冬に鳴く虫 21 紗希 2023年4月19日 04:01 ただ今、深夜1時。季節は真冬の1月。僕が居るのはキッチン。火の気が無いから底冷えがする。しかも窓まで開けている。何故ならタバコを吸ってるから。「換気扇の下で吸うのじゃダメ?」「ダメ。吸うなら窓を開けてちょうだい」姉に云われてしまった。僕は、姉には逆らわないことに決めたんだ。あの日以来。そういうわけで震えながら窓を開けている。しかし冷えるなぁ。やめられないんだよなぁ、タバコ。冬の真夜中は静かだ。 リリ リリ リー リー虫が鳴いてる。真冬なのに?聞き違いか。僕は目を閉じて、ゆっくりとタバコを吹かす。 リリ リー リリ リリ リー聞き違いじゃない。やっぱり虫が鳴いてる。夏や秋と違い、1匹だけで鳴いているように聞こえる。リリ リリ リー儚げな鳴き声。寂しくないか?僕は灰皿でタバコを消すと、おやすみ、と云って窓を閉めた。翌日、僕はキャンパスで、友人に訊いてみた。「こんな時期に鳴く虫っているんだな。博は知ってた?」「知らないなぁ。居るのか?そんな虫が」「うん、僕も初めて聴いた」「何ていう虫なの」博はたまに、人の話しを訊いてないなと思う。「こっちが知りたくて訊いてるんだろ」「1月に鳴いてる虫ねぇ。あ、祐介のお姉さんなら知ってるかも。頭いいじゃない、キミのお姉さん」「確かに姉貴は勉強は優秀だよ。だけど虫のことまでは無理だろうな」「少しは元気になったの?」「姉貴なら、相変わらずだよ。普通にしてるけど、実は普通じゃないよ、あの人はまだ」博は小さく頷いた。「仕方ないよな。あんなことがあれば。元の元気な陶子さんに戻るには、もっと時間が必要なのも判るよ」「ん、何か音がしたな。何の音だ」そう思ってたら、部屋のドアが開いた。見ると、そこには携帯を握りしめた、姉の陶子が立っている。何だか変だ。僕の部屋に来たくせに、黙って立ってるだけで一言も話さない。そして姉は全身の力が抜けたように、ゆっくりと座り込んだ。「姉貴、どうかしたの」最初、姉は無反応だったが、急に涙を流し出した。「姉貴、しっかり!何があったのか、話してよ」涙を流しながら、姉の口から出た言葉は、到底信じられないことだった。「雪崩に巻き込まれたって、純一が」え……。「まだ見つかってないの。吹雪いてるから、今日の捜索は終わったって」姉貴ーー。純一さんが、遭難。そんな。「厳しいって。そう云ってた」姉は顔を覆い、どうしようどうしようと、繰り返す。「落ち着いて。まだ判らないだろ?」「判るよ」「姉貴」「判るわよ!祐介だって本当は判ってるくせに」何も云えなかった。純一さんは、姉の婚約者だ。「いやだああああ!」狂ったように泣き叫ぶ姉を、僕は強く抱いた。「どうしたの」声を訊いた母が部屋に入ってきた。姉貴を見るなり母の顔が変わった。「陶子、いったい何があったの。陶子、ねぇ」「母さん、純一さんがスキー場で遭難したらしい」「純一さんが、遭難」「あゝ、雪崩に巻き込まれたんだ」「……そんな」数日後、純一さんは帰らぬ人となって、自宅に戻って来た。この日から、3年が経つ。姉貴は気丈に会社に通勤している。だがそれは、僕のよく知っている姉貴ではない。別人になってしまった姉だった。 リリー リリ リリー リリ「今夜も鳴いてるのは、きみだけかい?仲間たちは寝てるの?」僕は、夜空を見上げた。チラチラと降って来そうだな。 パタン「姉貴、どうしたの」「珈琲が飲みたくなって」そう云うと、コーヒーメーカーに挽いた珈琲豆と水を入れた。スイッチを押して、後は出来上がるのを待つだけだ。姉貴は僕のところにやって来ると、「祐介、よく風邪引かないね。窓を全開にして」そう云った。「何故だか風邪は引かないんだ」「へえ、そうなの」 リリ リリ リリ リー「あら、寒い中ちゃんと鳴いてくれてる」珍しく姉貴が微笑んでいる。「祐介は、この虫の名前知ってる?」「いや、知らない。姉貴は知ってるの?」「やまとひばり」「へえ、よく知ってるね」「純一さんから教わったの。彼は昆虫に詳しかったから」「純一さんが。知らなかった」「やまとひばりは、夏と冬で鳴き声が違うの。夏はもっとうるさい鳴き方をする。ギーギーって。冬は今のように静かに鳴くのよ」「面白いな」「面白いでしょう。やっぱり冬のやまとひばりの鳴き声の方が好きだわ。ね、純一」姉はコーヒーの入ったカップを手に、キッチンを出ようとして、僕を見た。「長いこと心配させてごめんね。おやすみ」そう云って戻って行った。やまとひばりか。いい鳴き声だ。 リリリ リー リリリ リリ 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #小説 #ありがとうございます #ヤマトヒバリ #冬と夏 21