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紅麗威甦本日デビュー日 特別コラム

今日は1月20日。
紅麗威甦が日本コロムビアよりデビューしてから38年になる。せっかくのデビュー記念日なので、今日はいつもと違った感じでただひたすら紅麗威甦について書いてみたい。

横浜銀蝿の弟分の中で紅麗威甦は嶋大輔と並んでもっとも爪痕を残したアーティストになるだろう。紅麗威甦はデビュー曲でいきなりヒットを飛ばす。「ぶりっこRock'n Roll」はオリコン最高6位だ。数多くの歌番組に出演していた。リーゼントにサングラス。ボーダーのシャツの上には革ジャン姿でカメラを睨めつけながら「ヨロシク!」と頑張ってツッパっていたのが初々しくて可愛げがあった。

デビューした当時は哲太の歌唱力もメンバーの演奏力もまだまだ足りなかったが、当時はさほどそれは関係のないことだった。歌や演奏のうまさよりもメンバーのルックスや存在感、インパクト勝負だったと思う。そういう意味では杉本哲太というスター性のかたまりのようなボーカリストの存在は大きかったように思う。横浜銀蝿の弟分という看板が一番大きかったことは当然ではあるが、それに次いで哲太の存在感はバンドにとって大きかったはずだ。

銀蝿一家では嶋大輔と杉本哲太が弟分の二枚看板だったわけだが、哲太の人気はちょっと不良の女子から圧倒的だった。男からの人気も嶋大輔より高かったような印象だ。実際にレコードを売っていたのは嶋大輔だが、存在感や印象的には哲太も全く引けを取らない。確か背の高さも180㎝くらいあったはずで、メンバー4人で並んでもひときわ大きかったし哲太の存在感は特別だった。

リードギターのLeerとベースのMitzもそれなりにルックスは良かったし、それぞれ人気もあっただろう。個人的はこの2人のハモリのコーラスがとても好きだった。紅麗威甦が今でも数多く名曲と思える曲が多いのはLeerとMitzのハモリのコーラスの効果が間違いなく大きい。

そしてやはり紅麗威甦の裏番長ともいえるのがドラムの桃太郎だ。このコラムで何度も書いているが、桃太郎はドラムというよりボーカルだ。彼のハスキーな声、感情の表現、ボーカリストとして天性のものを持っている。正直ドラムの印象は全く残っていない。それくらいボーカリストとしてのイメージが強い。

残念ながら、紅麗威甦の人気や勢いはデビュー時がMAXで、その後後退していった印象が強い。シングルのチャート最高位を見てもそれは明らかだ。ではリリースされたシングルをみてみよう。

 1.ぶりっこRock'n Roll(1982.1.20)
  作詞・作曲 翔 
  オリコン最高位6位。
 2.時代を越えて (1982.9.1)
  作詞 嵐/作曲 Johnny
  オリコン最高位14位
 3.好きさ好きさ好きさ好きさ好きさ  
 (1982.11.17)作詞・作曲 TAKU
  オリコン最高位22位
 4.門限破りのSATURDAY NIGHT
  (1983.2.21)
  作詞 嵐/作曲 NOBODY
  オリコン最高位28位
 5.15歳で"オバン"と言われます(1983.8.21)
  作詞 嵐/作曲 TAKU
  オリコン最高位44位


シングルのデータを今こうやって見てみると、5枚しかシングルをリリースしていないことが実に意外だ。
そしてなぜかデビュー曲「ぶりっこRock'n Roll」から2枚目「時代を越えて」のリリースまで8ヶ月もの時間が開いている。「ぶりっこRock'n Roll」はヒットはしたがロングヒットではなかったはずだ。せっかくデビュー曲がヒットしたにも関わらず、次のシングルを立て続けにリリースされていないのは非常に勿体ない気がしてならない。売り時を逃さない印象の銀蝿一家らしくないと思える。また、最初のインパクトとしては傑作といえた「ぶりっこRock'n Roll」に続いてリリースされた「時代を越えて」は大人に対する反抗心を叩きつける内容で実に嵐さんらしく男らしい歌詞で、当時の若者の心にかなり響く歌だっただけに、立て続けにリリースしていたら右肩上がりの人気上昇が見れたのではないかと38年経った今はそう思う。


 時代を越えて
 作詞:嵐 ヨシユキ

 学生らしく 若者らしく
 生きろといつも 大人達は
 言ってるけれど
 学生らしく 若者らしくとは
 なんだろう それだけじゃ
 誰にも解かりはしない

 大昔 プレスリーが
 シャイなRock'n Roll 唄ってた
 リーゼント イキにきめてた時
 今の大人も そのころはティーンエイジ

 ふた昔前 Beatlesが
 シャレた ロングヘアー肩までのばし
 Love song 流行らせていた時
 今の大人も ティーンエイジだったろう

 いつの時代も 大人達は
 自分の ものさしで
 俺達を しばりつけ
 わかっちゃくれない

 学生らしく 若者らしく
 生きろといつも 大人達は
 言ってるけれど
 学生らしく 若者らしくとは
 なんだろう それだけじゃ
 誰にも解かりはしない

 リーゼント 皮ジャンきめて
 イカスRock'n Roll 唄ってる
 俺達を不良と いうけれど
 Rock'n Rollは俺達のララバイ

 いつの時代も 大人達は
 自分の ものさしで
 俺達を しばりつけ
 わかっちゃくれない

 男子らしく 女子らしく
 生きろといつも 大人達は
 言ってるけれど
 男子らしく 女子らしくとは
 なんだろう らしくとは
 いったいなんだろう

 学生らしく 若者らしくとは
 なんだろう らしくとは
 いったいなんだろう


オリコン最高位の数字を見ても、リリースするたびに最高位が落ちている。一発屋とは言わないが、最初の勢いを持続できなかったのは事実だし、またそれが残念でならない。

紅麗威甦の活動期間は短くおよそ2年間だった。ボーカルの杉本哲太が俳優業に専念するためにバンドを脱退したという話を聞くが、実際にその辺の記憶は曖昧でいつの間にか活動がなくなって、気づいたらBLACK SATANに活動がシフトされていたという印象だ。

アルバムは合計4枚をリリースしているが、4枚とも実にいいアルバムだったと思う。とにかく曲の良さが際立つ。最後にリリースされたアルバムが4枚目の「ヨ・ロ・シ・ク・四」もかなり内容の良いアルバムだっただけに、これを最後に活動がなくなってしまったのは残念だ。作曲陣を見てみると、作詞は嵐、翔。作曲は翔、TAKUの作品が多い。ベースのMitzも作詞作曲共に多く、この頃からすでに作詞作曲能力が高かったことがうかがえる。作品の数が少ないJohnnyは嶋大輔担当だったのだろうか?

以前『紅麗威甦 ボーカリストの謎』のコラムで書いたが、個人的には哲太のボーカルよりも桃太郎のボーカルの方が好きだ。桃太郎が歌った方が曲の良さが引き立つし歌詞もすんなり入ってくる。しかし、これが不思議なのが実は一番好きなアルバムは3枚目の「ヨ・ロ・シ・ク・参」だったりする。このアルバムは全曲杉本哲太がボーカルを担当している。桃太郎のボーカルは一曲もない。そう考えると哲太が歌おうが桃太郎が歌おうが紅麗威甦は紅麗威甦。いいものはいいという結論に行き着くわけだ。

38年前の記憶を必死に呼び起こして、ただひたすらに紅麗威甦について思ったことを書きなぐってみたが、最後に個人的に紅麗威甦の好きなナンバーを10曲挙げてみる。紅麗威甦は名曲が多いため選ぶのに苦労した。順位はつけられない。

 アイツにくびったけ
 涙のLast Night
 好きさ好きさ好きさ好きさ好きさ
 GOOD-BYE LONELY!
 時代を越えて
 桃子の唄
 瞳で言いわけ…
 Tokimeki Sweet16
 夢・あたためて
 GOOD-BYE Rock'n Roller

こうやって挙げてみた曲を眺めていると、シングル、アルバムからバランスよく選べている気がする。そう考えるとやはり紅麗威甦の楽曲はデビューから活動停止まで一貫して優れていたことの証明だ。

38年経った今でも全く色褪せない紅麗威甦の楽曲達。今でも杉本哲太を除いた3人で紅麗威として不定期ながら活動してくれている。今年一年限定で活動する横浜銀蝿40thと一度でいいから共演してほしい。一日限りの銀蝿一家祭なんて最高じゃないか。これが今年最初に芽生えた密かな願望のひとつだったりする。


it's only Rock'n Roll

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