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Photo by
tyawonigosu
スズランとタンポポ
彼女の名前は“鈴蘭”という。
もちろん僕の彼女。
なんてね。僕が一人でそうだったらいいのにと思っているだけなんだけど。
名前だけじゃなく、顔も可愛い。
知り合ったのは今通ってる夏季講習の予備校。
訊くと第一志望の大学が同じだった。
僕は俄然やる気が湧いてきた。
🌿💐
しかし鈴蘭の頭の良さには驚かされる。
全国統一模試で、たいてい30位内に入っている。
焦る。
僕の現状は、志望校の合格率は30%辺りをウロウロするのが続いてる。
何としても鈴蘭と同じキャンパスに通いたい。
その日の講義が終わった。
僕たちは予備校を出て駅に向かって歩いていた。
「あっ!誠、メガネ!」
「えっ?あっ!ホントだ。教室に忘れてたきた。いいや、戻るのが面倒だから。誰も取らないだろうし」
途中に『自然の食卓』という店があった。
無農薬で育てた野菜なんかを売っている。
チラッと見たら野菜以外にも色々扱っているらしかった。
「誠、こういうお店に興味があるの?」
「いや、特別には無いよ。ただあれが目に付いたんだ」
【タンポポコーヒー】
「どんなのかなぁと思ってさ」
「タンポポの根で作るのよ。味はコーヒーにはほど遠いわよ。お茶に近いと思う」
「飲んだこと有るんだ」
「一度だけ。カフェインが苦手な人には人気があるみたい」
「ふ〜ん。ノンカフェインなんだ。試しに買おうかな」
鈴蘭が目をパチクリして僕を見ている。
「あ、飲むのは僕じゃなくて姉。いまお腹が大きいんだ。だからカフェインはよくないらしいからこれを、ね」
「優しいね、誠は」
「ちょっと買って来る」
10分後、僕は店から出てきた。
「けっこうな値段するんだな。小遣いが少ないから厳しいよ、この出費は」
「でも、お姉さんと、お腹の赤ちゃんが喜ぶわよ」
「ん、そうだね」
🌿💐
優しい鈴蘭だが、僕には彼女が何か、怒っているように見えた。
この時の鈴蘭の厳しい眼差しが、僕はずっと気になっていた。
駅に到着。
僕と鈴蘭は上りと下りの電車に分かれる。
「じゃあまた明日」
「うん、バイバイ」
先に鈴蘭が乗る電車が来た。
空席があったらしく、鈴蘭は座ると、窓の外の僕に手を振りながら電車は発車した。
いつも想うんだけど、先に鈴蘭が電車に乗って行ってしまうと、僕はすごく寂しい。
いつまでも、走り去る電車を見送っている。
「ガキじゃん、これじゃあ」
僕の乗る電車が来た。
下りだから混んでいる。
ぎゅうぎゅう詰めの車内は、やはりサラリーマンが目立つ。
スーツを着て、ビシッとネクタイを結んでいて、何だか苦しそうに見える。
“ネクタイを早く取りたいだろうな”
見るたびにそう思う。
僕は僕で早く部屋着になりたい。
洗濯機に入れ忘れて、シワっぽいグレーのTシャツ、ヨレヨレのスエット。
「同じ格好ばかりして。男臭いから早く脱いでちょうだい!」
口癖になってしまった母の言葉。
僕は黙って自分の部屋に入り、今日やった講義の復習を始める。
僕は薬学部に入りたいと思っている。
薬剤師になることが目標だ。
以前に僕は、ある病気になってしまったことがある。
入院まではいかないが、日常生活を送るのが、かなり辛かった。
とにかくダルいのだ。
何もする気力がなくなる。
通院はしていたから薬は飲んでいた。
それも、かなりの量の。
しかし治らない。
別の病院に変えた。
医師が処方してくれる薬も変わる。
けれど結果は同じ。
病院は4回変えた。
そしてその4度目の病院の医師が出してくれた薬がドンピシャだったのだ!
日に日に体は軽くなり、ダルさは消えた。
薬は嫌いだが、このときばかりは、
「すごい!」
そう思った。
本当は医師を目指すところかもしれないが、そこまでの頭脳は僕にはなく、医学部に行く経済的余裕も家にはない。
患者に薬を渡すだけではなく、不安に思っている人にはキチンとした説明をし、少しでも不安を取り除いてあげたい。
それが出来る薬剤師になるのが僕の夢だし希望だ。
以前、この話しを鈴蘭にしたら、急に泣き出したことがあったっけな。
あの涙には、どんな意味があるんだろ うか。
何故か訊けなかった……。
🌿💐
腹が減ったと思ったら、そろそろ夕食の時間だ。
アハハハ
ヤーネー
あれ?もしかして。
「あら誠、お帰り」
「姉さん来てたんだ」
「うん、出張で明日帰って来るのよ。だから来ちゃった」
「ちょうどいいや、ちょっと待ってて」
僕は部屋から例の物を持って、姉さんに渡した。
「なぁに、これ」
「袋から出してみてよ」
ゴソゴソ……
「あら〜これ知ってるわ。飲んだことは無いけど」
「飲み物なの?」
母が覗き込む。
「そう、これタンポポの根っ子から作ったコーヒーなの。カフェインが入って無いから私でも飲めるのよ。誠、ありがとう」
「気に入るかは分からないよ。名前と違ってコーヒーの味はしないみたいだから」
「訊いたことあるわ。『ほうじ茶』みたいだって友達が云ってたから」
「タンポポは凄いわね。種類によっては、茎や葉も食べられるし、根っ子は飲み物にねぇ」
母が感心している。
ヘェ〜そうなんだ。僕も初めて知った。
夕飯を済ませて僕は部屋に戻った。
鈴蘭のことを考えていた。
あの時、鈴蘭は確かに不機嫌だった。
なにが彼女の機嫌を悪くしたのか。
皆目わからない。
「たまたまだろう。さ、勉強勉強」
🌿💐
その頃、鈴蘭はパソコンで植物のことを、調べていた。
そして窓を開け、しばらくジッと外灯がぼんやり灯る外を見ていた。
昼間は蝉たちが、競うように必死になって鳴いているが、夜になると秋の虫の声がするような季節になっていた。
「タンポポコーヒーか」
鈴蘭はポツリと呟く。
☕️🌼🌾🥣
鈴蘭 小学2年生
朝のホームルーム
「今朝は先生から皆さんに大事な話しがあります」
ザワ ザワ ザワ
「はい、静かにして」
シーン……
担任の先生は一枚の拡大した写真を生徒たちに見えるように掲げた。
「皆さんはこの花をなんていいますか」
「スズラン!」
クラス中が一声に答えた。
「はい、そうですね、この花はスズランと云います。とっても可愛い花ですが、実は怖い花でもあります」
「怖い?」
皆んなは首を傾げている。
「先生、どうして怖いんですか」
「それはね、スズランは毒を持っているからなの」
「え〜〜!」
「驚いたでしょう?スズランは花にも、葉っぱや茎にも、そして根っこにも毒を持っているのです」
☕️💐🌾🥣
数名の生徒が鈴蘭のことを、チラチラと見ている。
「だから、皆さん注意してください。
可愛いけど、なるべく触らないように。
もし触ったら、よ〜く手を洗ってください。分かりましたか」
「は〜い」
ホームルームが終わり、皆んなは帰り始めた。
「貴子ちゃんちはパン屋さんでしょう?
お花の名前のお店だったよね?」
「うん、“タンポポ”だよ」
「よかったね、スズランじゃなくて、アッ」
その子は、直ぐ傍に座っている鈴蘭に気がつき、慌てて手で口を塞いだ。
鈴蘭は、黙って立ち上がり、ランドセルを背負うと教室から出て行った。
鈴蘭は何故、先生が今日この話しをしたのか知っている。
朝ごはんを食べながらテレビを見ていたから。
幼児がスズランの葉を食べたため、様子が変になり母親が救急車を呼び、一命を取り留めたことから、スズランの毒性に注目が集まっている。
そう、アナウンサーが伝えていた。
翌日から、男子の何人かは鈴蘭のことを、わざと触っては、
「毒が付いた!手を洗わないと死ぬ!」
そう云って笑いながら走っていくようになった。
廊下でパン屋さんちの貴子ちゃん達と、すれ違った。
「良かった〜。お店の名前がスズランじゃなくて。毒が入ったパンを売ってるみたいだもん」
貴子ちゃんが鈴蘭を見ながら、そう云った。
この時、鈴蘭の中で何かが芽生えた。
その“何か”は、その後もずっと鈴蘭の中から消えることはなく、逆に膨張していった。
🌿💐
翌日、僕は予備校に着くなり事務局に寄った。
「あのう、昨日メガネを忘れてしまったのですが」
「はい、届いてますよ」
事務の方が眼鏡を手にやって来た。
「これでしょう?」
「そうです!あ〜良かった〜」
「勉強に夢中になるのはいいけど、忘れ物には気をつけてね」
「はい、すみません。ありがとうございました」
僕が事務局から出た時、鈴蘭が通りかかった。
「あら、誠、おはよう」
「おはよう。昨日忘れた眼鏡、ちゃんと届いてたよ」
「良かったね、誠は眼鏡が似合ってるよ。それに買うと高いんでしょう?眼鏡って」
「うん。僕はアウトレットで買ってるからまだ安いけどね」
僕らは話しながら教室に向かった。
「鈴蘭って、可愛い名前だよね。ご両親がつけたの?」
「ううん、祖父よ。スズランが大好きな人だから」
「なるほど。ホント、いい名前だよ」
鈴蘭は、複雑な顔をして微笑んだ。
教室に入り席に着く。
「将来、やりたい仕事とかあるの?薬学部志望なら、やっぱり薬剤師?」
僕が聴くと、鈴蘭はポツリと云った。
「私は薬学部に入ったら毒性学の勉強がしたいの」
「毒性学。そうなんだ」
「うん。小学生の頃からずっとそう思ってた。そして」
鈴蘭は、僕を見て、
「私が“毒”について勉強したい理由が誠に出会ってから、よりいっそう明確になった気がする」
🌿💐
ありがとう。
鈴蘭は僕にそう云った。
僕にはその意味が、まるで分からなかった。
年が明け、入試がスタートした。
追い込みが功をそうしたのか、思っていたより解けた気がした。
そして合格発表の日。
番号が張ってある掲示板に向かうと、前から鈴蘭が歩いて来る。
「おっ、早いね」
「やることをやらないと落ち着かない性格なもので」
ふふっと彼女は笑った。
「それで鈴蘭はもちろん」
「ハイ!ありがとうございました!」
「そうだよな。あ〜僕の番号は果たしてあるのだろうか」
「早く観てらっしゃいよ。待ってるから2人でお祝いしよう」
「よっしゃ!行って来る!ん?2人で」
「いいから早く」
🌿💐
僕と鈴蘭は、珈琲を飲みながらケーキを食べている。
「いつの間に僕の番号を知ってたんだ。驚いたよ」
「一回、教えてくれたでしょ。だから」
「流石に記憶力が冴えてるな」
「誠、良かったね。なりたいと思った薬剤師さんになってね」
「ありがとう。そういえば鈴蘭の目指す仕事、何も訊いてなかったけど、教えるのが嫌なの?」
鈴蘭は、首を振り、
「別に内緒にしているつもりじゃなかったんだけど、説明するのが恥ずかしかったのよ」
鈴蘭は珈琲カップを静かに置くと、少しの間、目を閉じていた。
「スズランって、毒があるのは知ってる?」
「あ、あぁ、訊いたことがあるけど」
「私の名前がそうだから学校で、からかわれたの、一時期ね」
「そっか……」
「おまけにタンポポっていう名前のパン屋さんがあってね、その店の女の子に嫌味も云われてね、悔しかった」
あぁ、だからあの時、タンポポコーヒーを見てムッとしてたんだ。
「でね、私、考えたの。植物の毒を人の役に立つ何かに使えないだろうかって。調べてみたら、薬で使ってるのを見つけた」
「あぁ、それで毒性学か」
鈴蘭はうなずいた。
「鈴蘭は優しいな。嫌な目にあったのに人の役に立つことを考えられるなんてさ」
「そんなことない。私は毒のあるタンポポを作ろうかと」
「いいよ、それ以上云わなくて。分かってるから」
そういって、僕は鈴蘭の頭をポンポンと軽く叩いた。
「悔しかったよな、偉かったよ鈴蘭」
彼女は少しだけ、泣きそうな顔をした。
窓の外を見ると、小さなものがチラチラ舞い降りて来た。
「降って来たね、雪が」
「うん、降って来たね、積もるかな」
「鈴蘭、合格した勢いで云うけど、お願いがあるんだ」
「なに?お願いって」
「僕と付き合ってください!彼女になって欲しい」
「えっ。じゃあ今までは、付き合って無かったの?私たち」
僕は間抜けな顔をして鈴蘭を見つめた。
「てっきり私は誠の彼女だと思ってたのに」
🌿💐