Photo by nyankoworld トンネルの向こう 33 紗希 2022年2月20日 21:13 なに、あの人痛いなイカれてるやばいだろバカ丸出し 笑あの日、仕事を終えた私は会社を出ると、花園神社の脇道を通り西武新宿線の駅に向かっていた ワンワン泣きながら普段は、街灯が少ない暗い道なのだがその日は樹々の間から、眩しい程の光とザワザワと、たくさんの人のシルエット。観れば野外で劇をやっている。すごく狭い、けれどそこだけ樹が無い場所で、上手いことテントのような幕を張り、煌々とした、まともに見たら目に悪そうな強い光の中で、役者たちは動き回っている。無料なのだろう。観客は、隙間の無い程の人数が、サササ、サササと縦横無尽に動く役者を観ていた。現実か、幻かの区別がつかない異次元の空間が、そこに広がっている。普段の自分なら、迷わず空間に溶け込んだことだろう。しかしこの夜の私は、“普段”とは、ほど遠かった。駅まで泣き続け、電車の中でも泣き続けた。いったい、いつ泣き止んだのか覚えていない始末。コーポと名の付くアパートで、私は一人暮らしをしている。実家から会社までが遠かったのも、一人で暮らすきっかけではあった。だが、本当の理由は父から離れたかったからだ。横暴な父との暮らしには、限界が来ていた。 〈家を出よう〉そう決めたのだった。私が大泣きしたわけは……。それは会社で二つ歳上の、大学も同じ先輩が、過労で働けなくなり、田舎へ戻って行ったからだった。その先輩社員は男性で、私が想いを寄せていた人だ。そして以前に勇気を出して、気持ちを伝え、結果、見事に撃沈した人である。だからって嫌いには、なれない。”好き”という感情は今も持ってるし、それでいいと、自分は思う。とても有能な人で、会社側は先輩をかなり、かっているし、他社から引き抜きがあるのも知っている。そのため先輩には、かなりの高額な給料を払っていた。私は仕事上、社員もアルバイトの学生達全員のお給料を知っていた。だからといって会社側は先輩に頼り過ぎていた。日頃から先輩のスケジュールは、ほとんど休み無しのギュウギュウ詰めだ。たまの貴重な休みでも、誰かが急に出れなくなると、代わりに先輩が仕事に行く。一度、上司に抗議したことがある。こんなこと無謀過ぎている。どうしても云わずにはいられなかった。「大谷さん、このところ全く休んでいません。少しは休日をあげてください」上司は、チラッと私を見ると、「働くだろアイツは。高い給料を払ってるんだ、会社としては」「でも、大谷さんも、生身の人間です。倒れたら、どうするんですか!ましてや窓のメンテナンスの仕事です。命がけなのに」上司は今度ははっきりと私を見た。怒るつもりだろうか。「君も大谷君の取り巻きの一員か」「違います!そんなんじゃありません!大谷さんはメンタルと体の疲労がかなり蓄積しています。見たら直ぐ、分かるくらいに」「キミ、名前は」「岡元です」「大谷君が、そう云ったのか?岡元君に疲れたと」「いいえ。でも見たら分かります。顔色も良くないし、かなり痩せましたし」「好きなんだねえ、大谷君のことが」上司はニヤニヤしている。私はこれ以上、この人に何を云っても無駄だと悟った。「失礼しました」私は挨拶をすると部屋から出た。先輩、いや、大谷さんと一度だけ会社で二人だけになったことがある。この時の大谷さんは、よく話しをしていた。家族は貧しくても仲はいいこと。だが、父親が事業で作ってしまった借金が、相当な額なんだと話していた。「だから、息子の自分が少しずつでも返済しないと」大谷さんの父親は、心臓を悪くして入院している。母親は、体が弱く働けなかった。借金の返済は大谷さんと、その姉との二人で、やっていくしかないんだと話してくれた。詳しい金額は知らないが、数千万単位らしい。私は何か自分が出来ることは、ないだろうかと考えていた。自分なりに思いついたことは、これだった。「ただいま」「お疲れ様でした。はいこれ」それは栄養ドリンクを渡すことだ。「ありがとう、岡元さん」嬉しそうに大谷さんはゴクゴクと飲み干す。「あーうまかった。これを上手いと感じるのは疲れている証拠だな」そう云って彼は笑うのだ。「少しでも座ってください」大谷さんは頷くと、椅子に座った。デスクに顔を付けると、アッという間に小さなイビキをかいている。 《携帯を溝に投げ捨てたくなる》一度だけ、険しい顔で彼が云った言葉。誰にでも穏やかに接する、怒ったことがない人の……。本音が口をついた唯一の瞬間。休日だろうと、早朝だろうと、お構いなしに仕事の連絡が入って来る。365日、束縛された毎日。ある日、人事課の担当者が、困った表情をしていた。「お疲れ様です。あの、どうかなさったのですか?」「あゝ、岡元君。キミの大学の先輩でもある大谷君のことなんだが」私は黙って訊いていた。「3ヶ月の長期休暇をくれと云って来た」「3ヶ月……だめなんでしょうか」人事課の人は渋い顔をしている。「僕は大谷君に尋ねたんだ。本当はもう会社には戻って来ないつもりなんじゃないのかってね」「……」「大谷君は何も反論しなかった。ただ黙って笑顔を見せていたよ」「辞めるつもりだ、彼は」その夜、アパートで私は考えごとをしていた。大谷さんが、会社から居なくなる……。それは想像したくはなかった。寂しくて胸が痛くなる。けれど、それでもーー。翌日、私はいつも通りデスクに向かっていた。電話が鳴った。それは大谷さんからのもので、今日の仕事の件だった。周りには、誰もいない。昨夜、決めたことを私は大谷さんに話すことにした。「大谷さん、もう無理はしないでください。大谷さんの身に何があっても会社は責任を取ってくれません。会社の犠牲になってはいけない」そう、伝えた。電話からは何も聴こえてこない。大谷さんは、しばらく沈黙していた。そして、「じゃあ、今日の仕事は休みます」「えっ、それは困ります!急過ぎます。今日は仕事に行ってください、お願いします」慌てふためく私の言葉に、受話器の向こうから笑い声が聴こえた。その声には、涙が混ざっているのが分かった。「冗談ですよ。今日の仕事をドタキャンなんてしませんから安心してください」「ありがとうございます。良かった」「岡元さん」「はい?」「ありがとう」そう云って電話は切れた。私は席を立つと、屋上に行った。眼下には花園神社が見える。入社した夏に、職場の人たちと花園神社の例大祭に行ったことを思い出した。凄い人混みだった。「確か大谷さんは、リンゴ飴を買って食べてたっけ」私は一度もリンゴ飴を食べたことはない。口の周りがベトベトしそうで敬遠していた。自分も何か食べたくなって、100以上ある屋台を見渡した。どうしても、大好物の“たこ焼き”に目が行ってしまう。「ワンパターンだから今日は別の物にしよう。何がいいかな」大きな綿飴が、下を通って行く。小さな男の子が自分の顔より大きい綿飴を、嬉しそうに手に持って歩いていた。微笑ましさに笑みが溢れる。「さてと、何にする?」斜め前の屋台に視線がいった。 「チョコバナナかぁ。よし!これにしよう」串に刺したチョコバナナをお金と交換して受け取った。実はこれも初めて食べるので、ちょっとドキドキする。 パク結構、美味しいんだ。良かった!「岡元さんはチョコバナナか」焼きそばを食べてる会社の林さんに、声をかけられた。「初めて食べましたけど、美味しいですね」「俺は甘いものは、苦手なんだ。酒飲みだからさ」「私も呑みますが甘い物も好きですね」「両刀か、頼もしいな」「太るだけです」私たちが笑っていると、残り僅かになった、リンゴ飴を持った大谷さんがやって来た。「楽しそうだな」「大谷はリンゴ飴か。俺もそうだけど皆んな食べてばかりだな」「6時だと、ちょうど腹が減ってる時間だからな」「そうなんだよ。でもせっかくだから何かやらないか」「何かって、『金魚すくい』とか?」大谷さんは最後の一口を食べ終えて、リンゴ飴完食。「そうだけど、『金魚すくい』だと持って帰るのが大変だし。『射的』なんてどうだろう」林さんも、焼きそば完食。「射的か。懐かしいな、やろう」大谷さんも乗り気になり、射的の屋台まで三人で、フラフラと歩いた。射的の屋台は子供たちで混んでいた。皆んな、つま先立ちで熱中している。ちょうど一人のスペースに空きが出たので、先ずは林さんが挑戦!「何を狙うかな。岡元さん何か欲しい景品はある?」「スヌーピーの文具セット!」「スヌーピー、あ、あれか。よし俺が取ってやる」身を乗り出して林さんが銃を撃つ。「何が取ってやるだよ。当たらないじゃないか。次、やらせて」バトンタッチした大谷さんが狙い撃つ。「は〜い、お兄さん当たりだよ」「何が倒れたんだ?」「はい、ど〜ぞ」屋台のおばちゃんから、グミの袋を渡された。「グミか。岡元さんはグミは好き?」私はニッコリして、「はい、好きです」そう答えた。大谷さんから、グミを贈呈された。 また太るわ「その後、解散して駅に向かったんだ」懐かしいな……。少しの間、私は屋上に立っていた。2ヶ月後、大谷さんは会社を去って、故郷へ帰って行った。自分は涙もろいので、送別会はやらないでください。そう、云い残して……。それから会社は、どんどん規模が大きくなった。社員もパートさんの人数も、かなり増えていた。人手不足で年中、募集をしていたが、そうそう集まらない。全くの売り手市場だ。私は土曜日も出社することが増えた。そんな時、故郷に帰った大谷さんの話しになった。帰郷後、しばらくはのんびり過ごしていたが、父親の借金返済の為に資格を取り、今では会計士の事務所を経営しているという。お姉さんは、3年目で司法試験に合格。見習い期間も終えて、今は弁護士として、活躍していると訊いた。「努力したんだな。大谷さん」家計の為に中学生の時からアルバイトをしてた。そう訊いたことがある。疲れて勉強をする体力がなく、成績はビリから2番目だったそうだ。高校生になっても、同じような日々を過ごしていたが、どうしても大学に進学したくて、大谷さんはバイトと勉強の両方を頑張った。その甲斐があって、返済しなくてもいい、給付型の奨学金で4年間、授業料免除の特待生になれたのだ。仕事が多忙を極め、大谷さんが退職してから6年が経っていた。 会いたい「そういえば、大谷の会計事務所、人手が足りないとか訊いてるぞ」林さんがそう云いながら、私の前を通って行った。人手不足……。ミーン ミーン ミーンバスから降りたら蝉たちのシャワーの歓迎を受けた。空から、アスファルトから、体温を超えた、日差しと、照り返しにも出迎えてもらった。目の前にある、トンネルの向こうに、大谷先輩が生まれ育ち、今は仕事場も構えている街が広がっているはずだ。連絡もしないで、突然来てしまったけど、また撃沈するかも知れないけど、私は諦めが悪い。そのままの自分に素直になる。そう決めたんです、先輩!帽子を片手で抑え、私は走ってトンネルに入って行った。 了※ 2枚目Photo by マシーンぶくお氏 Special thanks ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #恋愛 #短編小説 #ブラック企業 #青春時代 #新しいわたし #へこたれない #新宿花園神社 #尊敬できる先輩 33