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本当の自分って


「マンハッタンにいるみたい」

「そうかぁ。どう見ても“みなとみらい”だろ」


相変わらずの、慎の言葉に、私は少しムッとした。


「別にいいじゃない。ニューヨーク気分に浸っても」

「悪いとは云ってないよ。ただ実際のところ、俺と玲奈は、マリンタワーからの夜景を見ているわけだし。グミ食べる?」


「いらない」


旨いんだよ。このグミ。
どれにしよう。
グレープがいいか。


慎と会話をすると、まるで私に、妄想癖が、あるんじゃないかと、云われてる気分になる。


のんびりと、私が打った緩いテニスボールを、慎が強烈なスマッシュで打ち返してくる。

そのことに、寂しさを覚えてしまうのだ。


最近、慎とは会話が噛み合わない。
同じような言葉だけど、今までと、違うのは、慎の言葉が、棘を含んでいることを、私が判ってしまうこと



「そろそろ帰ろうか」

慎に云われ、私たちは駅に向かうことにした。


駅までの道、私は黙って歩いた。

「どうかしたの?」
慎が云った。

「どうもしないよ。慎だって黙ってるじゃない」
私がそう云うと、慎は何も云わなくなった。


電車の中でも、会話らしいことは、ほとんどしなかった。


先に、慎の降りる駅に着く。

「玲奈の家まで、送ろうか?車なら良かったんだけど、あいにく修理に出してるんだ」


「大丈夫。一人で帰れるよ」

「判った。気をつけてな」


発車を告げる、音楽が流れた。

「じゃあな。おやすみ玲奈」

「おやすみ……慎」

ドアが閉まり、電車はゆっくり動き出す。


慎は少しの間、電車を見ていた。

けれど直ぐに、改札へ向かう階段を降りていった。


「数ヶ月前には、電車が見えなくなるまで、手を振ってくれてたのに」



「玲奈、こっちこっち」

友達の杏菜が、両手を降っていた。
すごく目立ってるんですけど。

「玲奈、遅いよ」

「嘘よ、杏菜が早く来てたんでしょう」

それにしてもここは……。


「ちょっと、お聞きしますけど、杏菜が好きなお店って、この路地裏にあるの?」

「そう、ほらあそこ」

そう云って、杏菜が指を差したそこには、古びた、お世辞にもキレイとは云えない、小さな建物があった。

なんていうか、“昭和”が、取り残されてる異空間のようだ。


薄汚れた白い大きな提灯が、風に揺れている。


[食事処]とだけ書かれているが、店名は書かれていない。

看板も無し。

私は思わず、杏菜の顔を見た。

「玲奈、そんなに不安そうな顔をしなくても、大丈夫だから」


笑いながら、杏菜は引き戸を開けた。

「マスター、こんばんは」

「そのマスターって呼び方は、止めてくれって、この間云っただろ?」

「いいじゃないの。今日は友達を連れてきた」


私は杏菜の後ろから、ゆっくり顔を出した。

お店の中は、コの字形のカウンターがあるだけだ。


杏菜に、マスターと呼ばれて、嫌がっている中年の男性は、白いシャツに、白いズボン姿で、カウンターの中にいた。


「いらっしゃい」

男性は、私の顔を観ると、そう云った。

「どうも」

と、私は返し、杏菜と一緒に店の中に入った。


2人とも、椅子に座る。

「玲奈は何を呑む」

「えっ、じゃあ日本酒を、ぬる燗で」

「冬らしくて、いいね。私は
いつもと同じビールにしよう。これしか呑めないのも、つまらないな」

そう云って、杏菜は肩をすくめた。


「うちは、お通しが無いから、注文どうぞ」

メニューを探したが、どこにもない。

「あ、うちはメニューがないんですよ。
気分次第で出す料理は変えるんで。あとはお客さん任せなんです。
簡単なものなら、作りますよ」


玲奈が、「私は肉豆腐をお願いします」と注文した。

「そちらの、お友達は」

「あっマスターごめんね。彼女は、
玲奈という名前なの」


「玲奈さんは、何か食べたい物はありますか」

私はモジモジしてしまった。

「変な注文なので、云っていいのか」

「変な注文は僕の好物なんです。
遠慮なく云ってください」


「えっと、じゃあ、コシの無い、煮込みうどんを」

「箸で摘んだら、切れちゃううどんね。私も好き」

杏菜は出された瓶ビールを、コップについだ。


「いいですとも。作りましょう。出来るまで、一杯やっててください」

目の前に、徳利とお猪口がおかれた。

「お酌致しますわ」

杏菜は、そう云って、私が手にしたお猪口に、日本酒のお酌をしてくれた。


「では、乾杯」

杏菜はコップのビールを、飲み始めた。

私もお猪口を唇に当てた。
ほどよい温燗だ。


「肉豆腐どうぞ。コシの無いうどんは、もう少し待っててください」


いい匂いがする。
醤油と砂糖、出汁の香ばしい香り。

杏菜に勧められて、肉豆腐を摘んだ。

「美味しいね」

「ね、このお店ってハズレが無いのよ」



「杏菜は、このお店を、どこで知ったの?会社の人?」

「付き合ってた人に連れてきてもらったの」


「杏菜には彼氏がいたんだね。全然、知らなかった。え、付き合ってたって……」 


「そう。過去形。振られちゃったんだ。このお店で」



マスターは、黙って大きな鍋で、うどんを茹でている。

私も、何も云えずにいた。


「自分に嘘をつくと、相手にもバレてしまうものね」

豆腐を箸で摘みながら、杏菜は云った。


「お待ちどう。コシの無い煮込うどんの、出来上がり」

マスターが、湯気の立ち昇る、どんぶりを、私の前に置いてくれた。


「杏菜、自分に嘘をつくって、どういう……話したく無ければ、話さなくて構わないよ。美味しそう。
いただきます」


箸で摘もうとしたら、見事にちぎれた。

私は笑った。
正にこの手うどんが、私は大好きだ。

ふぅふぅと息をかけてから、うどんを啜る。

「あ〜美味しい〜。ホッとする味」

「それは良かった」

マスターは、静かに微笑んだ。



「杏菜も食べてみて。優しい味よ」

「玲奈」

「は、はい」

杏菜は、真っ直ぐに私の目を見ていた。

「玲奈とは幼稚園から、高校まで、一緒だったよね。大学から先は別の道に進んだけど」


「そうだね。長いこと一緒にいたね。今も友達でいられて、私は嬉しいよ」


杏菜は、激しく首を振ると、
「私は違う。私は違うの、玲奈」

「杏菜……」

「玲奈は、小学5年のプールの授業の時のこと、覚えてる」


忘れるわけは、なかった。

水着に着替え、クラスの皆んなは、
教室を出て行き、残ったのは、私と杏菜の二人だけになっていた。

のろまな私は、着替えるのに時間がかかった。
杏菜は、私を待っててくれたのだ。


「遅くなってごめんね、杏菜ちゃん。
急がなきゃね」

私は、そう云いドアに向かおうとした。
その時、手を引っ張られた。

「え?」
驚く私に、杏菜はキスをした。

そして唇を離した私たち。だけど
次の瞬間、今度は私から杏菜にキスをしたのだ。


杏菜と私は、その後も数回、キスをした。

中学生の時も、高校生の時にも……。

それ以上は何もなく、私たちは高校を卒業した。


別々の大学に進んだ私たち。

杏菜は、地方の大学へ進学した。

お互いに連絡もしなかった。


これでいいんだ。

これが正解なんだ。

そう自分に、言い聞かせた。


大学で慎と出会い、恋人同士になっていった。


地方の大学を出た杏菜は、地元に戻り、そして就職をした。

高校時代に仲が良かったクラスメート数人で、久しぶりに集まって、食事をしたことがあった。


私はそこで、数年ぶりに杏菜と再会した。

私には慎がいたし、お互い昔のことには、触れることはなかった。
意識的に、しなかったのだと思う。



どれくらい経った頃か、私と慎が歩いていたら、前から杏菜が、彼氏らしき男性と一緒に歩いて来た。


「杏菜」

私は咄嗟に口に出してしまい、
「知ってるの?」と慎に訊かれ、
他人のふりは、出来なくなった。


「玲奈、久しぶり。クラスメートたちと食事の時以来だね」

「そうだね。あ、彼氏なんだ。慎っていうの」


「初めまして。高島杏菜といいます。玲奈とは長いこと、一緒の学校で学びました」



そうだ!

この日からだ。

慎が変わったのは。


言葉に、『棘』を纏うようになったのも。

この時からだったんだ……。



私と杏菜は、お店を後にした。

先のことは、決められないまま……



そして次の休みの日。

私は慎に、会って欲しい。渡したいものもあるから。

そう伝えた。




二人で、よく待ち合わせしたカフェ

私は慎と向い合うように座ると、テーブルの上に、鍵をおいた。

それは慎の部屋の、合鍵だった。


それを見て、慎もポケットから、私の部屋の合鍵を出すと、やはりテーブルに置いた。


「慎は、直ぐ判ったんだね」

「こんなことばかりに勘がいいってさぁ。自分が嫌になる」


「……ごめんなさい、慎」


「玲奈、謝らなくていいよ。玲奈自身、自分が判らなかったんだろう」

私は、頷いた。


「これから、どうするの。彼女と付き合っていくの?」

「……まだ、判らない。どうすることが、一番いいのか。その答えが見つからないんだ」


「そっか。ゆっくりでいいんじゃない」

「うん、そうだね。ありがとう」


そして慎と私は、お店を出た。

「玲奈、頼みがあるんだけど」

「何でも云っていいよ」


「別々の電車で、帰ろうと思う」

「そうだね。先に発車する電車に、慎が乗って、今度は私がホームから手を振りたい」


慎は、優しく、そして悲しみに満ちた目をして、私を見た。


そして電車が静かに、ホームへ入ってきた。
慎はその中に乗り込んだ。

ラッシュで大混雑だけど、以前のように、窓から私を見てくれた。


そして慎を乗せた電車が動き出した。
私は慎に手を振る。
電車が見えなくなるまで、振り続けた。


私は、どうしたい?

自分に問いかける。

けれど答えは出てこない。


判らないまま。答えが見つからないまま。

私は生きていく。
前だけを見て、進む。
いま出来るのは、それだけだから。


      了

        


      














































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