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言葉の多さとリズミカルな見事な歌詞の世界

まだラップが世に広まっていない時代の話だ。突然現れ、そのツッパリスタイルで世の中をツッパリブームを巻き起こした横浜銀蝿。その歌詞の内容は不良をテーマにした内容が多く、大人からは敬遠され若者には支持された。その歌詞の内容にばかり注目を浴びたが、横浜銀蝿は歌詞をリズムに乗せるのが抜群に上手かった。言葉数が多く、とにかくリズミカルでテンポのいい歌詞だった。当時はそんなことまで考えて聴いていなかったが、今考えてみるとこれは実に興味深い。

ずばり言うと、横浜銀蝿のロックンロールはリズムミュージックである。ロックンロールは1950年代にアメリカで生まれたものだが、当然ながら1940年代のリズム&ブルースの影響を受けている。その流れを汲んだロックンロールはやはりリズムがキーポイントになっている。その証拠に、嵐さんの刻むエイトビートとTAKUのうねるようなベースラインは横浜銀蝿には絶対なければ成立しない。嵐さんとTAKUの鉄壁のリズム隊、さらに翔くんのリズム感のあるボーカルスタイルが加わりあの横浜銀蝿のリズムの格となる部分が出来上がっている。

ここで今日のテーマに繋がるわけだが、そのリズムの格をさらに強固なものにしているのが歌詞なのではないかという話である。ここでの歌詞とは歌詞の内容ではなく、言葉のチョイスとリズムへの乗せ方である。横浜銀蝿は言葉のリズムへの乗せ方、そしてリズムに乗せるための言葉のチョイスがとんでもなく上手かったのだ。メンバー4人がどこまでそれを強く意識していたかは分からないが、歌詞を作る時に少なからず意識していたのは間違いない。

何の話をしているのか、分かりやすくするためにまずは横浜銀蝿の「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の歌詞を見てみよう。


  今日も元気にドカンをきめたら
  ヨーラン背負ってリーゼント
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  ソリも入れたし弁当も持ったし

  可愛いあの娘はくるくるパーマに
  長めのスカートひきずって
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  お手手つないで駅までしあわせ

  駅についたらとっぽい兄ちゃんと
  ガンのくれあいとばしあい
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  タイマンはりましょ赤テープ同志で

  電車に乗ったら便所にかけ込み
  一駅だけのHappy Time
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  火のない所に煙を立てて

  電車をとび降り改札抜けたら
  学校までは猛ダッシュ
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  ツッパリHigh School Rock'n Roll
  またまた遅刻で今日も呼び出し


一見すると、単にツッパリの日常的な朝の光景を羅列しただけに見える。しかし、この曲の凄いところは、この言葉の羅列がほぼすべて八分音符に言葉が乗せて作られているのだ。おーとか、いーとか伸ばす発音の言葉は数えるほどしか使われておらず、出てきても一行にひとつだ。自分は音楽の専門家ではないのでこの話が上手く伝わるか自信がないのだが、とにかく言葉を詰め込むことで、嵐さんのエイトビートに完全に言葉が乗っかっているのだ。また嵐さんのエイトビートも独特で重たさの中にもキレがある。Atsushiも「嵐さんのエイトビートは真似できない」と言っていたが、あれは本当に独特のものだ。

むろんこの言葉数を音符に詰め込む手法は横浜銀蝿が発明したものではない。当時の歌謡曲でもこのパターンの曲はある。TOM☆CAT「ふられ気分でROCK"N ROLL」、8ビートではないが中森明菜「少女A」、などでこのような言葉を詰め込む手法は数多くあった。古いところではクレイジーキャッツなんかも同じ部類に入るのかもしれない。

当時ツッパリスタイルのロックンロールとは対極と言われて流行していたシティポップというジャンルの音楽がある。大滝詠一や山下達郎辺りがその代表といえるが、例えば山下達郎の「RIDE ON TIME」などを聴くと分かるが、歌詞の乗せ方が横浜銀蝿とは違って一つ一つの言葉を伸ばして歌う手法が多く取り入れられている。これは当時の洋楽に影響を受けたもので、なんとかして日本語なを洋楽のように聞かせるために考えられた手法だ。音楽の主流的にはこちらの方が当時はおしゃれと言われていたはずだ。しかし、横浜銀蝿は流行やその時の洋楽にフォーカスせずに、ロックンロールのもつリズムミュージックとしての本来の姿をあえて全面的に取り入れていたのだ。しかもそのリズミカルな日本語のリズムへの乗せ方を追求していた感がある。

これに気づいたのは割と最近のことで、なるほど歌詞が細かい言葉で発せられることで頭に入ってくる。しかもあのインパクトのある歌詞の内容だ。誰もが一度聴いたら歌詞がすんなりと入ってきて頭に残るのである。さらに、この手法の最大の利点はリズミカルな部分が強調されるということだ。リズミカルな歌詞が、嵐さんのエイトビートとTAKUのドライブするベースラインに乗ってくるのだから最強になるのもうなずける。

横浜銀蝿がこれを計算としてやっていたのか、それとも感性的なもので自然とやっていのかは分からない。おそらく前者に近い気がしている。とにかく横浜銀蝿というのはキャラクター含め、エンターテインメントとして全てが計算され尽くされていると考える。

先ほど例として「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」を挙げたが、他にも「そこのけRock'n Roll」「だからいつものRock'n Roll」「壱から拾までRock'n Roll」など数多くがこの八分音符に言葉を乗せる手法が取られている。さらには一曲を通してこの手法で言葉を乗せまくるだけではなく、そこに伸ばす言葉を絶妙に融合している曲もある。「潮のかほり」などはその典型で、このおかげでミディアムテンポながらもリズミカルで多くの人の心に残る名曲に出来上がっている。ラップのないこの時代に歌詞をいかにしてリズムに乗せるかというチャレンジをこの時すでに行っていた横浜銀蝿にはもはや脱帽するしかない。

横浜銀蝿がデビューして41年を迎える2021年になった今になってこんなことを考えているのも不思議なものだが、それだけ横浜銀蝿は奥が深いんだと改めて気づかされる。そんな奥深さがあるからこそ41年経っても飽きないのかもしれない。そもそもそれを独自の手法として自然と取り込めているから、聴いている多くのひとはそんなことまで考えていなくても、知らず知らずのうちにこの手法にハマっているのだ。

翔くんはよくインタビューで「モテたいから音楽始めたんだよね」と言うが、もちろん最初はそうかもしれない。誰だって最初はそんなものだ。しかし、デビュー後の横浜銀蝿はエンターテインメントとしてとにかく見事に計算されつくされている。そしてその計算を楽しんでやっていたと想像できる。だからこそ日本中にブームを巻き起こす存在になったのではないだろうか。今思えば、売れるべくして売れたバンドなのである。おそらくメンバー内でもデビュー時にはかなりの手応えや確信があったはずだ。

そんな横浜銀蝿に夢中になったガキが今でも横浜銀蝿40thに夢中になっているというのもうなずける。なぜなら横浜銀蝿とは最高級のエンターテインメントだからだ。あと1年、彼らがどんな仕掛けを計画しているのか、考えるだけでワクワクする。どれだけファンを夢中にさせてくれるのか期待を持って日々楽しんでいきたい。


it's only Rock'n Roll

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