本来、社内で酒を飲む事は、厳しく禁じられている)

私は、それらの光景を見て驚いた。しかし、次第に胸がワクワクしたのを覚えている。
私は、人が独自の生活をむき出しにして暮らしている様が大好きなのだ。それは、まるで、映画かテレビの世界を見ているようだった。

私は、自分も仮眠室を使い、その後、そこで暮らす先輩乗務員たちと仲良くなった。そして、いろいろと話すに連れ、彼らが、いろんな人生を抱えて生きていることを知った。

務めていた会社を解雇され、家族とも別れ、仮眠室に居ついてしまった人。
家賃を払えずに、アパートを追い出された人。
地方に家族を残して、出稼ぎに来ている人。
借金の取り立てから逃げ回っている人。
身寄りの全くない天涯孤独な人。
様々だった。

仮眠室での生活。
プライバシーこそ全くなかったが、それは、まさしく「家賃光熱費のかからない生活」で、職場まで徒歩0分、冷暖房完備、トイレ風呂付きの、まるで理想郷のようだった。

しかし、会社側は、仮眠室に住み続ける彼らを何とかしたいみたいだった。
昼間からの酒盛りは言語道断。絶対に許されない。
また、仮眠室の電気代も馬鹿にならなかったのではないか。

そんな折、建物の老朽化に伴い新しい社屋が建つことになった。
会社側は、仮眠室の乗務員に対して1か月以内に、私物をまとめて運び出すように通告した。
もちろん、住人たちは、会社に対して抗議したが、建物が無くなってしまう以上、どうすることも出来なかった。
彼らは、取り壊される前日に、追い出されてしまった。
所持していた道具一式も大きなダンボールに入れられて、突き返された。
仮眠室の住人たちは、行き場を失った。住む場所を無くしてしまった乗務員たちの落胆は、はかり知れないものがあった。
その後、新しくアパートを借りる人もいれば、辞めてしまう人もいた。

約半年後、新しい建物が完成し、ピカピカの仮眠室が出来たのだが、会社は、新しい決まりを作って来た。
それは、昼12時から、夜12時までは、仮眠室に入ってはいけないというものだった。
寝ていても、昼の12時になると清掃の人が来て、起こされてしまう。
そして、昼間、仮眠室の入口には鍵がかけられた。
新しい仮眠室で生活することを、秘かにもくろんでいた乗務員たちは、抗議の声を上げたが、会社は一切聞く耳を持たなかった。

そんないきさつで、会社の中の「理想郷」は無くなってしまった。
あれから、20年が経ち、あの頃いた乗務員たちは全員いなくなった。
私は、残念だった。
あの、無法地帯に近い仮眠室の、何とも言えない雑多な雰囲気が楽しかったのに。
私は、そこにいた人たちも含めて、そこが好きだった。

私は、今でも仮眠室を使っている。
いつの間にか、私が、いちばんの古参になってしまった。
もちろん、昼間は施錠されるので、住むことはできない。

私は、時々あの平成の乗務員たち一人一人の顔を思い出すことがある。
仮眠室の中からは、今でも賑やかな声が聞こえて来そうだ。






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