広島水辺探訪④ 広島デルタを川面から眺る
※広島水辺シリーズ
広島3日目は、「広島デルタ」をぐるっとSUPで巡る。アレンジいただいたのは、横川のマジックアイランドさん。
マジックアイランドさんのショップ近く、『楠木の大雁木』からスタート。
「楠木の大雁木」に関しては、こちらのサイトが詳しい。
太田川流域は、山がちで平地が少なく陸上交通の発展しにくい地形であったため、近世を中心 に大量輸送機関として、舟運が発達しました。この楠木町を含むデルタ部の河岸は、江戸時代から昭和の初めにかけて太田川の舟運で特に栄えた地域で、オオブネや、肥船、広島湾岸部域か ら小さな機船も一部入り、他方、筏流しも往来し、当時でも、荷揚げ作業をする人達でにぎわいを 見せていました。当時の主な荷物は、薪炭、鉄、紙、枕木材(明治以降)等で、荷揚げ場は雁木と 呼ばれ、船着き場に階段をつけた桟橋が利用されていました。雁木は、現在でも太田川のデルタ でわずかに見ることができます。なかでも、明治の中頃になって改修された楠木の大雁木はとり わけ大きく、戦前までは横川駅から引き込み線も敷かれ、舟運の一中心であった当時を物語ってい ます。
「図説広島市史より」
ツアー中にガイドいただいている際も「雁木(がんぎ)が...」という単語があったのだけれど、「雁木」という単語に馴染みがない。デジタル大辞泉によると、
2.雪の多い地方で、雪よけのために家々の軒から庇(ひさし)を長く差し出して造り、下を通路とするもの。
3.桟橋に続く木の階段。
とある。上越や六日町のなどの雪よけの屋根も「雁木」と呼ぶようだ。
「大田川しじみ」の看板。今でもしじみ漁が続けられているようで「ザ・広島ブランド」にも認定されている。貝が取れると言うことは干満の差が大きく、干潟が出来やすい環境の証だ。
■旧大田川を下流へ
低い雲の下スタート。オーナーの西川さん以外にもクラブの常連の方が同行いただき、道中いろいろ日ごろの広島SUP事情などのお話を伺いながら進む。旧大田川(元安川)を少し下り、市電も通る「相生橋」へ。正面左側には原爆ドームが見える。
水面から。前々日のジョグの時同様、ボードの上から手を合わせる。
前日訪れた宮島から、瀬戸内海から川を上がって平和記念公園近くの元安桟橋まで船が出ている。
ツアー一行の写真を、西川さんに撮影いただく。
下流。集団で漕いでいるので目を惹くのか、多くの方が手を振ってくださるのが嬉しい。
前々日に訪れた、宇品橋。水面から見ても美しいシルエット。
■京橋川を上流へ
*御幸橋
前々日のジョグでも通過した御幸橋。
*柳橋
こちらもジョグで渡った人道橋である柳橋。現在では手すりがあるが、以前は沈下橋だったとのこと。
*京橋。
栄橋・比治山橋・猿猴橋・荒神橋・観光橋と共に、現存する被爆橋梁の1つで、最も爆心地近くに位置する。1894年(明治27年)に広島城内に広島大本営が設置され、東京から行啓してきた明治天皇は広島駅からこの橋を通り大本営へ入っている。
京橋は爆心から約1.4km。爆風が橋を渡る形で抜けたため、両側に建つ石柱の上部がずれた程度で通行には支障がありませんでした。市内中心部で被爆した人々の中には京橋を渡り、郊外への避難を試みた人も少なくありませんでした。道路整備により、車や人の流れが変わった今も京橋は静かに人々の行き来をみつめています。(RCCのホームぺージより)
上柳橋のそばの雁木から上がりランチ休憩。川の反対側は広島駅。
■京橋川上流域からゴールへ
しっかりとゴハンを食べたあと、上流へ漕ぎだす。
*縮景園
川の左側に見えるのは「縮景園」。
縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。
園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。(縮景園の公式サイトより)
ここでも、広島城クロニクルが役立つ。福島のあとに入城した浅野長晟だ。
常盤橋を越えると、山陽新幹線と山陽本線の鉄橋がある。新幹線がちょうど通過していく。縮景園園内にも「縮景園原爆犠牲者慰霊碑」が、そして鉄道橋そばにも「国鉄原爆死没者慰霊之碑」がある。
鉄道橋を越えると景色が一変する。河川敷には再建築不可の建物が見えるようになる。近い将来には無くなってしまう感じがする。
水深がかなり浅くなっていく。芦の影響もあるのか水の透明度が高い。
大田川の合流地点まで上ってきた。中州が良い味出している。木が白いのは鷺の糞害のようだ。
川幅が一気に広くなる。
再び新幹線と山陽本線の鉄橋をくぐる。ちょうど貨物列車が通過。EF210形が通過していく。
川の流れにのり、あっというまに楠木の大雁木へ到着。
広島デルタ一周で約12km。
広島の河川は多摩川の河口のように、潮の満ち引きの影響がかなりあり、潮が引いている時はなかなかエントリーが大変で、週末の決まった時間に漕ぐというのは難しそうだ。
その反面、フリーでのエントリーできる場所が多く、「水面」が近くにありすぐに漕ぎだせる環境があることは驚いた。デルタ一周だけでなく漕ぐには様々なルートがあり「日常生活と川の近さ」を感じる。広島市内には6本もの川が流れており戦前までは舟運が盛んで、河岸には石で積まれた多くの「雁木」(がんぎ)と呼ばれる船着場があったりと、日常生活に水辺が近かったことという歴史的な背景があるのかもしれない。
雁木のように河川敷に自由活用出来る場所が多数あるにも関わらず、無法地帯にならないところも凄いところ。川沿いや橋の下に落書きやゴミも少なく気持ちが良い。もちろん「8月6日」のことががあり、『平和の象徴としての街』で有り続けるために継続的な努力をされているのは言うまでもない。
その努力の甲斐あって、国内外から多くの方々が訪れる街となっているのも頷ける。フレンドリーな方も多く、ぜひまた漕ぎに訪れたい場所になった。
ジョグをした時に、河川敷に川で最期を迎えた方を弔う慰霊碑をいくつも見かけたし、地図を見ても川の周辺に多くある。横浜大空襲の際も、火に囲まれて逃げ場が無くて大岡川で亡くなった方も多くおられるし、こうして水上のアクティビティを楽しむことが出来るのも、戦争がないからこそのことで、本当に感謝のありがたいこと。
■今日のコース
スタート時に少し押し忘れてしまったが、デルタを一周。
■土橋温泉でザブン
早めに帰るメンバーを見送り、少し時間があったので市電に乗って土橋駅と大田川のそばにある土橋温泉へ。
広島県公衆浴場業生活衛生同業組合のサイトでは「土橋湯」だけど、どちらが正解か良く分からない。
地元の方に混ざって湯船につかってリフレッシュ。番台にいた女性のかたから持っていたパドルについて尋ねられる。『なんや武器かなんかかと思ったわー』(仁義なき闘いの街だもんなあ)と言われたので、『実はデッカイしゃもじなんですよ』と答えたら、『広島じゃけんねぇ』と笑いながら返ってきた。