#5 横浜線(ワンマン化決定)の雑学/トリビア/歴史
2026年春に横浜線はワンマン化
2024年11月6日、JR東日本から2026年春に横浜線全線(八王子〜東神奈川)と直通する根岸線E233系8両(東神奈川〜大船)がワンマン化すると発表された。
来年は鉄道マニアが訪れる事が増えると思われるので雑学/トリビア的な事を手持ちの資料から書き記すことにした。(新聞記事は著作権期限切れなのでそのまま掲載した)
当初の横浜線の起点は川崎!?
JR横浜線の前身は横浜鉄道という私鉄であることは知られているが、実は開業までに紆余曲折があった。生糸を売り込む原善三郎ら横浜の有力な商人たちが発起人となり1886年12月に武蔵鉄道を出願した。
八王子宿では織物や生糸の取引が盛んで八王子街道を南下して横浜の開港場まで来ていた。
鉄道を開通させる事により沢山の生糸を効率よく運ぶことが主な目的であった。川崎起点で出願したのは横浜の起伏の激しい場所を避けるためと、すでに開通してた東海道本線と接続し東京の中心にも出やすくするためであった。
しかし八王子〜新宿で先に出願していた甲武鉄道(後の中央線)が許可され、武蔵鉄道はあえなく却下されてしまう。
次に横浜鉄道として八王子〜横浜(現桜木町)間を出願したが、これも官設鉄道で中央線と東海道本線をつなぐ計画があり却下となり、三度目の東神奈川〜八王子の出願は官設鉄道の計画が財政上の理由により進んでいなかったためにようやく1902年3月に仮免許の許可が下りたという流れである(1905年5月に本免許下付)
横浜鉄道の中心人物で誰よりも開通を熱望した原善三郎が死去したあとのこととなる。
【季刊誌横濱52号】
(祝)1908年9月23日横浜鉄道開通
そんな紆余曲折がありようやく開通した横浜鉄道。
当時の横濱貿易新報(現在の神奈川新聞)では数ページにわたり沿線の名所を写真付きで特集している。
朝日新聞には横浜鉄道の広告が掲載されていて、やはり沿線の名所を紹介している。
これを見ると小机駅の小机城跡以外は結構遠い…
周辺は農村ばかりで目立った名所はない(?)が神奈川宿や八王子宿から人が流れてくるのを期待していたことは紙面から伺える。開通から10日間は運賃半額の大盤振る舞い。
1917年に国有化されて横浜線となってから、実際に沿線の人口が増え始めるのは1964年に新横浜駅が開業し新幹線が停まるようになってからで複線化工事が始まったのも1967年からである。
開業時から残る鉄道遺構が多数ある
最後に横浜線には開業時から残る鉄道遺構が所々に見られるのでその一部を紹介したい。
東神奈川駅にあるレンガ積みのホーム基礎
3番線ホーム下に残る116年前の赤レンガ積みの基礎で『イギリス積み』だそうだ。列車の高さが代わる度にかさ増しされ現在に至る。ここは横浜線の起点になり0キロポストもある。
菊名駅近くの石積みの橋台
単線時代の名残で半分はコンクリ造り。ここを路線バスが高さギリギリで通るので一度は見ておきたい。
小机駅の線路下にはレンガ積みの水路がある
こちらも恐らくは小机駅開業時から残る遺構と思われる。
近代土木遺産の岩川橋梁
場所は長津田駅から少し歩いた所で住所は『いぶき野41』のあたりとなる。100年以上前に積み上げられた石積みの橋台は二度の大きい地震にも耐えた。当時の技術に感動。
他にも開業時からそのままの姿の木造駅舎の大口駅や石積みの橋台があるので、訪れた際は横浜線の歴史を味わっていただきたい。
※今後も追記する予定です。