見出し画像

#3 横浜駅の雑学/豆知識

日本最多の6社局が乗り入れる横浜駅は日本有数の巨大ターミナルであり、初代が現在の桜木町駅(1874年)で二代目は高島町(1915年)に造られた。関東大震災で倒壊し今の場所になったのが1928年。建て替えでルミネやポルタが完成したのが1980年である。
駅の歴史はざっとこんな感じだがそんな横浜駅に関する小話、雑学のようなことを今回は紹介したい。

【温故知新のみち】より

横浜駅の1番線2番線が京急の理由

横浜駅は全国でも珍しい私鉄の京急に1番線と2番線が割り当てられている。3番線から10番線はJRでその他の私鉄各線は独立したホームになっている。
これには理由があり高島町に2代目横浜駅があった時にすでに品川〜神奈川間が開通していた京浜電鉄(現京急)は省線(国鉄)の神奈川駅で乗り換えが出来た。
しかし1923年の関東大震災により2代目横浜駅は倒壊。震災復興事業として横浜駅は現在の場所に移転する事が決まったが駅間が近すぎる神奈川駅は廃止になる事になった。
そうなると京浜電鉄は省線との乗換え駅が消滅する事になる。当初は神奈川から長者町までの建設免許を鉄道省から取得していたが、ルート変更を余儀なくされる。結局は京浜電鉄側もそれなりの負担を背負う形で京浜電鉄のホーム込みでの3代目横浜駅が建築された。当初の予定の長者町方面が急カーブして戸部駅に入るのはこの名残となる。
ホームの番号は駅長室側(駅の表側)から割当られるので現在の駅長室がある東口側の一番端から番号が割当てられ現在もそのまま引き継がれている。
【季刊誌横濱61号】

崎陽軒のシウマイ娘

横浜駅の名物の一つといえば崎陽軒のシウマイ弁当だろう。駅構内の至る所に売店があるが東海道本線下り5、6番ホームの売店はGWやお盆の時期は早い段階で売り切れてしまう程の人気だそうだ。
ここで昔、停車した特急列車の乗客に「お弁当はいかがですか?」と販売していた女性たちがいて話題になった。
たすき掛けをした容姿端麗な女性たちが毎日新聞に取り上げられ小説や映画にもなりシウマイ弁当の売上が爆発的に伸びた。
『シウマイ娘』は1950年に登場し駅のホーム約300mを行き来するのはかなりの重労働だったようだが国鉄職員と崎陽軒の社員は仲が良く共同の運動会なども開かれた。
現在、みなみ東口の再開発の計画もあるが理事長は崎陽軒の社長で事業協力者が日本郵政不動産、JR東日本、京浜急行電鉄であることから崎陽軒が横浜駅発展にとても影響力がある事が伺い知れる。
【崎陽軒の歩み】
【読売新聞2010.11.21】【新週刊1961.6.29】

何もなかった横浜駅西口

今でこそ横浜駅西口は沢山の人々が行き交い商業繁華しているが、昭和20年代までは何にもなく夜になると一人で歩くのも怖い危険な地帯と言われていた。『横浜』といえば桜木町〜伊勢佐木町を指していた。
この西口エリアは戦後にアメリカ軍の資材置場だったのが昭和26年に地権者のスタンダードヴァキューム社(モービル石油)に返却。これを相鉄がまとめて買い上げて昭和30年代に高島屋、ダイヤモンド地下街、横浜ステーションビルなど一気に開業し現在に至る。
実はこの時にスタンダードヴァキューム社は「土地を細かく売った方が儲かる」と計画していたが総支配人が「それでは将来の発展に支障をきたす」と英断したエピソードがある。
もしこの時に細分化され土地が売却されていたら雑居ビルや集合住宅、戸建が建ち並び今とは全く別の雰囲気となっていただろう。
【季刊誌横濱21号】

日本初のチップ制トイレ

ガス灯や駅売り売店など横浜駅が鉄道初めてというものも多いが、1981年12月1日にわが国最初のチップ制トイレが誕生したのが横浜駅の南口改札内正面のトイレになる。
当時の様子が【読売新聞1981年12月5日夕刊】で取り上げられているので引用して紹介する。
このチップ制トイレは『駅トイレクリーン作戦』の一環としてはじまり「有料ではありません。あくまでお志で…」という国鉄側の姿勢だったが、民間に委託された管理人が8時から19時まで常駐した。
入りかけて案内を見てUターンする人やチップ入れをのぞき込み結局入れない人、管理人さんに「いくら入れればいいの?」と聞く人など様々な人間模様が見られた。
読売新聞の記者の取材では女性の方がチップ制に賛成という声が多かったようだが、実際には初日の2時間での一人当たりのチップ代の平均は男性が4円40銭、女性が1円85銭で3日目の合計金額が男性26428円で女性が12781円で女性の方がお金にシビアという結果だった。
当時のトイレには学校帰りの女子高生が洗面台を占拠、大人顔負けのお化粧をし『カラスちゃん』と呼ばれていたが管理人のおばちゃんには「就職決まったよ」「(お給料が入ったら)今度、チップ入れるね」とほのぼのとしたやり取りもあったようだ。
因みにこのチップ制トイレは『ミニョン・ポート』の名称でフランス語で「かわいい港」の意味があるそうだ。【読売新聞1990年6月19日】 

横浜駅のシンボル大時計

磯子にある市電博物館に展示されている大時計。この時計は3代目横浜駅が出来た1928年から大改装工事がはじまる1979年まで半世紀以上も東口のシンボルとして設置されていた。
実はこの時計は撤去され廃棄の予定だったが市民数人が駅長や市長に掛け合って保存が決まったという経緯がある。
鉄道記念物には登録されてはいないがとても貴重なので市電博物館に行った際は見てほしい。
【読売新聞2010.11.21】

2024.11.14加筆
※今後も小話があれば加筆していきたい。


いいなと思ったら応援しよう!