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岩井小百合 アイドルとしての逆襲

横浜銀蝿のマスコットガール・岩井小百合。
「ドリーム ドリーム ドリーム」でデビューして一気にトップアイドルのひとりに駆け上がっていった。

ルックスも良かったし、歌も上手かった。
しかし、横浜銀蝿とはまったく関係のない、ただ一人の歌手としてデビューしていたら結果はどうなっていたのだろう?と今思う。
少なくとも銀蝿一家の看板は岩井小百合にとっては大きな後押しになっていたのは間違いない。そのくらいあの頃の銀蝿一家には勢いがあった。
ただし、そう思われるのはオレも嫌だったし岩井小百合自身が一番嫌がるとは思うが。

デビュー曲「ドリーム ドリーム ドリーム」は銀蝿のTAKU、2枚目の「ドキドキ♡のバースデイ・パーティー」はJohnnyの作品。「ドキドキ♡のバースデイ・パーティー」では銀蝿のメンバーがコーラスで前面に出ている。おそらく横浜銀蝿としても相当の力の入れようだったと推測できる。

個人的には純粋にアイドルとして岩井小百合が好きだった。銀蝿のマスコットガールだから好きだという感覚は当時なかった。
けれど、今思うと銀蝿のマスコットガールだから応援するという人がかなり多かったんじゃないかとも思う。それは見方によっては純粋な一人のアイドルではなく、横浜銀蝿のマスコットガールとしてデビューできたラッキーな歌手。そういう見方をする人が少なからず存在していたということだ。

銀蝿のマスコットガールということが、結果的に彼女にとって良かったのか悪かったのかは誰にも分からない。もしかしたらそれが少なからず彼女の悩みに繋がったかもしれないし、絶対誰にも負けたくないという闘志に火がついたかもしれない。

このコラムを書くにあたって岩井小百合の曲を全部聞き直してみた。そしてデータを見返してみて驚いた。なんと彼女はデビューイヤーに5枚ものシングルを発売していた。当時は現代よりシングルのリリース数は多かったが、それでも5枚とは多い。しかも「ドキドキ♡のバースデイ・パーティー」から「いちごの片想い」まではわずか1ヶ月という短期間でリリースされている。

このデータを見て思ったのは、実は最初の2枚が横浜銀蝿のマスコットガールとしてのジャブ的なシングル。3枚目「いちごの片想い」からが本格的アイドル・歌手としてのダブルスタートだったのでは?と感じる。

「いちごの片想い」「恋♡あなた♡し・だ・い!」「水色のラブレター」の連続した3枚のシングルは今でもアイドル音楽として名作だと思っている。
曲の秀逸さはもちろんのこと、タイトルのキャッチーさ、ジャケット写真、タイトルロゴのポップさ、さらにはB面のカップリング曲も名曲揃いという。やれるとことはすべてやりました感が凄い。またちょうどこのタイミングで、デビューから9か月でなんと日本武道館でファーストコンサートを開催している。当時の史上最年少記録だ。ちなみにこのコンサートがオレにとって人生初のコンサートであった。お城のセットからドレスを着て登場した岩井小百合のキラキラ輝いた姿は今も忘れられない。

この3枚で岩井小百合は横浜銀蝿のマスコットガールとしてだけでなく、一人の歌手としての地位を確立したいと思っていたはずだ。そして年末のレコード大賞最優秀新人賞を本気で狙っていたと思う。実際惜しいところまでいった。オレ自身も本当に最優秀新人賞を取らせてあげたかったから、逃した時の悔しさは尋常ではなかったのを覚えてる。

ここで銀蝿解散時の嵐さんから岩井小百合へのメッセージの一部を紹介しよう。

「オレは知ってるよ。お前と同時に出た新人の中でレコード一番売ってるのはお前だってこと。日本武道館、天井まで客集められるくらいのパワーを持った子は新人の中でもダントツだよ。」

このメッセージを読んで、オレの悔しさは少し収まった。そしてなにより岩井小百合本人が救われた思いだったであろう。だって、実際嵐さんの言うとおりだったのだから。

最初のシングル2枚で銀蝿一家のマスコットガールとしての地位を確立し全国の銀蝿一家ファンを取り込む。3枚目から5枚目で、純粋なアイドルファンを獲得し、真のトップアイドルになる。そんなことを狙っていたかどうかは分からない。けれどこの時期から積極的に外部の有名作曲・作詞家を起用しているところをみても、ただ単に銀蝿のマスコットガールだけで終わらせないという気概は本人にも、また周りのスタッフにも実際にあったと思う。

勝手にそう考えると、「いちごの片想い」「恋♡あなた♡し・だ・い!」「水色のラブレター」の3枚は岩井小百合のアイドルとしての逆襲3部作とも思える。

アイドル黄金期に突入していたあの時代にジャニーズをはじめ、その他大勢の新人達と対等に渡り合っていたのだから岩井小百合は凄いというしかない。銀蝿ゆずりの「自分がトップに立つ」という精神を持ち合わせた最強の妹分の奮闘は今もしっかりと刻まれている。

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