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21年目のトリコロール生活、久しぶりに頂点に立つことを祈って。

noteでマリノスとの歴史を書いている方がいて、触発されて。
タイトル通り、マリノスとの歴史は21年目になるのですが、近づいたり離れたりな距離感で付き合ってきました。
常勝時代の後に少し醒めてスタジアムに行く回数が減ってしまい、紆余曲折を経て2013年の優勝争いのときからどっぷりとした生活に戻ってきたので、今回の優勝争いでまた昔のサポーターが戻ってきたり、新しく好きになる人が増えたりするといいなあと思っています。

<1998年〜2004年 マリノスが一番強かった、小学生の頃>
初めてマリノスを観に行ったのは、日本がワールドカップに初出場した1998年。
当時代表選手だらけで近場にあったという理由でマリノスを家族で横浜国際(日産スタジアム)に観に行って以来(都内にJリーグチームがなかった)、頭の中がトリコロールまみれな少年時代でした。

決定的にトリコロールに染まったのは、同じ年に国立に観に行った浦和戦。

浦和が今と違って、お客さんがたくさん入っていた時代。
マリノス寄りに席を取ったのに周りが赤いユニフォームを着た人だらけで「居心地悪いなあ」と思いながら見たこの試合は、0-2から終了間際に3点取ってひっくり返すというかなりセンセーショナルな試合。
サッカーのミラクルさはここで初めて味わったんじゃないかと思います。

主観もあるかもしれないけれど、見始めた頃のマリノスは「奇跡を起こすチーム」で、最後の最後までドラマを起こす劇的なチームでした。しかもよく優勝した。

「優勝」の瞬間を初めて目にした2000年の1stステージ。
前節に三ツ沢でセレッソに絶望的な負け方をして首位転落してあまり期待せずに行った最終節で、フロンターレのおかげでまさかの逆転優勝。
この頃からゴール裏にて、自作のゲーフラとかしょぼい旗を持って応援へ。
同じ年のチャンピオンシップでは非常につらい思いをしますが、毎日家でも応援してました。

かなり過酷な残留争いで「今日も負けるのか。。」と試合を見に行くのが憂鬱で京浜東北線の中でゲロを吐いたこともあった2001年は、当時クソ強かった磐田にPK勝ちしてナビスコカップ優勝(このときは小学校の運動会で行けなかった)。

強すぎてユニホームを着て歩くのが誇らしかった2003年・2004年の岡田武史時代。この時も2003年の完全優勝は最終節で大逆転。

このときのチームは、勝点が首位に離されてもなんだかんだ逆転優勝して、試合自体もかなりギリギリで勝ち切るor勝ち点1を拾うというハラハラするチームでした。めっちゃ強かった。
俊輔がイタリア行った後は奥大介が好きで、サッカーするときは真似してソックスを下げてた。

というわけで、事あるごとにドラマチックなことをしでかすわ、ちょこちょこ優勝してしまうわで、一家で夢中になってホームもアウェイも飛び回っていました。

<2005年〜2009年 マリノスがイマイチになった、思春期真っ盛りな中高生の頃>
マリノスがタイトルから遠ざかると共に、音楽とかバンドに興味の軸が移ってしまったこともあって、徐々にマリノスからは遠ざかるように。
年間何回かは試合を必ず観に行っていたけど、所謂思春期・中二病で批判的な事言うのカッケーって感じな嫌なヤツになっていたので、マリノスに限らずだけどあまり良い思い出がない。黒歴史。
なんか醒めた感じで「立って応援する以外にもサポートする方法はあるだろう!」とかわかったふうなことを言ってゴール裏から離れてバックスタンドで見るようになりました。

家族全体的にも、マリノスへの温度感が下がっていって結果を追うくらいに。
だからあんまり2007の横浜ダービーとか印象になかったりする。

<2010年〜2013年 マリノスに熱が戻り始めた、大学生の頃>
大学生になったタイミングで、中村俊輔がマリノスに帰ってきた。
暇だったし大学からも日産は近かったのでちょこちょこ行っていたけど、松田直樹がクビになって怒り心頭で2011年はトリコロールメンバーズも解約。
だけどなんだかんだ気になってまた2012年頃からちょこちょこタイミングを観て見に行くように。

そして就職活動も終わって「暇だなあ」とブラブラしていた2013年。
オッサンばっかりなのになんかめちゃくちゃ強い。楽しい。
少年時代のようにホームもアウェイも行けるだけ行って、数年ぶりに家族が同じスタジアムで観戦したのが例の新潟戦。

どよーんとした気分で歩いた日産からの帰り道で、「そういえば今までの優勝ってほとんど逆転優勝じゃね?」という話になりなんとなく嫌な予感していたら、等々力で川崎に負けて終戦。いつも通り帰り道迷って武蔵小杉にいけず、途中でお腹が痛くなってたどり着いた駅でたくさんうんこして帰った。

それだけに天皇杯は本当に嬉しかった。

アジアを勝ち取ろうチャントを数年ぶりに口ずさみながら、「なぜおれは転勤族の会社を選んだのだ。。。」と国立にいる間に思い出し正月からちょっと嫌な気分になります。

<2014年〜2016年 マリノスが不安になった、社会人なりたての頃>
案の定、社会人になってから転勤で日産に行くには2.5時間くらいかかる西に飛ばされて、関西・東海のアウェイの試合が来るのを待つ毎日に。
ちょっとするとシティグループが入ってきて、よくわからんなあという時期に突入。

そして2016年のオフシーズンは今までで一番辛かった。

自分たちのエースであり、ワールドカップや代表でバッシングされた時期も変わらず応援してきた、キャプテンだった立場の選手の口から「勝っても嬉しくなかった」なんて信じ難い発言が出てきたときは、「もう終わりかなあ」なんて思った。

<2017年〜 マリノスが希望になった、東京に戻って社会人の再スタートを切ってからの今>
転職して東京に戻った。転職は大失敗。
ジョブホッパーになっちまうなあと思いながらも、精神面が大事と思い、もう一回転職してなんとか復活。
その時の支えは周囲の人だったのはもちろんのこと、前向きに変わり始めたマリノスもでした。

中心選手が抜けながらも、自分たちのやっていることを信じてクラブ・スタッフ・選手・サポーターの団結力がどんどん強固になっていく。
うまく回っていると思うとすぐに川崎や鹿島との対戦で打ちのめされるようなことはあっても、めげずにチーム全体で前向きに自分たちのサッカーを信じて突き進む姿を自己投影して踏ん張ってました。

徐々に結果が出始めてカップ戦は決勝まで進出できるようになり、代表に選ばれる選手も出始めた2018年。
ボス2年目の今年、ぶっちぎっているチームはいないし、なんとなく連覇のときみたいにうちがスルッと最後にかっさらえるんじゃないかなという気もしています。
あとは最後の最後で勝負を決められるヒーローが出てくるか、、、渓太に期待しています。

21年目のトリコロール生活、マリノスの浮上と共に自分も仕事のペースを取り戻し、プライベートでも結婚。一緒にマリノスを応援してくれる家族も増えました。
自分が残り見に行けるのは、11月の札幌戦と12月のFC東京戦のみ。
年を取った親にも優勝する瞬間を見せてあげたいし、懸命にゴール裏や色んな場所で応援する学生の子たちにもあの優勝の瞬間の強烈な体験をして欲しい。
最終節は2013年と同じかそれ以上に人が入り、今回こそはシャーレを掲げる瞬間をバック自由席で観ることができることを信じています。
そして、また一緒に応援する仲間が増えると良いなと思います。

マリノスが優勝する確率が少しでも上がるように、明日からもまずは自分の日常を頑張ろう。
本気で上を目指しているクラブ・選手に負けないように、自分の立場でできることを。

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