さだ子さん 2話 53 紗希 2020年5月18日 01:28 窓から顔を出すと、さだ子さんがいた。「さだ子さん、会社は?」「おはようございます。林健太さん」さだ子さんがスコップを手に笑っている。「おはようございます。仕事はどうしたんですか」「休みました、だって雪ですから」雪ですからって。しかし嬉しそうだな。「すいません、雪掻きさせてしまって。僕も今いきますから」「もう大丈夫です。危ないところは終わりましたから。それより窓を閉めた方がいいですよ。部屋の温度が下がってしまいます」「あ、はい。女性に雪掻きさせてしまって……。ありがとうございました」僕は窓を閉めた。もっと早く気がつくべきだったな。天気予報を見ようとテレビをつけた。この辺りはもう降らないらしい。雪が好きなさだ子さんのことを思うと、いいのか悪いのか。そう思っていたら話し声が聴こえて来た。大家さんの奥さんと、さだ子さんだ。時折、笑い声が訊こえた。大家さん夫妻は、さだ子さんのことを気に入っているらしい。よく立ち話しをしているのを見かける。声がしなくなったと思ったら、インターホンが鳴った。ドアを開けると、奥さんだった。「おはようございます、林さん。具合はどう?」「はい、最近はかなり調子が戻ってきた感じがします」奥さんは疑いの眼差しで僕を見ている。「夜は?眠れてるの?」僕は頭を掻きながら、「それがなかなか。睡眠障害って辛いですね」「ほらみなさい。働きたいだろうけど、決して無理はダメよ。治り際が大切らしいから」「はい、いつも気を配ってくださってありがとうございます。無理はしていないので大丈夫です」「大家なんだから、入居してくれてる住人さんに気を配るのは当たり前よ」「はあ、すいません」「だから謝らなくていいの。生真面目なんだから、林さんは」「あはは。そうでした」「くれぐれも養生するのよ。朝早くから悪かったわね。じゃあね」奥さんが帰ったあと、僕は自分の部屋を見て焦った。掃除をする気力がないから、とっ散らかっているのを見られてしまった。もう後の祭りだが。「やれやれ、二度寝しようっと」僕は布団に潜り込んだ。昼夜逆転の生活をしているので、目が覚めた時は既に夜だった。すごく腹が減っている。考えたら朝から何も食べていない。「昨日のシチューでも食べるか」僕はヨロヨロ立つと台所に行き、鍋の乗ってるコンロに火をつけた。薄っすらと、カレーの匂いがしてくる。「さだ子さんも、今から晩御飯か」冬場は、こうして作り置きが出来てありがたい。次は鍋にでもするかな。野菜や肉、豆腐を入れて。数日は持つな。そういえば雪はどうなっただろう。僕は窓を開けて外を見た。降ってはいないが、五センチくらいは積もっている。「明日の朝の凍結が心配だな」シュンシュンシュンと鍋が沸騰している。僕は窓を閉めてシチューを食べることにした。お袋に教わった肉団子が旨い。生姜が入っているので体が余計に温まる。夢中で食べて、スープも全部飲んだ。今夜も泣き声が聞こえてくるのだろうか。僕は上を見上げた。翌朝は快晴だった。人々は厚手のコートを着て、白い息を吐きながら滑らないように、慎重に歩いていた。昨夜は泣き声はしなかった。雪が吸い込んでくれたのかも知れないが……。さだ子さんの仕事は、工場で作られた製品を検査することだ。慣れない機械を一生懸命に覚えて黙々と働いている。そして、今日の分の仕事を終えた直後、さだ子さんは上司に呼ばれた。冬の日暮れは早い。まだ4時半なのに、外は真っ暗になってしまった。けれど流石に師走だ。商店街やスーパーにはイルミネーションが飾られ、あちこちの店の前にはクリスマスツリーやサンタクロースの人形が置かれている。僕はケーキ屋さんに向かって歩いている。時々、無性に甘いものが食べたくなる。酒も呑めるし、甘い物も好きだ。「このままじゃ、中年になってからはメタボまっしぐらだな。分かっているけど食べたいんだよな」そんなことを思っていたら、向こうからさだ子さんが歩いて来る。何となく元気が無い。「もしやーーまたか?」たぶん解雇されたのだ。どうして、さだ子さんは行く会社、行く会社をクビになるのだろう。さだ子さんは、いつも云っている。『この仕事は、わたしに向いていると思うの。だから一生懸命に働かないと』僕はケーキ屋さんの前で、さだ子さんを待つことにした。トボトボと歩く姿は、僕の知っている、さだ子さんとは、まるで別人のようだ。段々と近づいて来たさだ子さんは、僕に気付いた。すると、ニッコリして、いつものようにクルクル回って、僕のところまでやった来た。「お疲れでした、さだ子さん。良かったらケーキを食べて行きませんか。御馳走しますので、付き合ってください」さだ子さんは、弱々しい笑顔で「うん」と頷いた。僕たちは、この街で一番美味しいと評判のケーキ屋さんに入った。小さな店だけど、ショーケースの中にあるケーキは、どれも作り手の愛情がたっぷり感じられる。奥には食べるスペースもある。僕は定番だけどモンブランを、さだ子さんはレモンパイを、飲み物は二人共ミルクティを注文した。僕らはイートインのコーナーに行き、席に座った。少ししてケーキと飲み物が運ばれてきた。「わぁ!可愛いし、美味しそうね」さだ子さんは、はしゃいだ。「どうぞ、召し上がれ」「いただきま〜す」そう云ってさだ子さんはケーキを一口食べた。「爽やか!レモンの香りがして、でもすっぱ過ぎず、美味しいです」「良かった。では僕も食べよう」モンブランは僕の好物だ。う〜ん、旨い。深い味がして栗が口いっぱいに広がる。次に来たときは、パイは苦手だけどミルフィーユを頼もう。食べ終わると僕とさだ子さんは、しばらく黙っていた。「あの……わたしね」「ストープ!何も云うでない。拙者には分かっておる」さだ子さんは、目をパチパチさせて訊いている。そして一呼吸おいて、「大丈夫、また見つかりますよ」と僕は云った。真顔で訊いていたさだ子さんは、フッと表情が和らぎ、笑顔になった。「そうですね、わたしまた探します」「そうですとも」そう云って、僕らは席を立った。 つづく ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #創作大賞2024 #お仕事小説部門 53