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#2 相鉄線の廃駅跡地

場所が曖昧な相鉄線の廃駅

相模鉄道こと相鉄線にはいくつかの廃止になった駅がある。どの路線でもそうなのだが時代の流れとともに姿を消していく事は珍しくはないのだが、相鉄線に関してはその存在自体が謎に包まれている。
2017年12月に創立100年目を迎え2018年に発行された相鉄公式の【相鉄100年史】でも年表に廃止の件が記されている程度である。
ネット上でも駅があった場所は発信者によって違ったりする。wikipediaでも曖昧な位置で出典も記されていない。
今回は完全廃止となった古河電線駅、新川島駅、二俣下川駅、二ツ橋駅の場所を出典を明確にし特定すべく調査した。
尚、移転と名称変更などにより駅名が消滅した北程ケ谷駅(星川駅)、常盤園下駅(和田町駅)、柏ケ谷駅→大塚本町駅(さがみ野駅)はwikipediaなどを参照されたし。

相鉄線の歴史

簡単に相鉄線の歴史を説明すると1926年5月13日に二俣川〜厚木間を開業したのが神中鉄道で相模鉄道が1921年に相模線を開業し戦時買収により相模線は国有化された。その後1943年4月1日に相模鉄道が神中鉄道を吸収合併した。

朝日新聞1926年5月13日
神奈川新聞1943年4月1日

ここまでは鉄道歴史好きなら知ってる方も多いだろうが、相模鉄道が鉄道開業前に一度改称している?と思われる資料があった。
『相王鉄道から相模鉄道への改称を逓信大臣に出願した』とする記事が1896年11月28日読売新聞にある。記事では「東海道平塚から八王子に至る」とか「平塚から相原までの仮免状を下付し」とあるのでここで取り上げる相模鉄道の前身なのか?未見の文献発見なのか?
他にも【相王鐵道株式會社創立願及起業目論見書】が神奈川県立図書館に所蔵されている。
この事は相鉄100年史にも書かれておらず相模鉄道は1917年を創業年としていて謎である…

1896年11月28日読売新聞

【追記】

上記の件を相鉄様に直接問い合わせてみたが、「相王鉄道と今の相模鉄道は無関係」「この時代は私鉄創設ブームで各地で会社設立の動きがあり、その中の実現しなかった一社が偶然同じ名称で出願したのではないか」とご丁寧な回答をいただきました。相鉄様ありがとうごさいます。
その後調査した所、相王鉄道は免許失効により解散しているようです。

どうやって駅の場所を特定するのか?

さて、相鉄の公式にも書かれていない。相鉄が発行している相鉄瓦版や神奈川新聞社発行の季刊誌横濱の相鉄線特集にも具体的な場所は載っていない…どうするか?と考えたのだが当時の地図があれば一番信頼出来るという結論になった。
そんな古い地図はあるのか?と思ったのだが結論から言えば存在していた。当時の地図から廃駅になった場所を特定した。

古河電線駅

平沼橋→西横浜の間
1957年1月に廃止(相鉄100年史)
古河電気工業専用の停車所。
東京瓦斯のタンクの位置から現在の平沼二之橋(1974年架設)のあたりと思われる。

昭和32年横浜市経済地図
現在の風景(右が東京瓦斯で正面の橋が平沼二之橋)

新川島駅

上星川→西谷の間
1960年8月1日廃止(相鉄100年史)
現在の上星川6号踏切の所の空き地と思われる。目印は西谷三和プラザ。

昭和18年三千分一地形図
現在の風景

二俣下川駅

1960年8月1日廃止(相鉄100年史)
鶴ヶ峰→二俣川の間。
タカナシ乳業の近くの鶴ヶ峰4号踏切のあたり。

昭和15年地文社
昭和38年横浜市経済地図

こちらは廃止3年後の地図だが駅のホームの形がはっきりと残っている。

現在の風景(画像は二俣川から鶴ヶ峰方面)

二ツ橋駅

1960年8月1日廃止(相鉄100年史)
三ツ境→瀬谷の間。
三ツ境3号踏切のあたりとするネット情報もあるが地図の位置関係だと中原街道過ぎてすぐの場所と思われる。

昭和15年地文社
現在の風景(正面に見える空き地と思われる)

以上が地図を調査した結果だが古い地図なので正確な位置ではない可能性もある。別の事実が判明すれば加筆、修正をしたい。
※地図や新聞記事は著作権期限切れなのでそのまま掲載した。(下記参考サイト)
e-Gov法令検索

YouTubeに簡単なまとめ動画上げています。


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