本当の自分って 27 紗希 2024年1月24日 03:16 「マンハッタンにいるみたい」「そうかぁ。どう見ても“みなとみらい”だろ」相変わらずの、慎の言葉に、私は少しムッとした。「別にいいじゃない。ニューヨーク気分に浸っても」「悪いとは云ってないよ。ただ実際のところ、俺と玲奈は、マリンタワーからの夜景を見ているわけだし。グミ食べる?」「いらない」旨いんだよ。このグミ。どれにしよう。グレープがいいか。慎と会話をすると、まるで私に、妄想癖が、あるんじゃないかと、云われてる気分になる。のんびりと、私が打った緩いテニスボールを、慎が強烈なスマッシュで打ち返してくる。そのことに、寂しさを覚えてしまうのだ。最近、慎とは会話が噛み合わない。同じような言葉だけど、今までと、違うのは、慎の言葉が、棘を含んでいることを、私が判ってしまうこと「そろそろ帰ろうか」慎に云われ、私たちは駅に向かうことにした。駅までの道、私は黙って歩いた。「どうかしたの?」慎が云った。「どうもしないよ。慎だって黙ってるじゃない」私がそう云うと、慎は何も云わなくなった。電車の中でも、会話らしいことは、ほとんどしなかった。先に、慎の降りる駅に着く。「玲奈の家まで、送ろうか?車なら良かったんだけど、あいにく修理に出してるんだ」「大丈夫。一人で帰れるよ」「判った。気をつけてな」発車を告げる、音楽が流れた。「じゃあな。おやすみ玲奈」「おやすみ……慎」ドアが閉まり、電車はゆっくり動き出す。慎は少しの間、電車を見ていた。けれど直ぐに、改札へ向かう階段を降りていった。「数ヶ月前には、電車が見えなくなるまで、手を振ってくれてたのに」「玲奈、こっちこっち」友達の杏菜が、両手を降っていた。すごく目立ってるんですけど。「玲奈、遅いよ」「嘘よ、杏菜が早く来てたんでしょう」それにしてもここは……。「ちょっと、お聞きしますけど、杏菜が好きなお店って、この路地裏にあるの?」「そう、ほらあそこ」そう云って、杏菜が指を差したそこには、古びた、お世辞にもキレイとは云えない、小さな建物があった。なんていうか、“昭和”が、取り残されてる異空間のようだ。薄汚れた白い大きな提灯が、風に揺れている。[食事処]とだけ書かれているが、店名は書かれていない。看板も無し。私は思わず、杏菜の顔を見た。「玲奈、そんなに不安そうな顔をしなくても、大丈夫だから」笑いながら、杏菜は引き戸を開けた。「マスター、こんばんは」「そのマスターって呼び方は、止めてくれって、この間云っただろ?」「いいじゃないの。今日は友達を連れてきた」私は杏菜の後ろから、ゆっくり顔を出した。お店の中は、コの字形のカウンターがあるだけだ。杏菜に、マスターと呼ばれて、嫌がっている中年の男性は、白いシャツに、白いズボン姿で、カウンターの中にいた。「いらっしゃい」男性は、私の顔を観ると、そう云った。「どうも」と、私は返し、杏菜と一緒に店の中に入った。2人とも、椅子に座る。「玲奈は何を呑む」「えっ、じゃあ日本酒を、ぬる燗で」「冬らしくて、いいね。私はいつもと同じビールにしよう。これしか呑めないのも、つまらないな」そう云って、杏菜は肩をすくめた。「うちは、お通しが無いから、注文どうぞ」メニューを探したが、どこにもない。「あ、うちはメニューがないんですよ。気分次第で出す料理は変えるんで。あとはお客さん任せなんです。簡単なものなら、作りますよ」玲奈が、「私は肉豆腐をお願いします」と注文した。「そちらの、お友達は」「あっマスターごめんね。彼女は、玲奈という名前なの」「玲奈さんは、何か食べたい物はありますか」私はモジモジしてしまった。「変な注文なので、云っていいのか」「変な注文は僕の好物なんです。遠慮なく云ってください」「えっと、じゃあ、コシの無い、煮込みうどんを」「箸で摘んだら、切れちゃううどんね。私も好き」杏菜は出された瓶ビールを、コップについだ。「いいですとも。作りましょう。出来るまで、一杯やっててください」目の前に、徳利とお猪口がおかれた。「お酌致しますわ」杏菜は、そう云って、私が手にしたお猪口に、日本酒のお酌をしてくれた。「では、乾杯」杏菜はコップのビールを、飲み始めた。私もお猪口を唇に当てた。ほどよい温燗だ。「肉豆腐どうぞ。コシの無いうどんは、もう少し待っててください」いい匂いがする。醤油と砂糖、出汁の香ばしい香り。杏菜に勧められて、肉豆腐を摘んだ。「美味しいね」「ね、このお店ってハズレが無いのよ」「杏菜は、このお店を、どこで知ったの?会社の人?」「付き合ってた人に連れてきてもらったの」「杏菜には彼氏がいたんだね。全然、知らなかった。え、付き合ってたって……」 「そう。過去形。振られちゃったんだ。このお店で」マスターは、黙って大きな鍋で、うどんを茹でている。私も、何も云えずにいた。「自分に嘘をつくと、相手にもバレてしまうものね」豆腐を箸で摘みながら、杏菜は云った。「お待ちどう。コシの無い煮込うどんの、出来上がり」マスターが、湯気の立ち昇る、どんぶりを、私の前に置いてくれた。「杏菜、自分に嘘をつくって、どういう……話したく無ければ、話さなくて構わないよ。美味しそう。いただきます」箸で摘もうとしたら、見事にちぎれた。私は笑った。正にこの手うどんが、私は大好きだ。ふぅふぅと息をかけてから、うどんを啜る。「あ〜美味しい〜。ホッとする味」「それは良かった」マスターは、静かに微笑んだ。「杏菜も食べてみて。優しい味よ」「玲奈」「は、はい」杏菜は、真っ直ぐに私の目を見ていた。「玲奈とは幼稚園から、高校まで、一緒だったよね。大学から先は別の道に進んだけど」「そうだね。長いこと一緒にいたね。今も友達でいられて、私は嬉しいよ」杏菜は、激しく首を振ると、「私は違う。私は違うの、玲奈」「杏菜……」「玲奈は、小学5年のプールの授業の時のこと、覚えてる」忘れるわけは、なかった。水着に着替え、クラスの皆んなは、教室を出て行き、残ったのは、私と杏菜の二人だけになっていた。のろまな私は、着替えるのに時間がかかった。杏菜は、私を待っててくれたのだ。「遅くなってごめんね、杏菜ちゃん。急がなきゃね」私は、そう云いドアに向かおうとした。その時、手を引っ張られた。「え?」驚く私に、杏菜はキスをした。そして唇を離した私たち。だけど次の瞬間、今度は私から杏菜にキスをしたのだ。杏菜と私は、その後も数回、キスをした。中学生の時も、高校生の時にも……。それ以上は何もなく、私たちは高校を卒業した。別々の大学に進んだ私たち。杏菜は、地方の大学へ進学した。お互いに連絡もしなかった。これでいいんだ。これが正解なんだ。そう自分に、言い聞かせた。大学で慎と出会い、恋人同士になっていった。地方の大学を出た杏菜は、地元に戻り、そして就職をした。高校時代に仲が良かったクラスメート数人で、久しぶりに集まって、食事をしたことがあった。私はそこで、数年ぶりに杏菜と再会した。私には慎がいたし、お互い昔のことには、触れることはなかった。意識的に、しなかったのだと思う。どれくらい経った頃か、私と慎が歩いていたら、前から杏菜が、彼氏らしき男性と一緒に歩いて来た。「杏菜」私は咄嗟に口に出してしまい、「知ってるの?」と慎に訊かれ、他人のふりは、出来なくなった。「玲奈、久しぶり。クラスメートたちと食事の時以来だね」「そうだね。あ、彼氏なんだ。慎っていうの」「初めまして。高島杏菜といいます。玲奈とは長いこと、一緒の学校で学びました」そうだ!この日からだ。慎が変わったのは。言葉に、『棘』を纏うようになったのも。この時からだったんだ……。私と杏菜は、お店を後にした。先のことは、決められないまま……そして次の休みの日。私は慎に、会って欲しい。渡したいものもあるから。そう伝えた。二人で、よく待ち合わせしたカフェ私は慎と向い合うように座ると、テーブルの上に、鍵をおいた。それは慎の部屋の、合鍵だった。それを見て、慎もポケットから、私の部屋の合鍵を出すと、やはりテーブルに置いた。「慎は、直ぐ判ったんだね」「こんなことばかりに勘がいいってさぁ。自分が嫌になる」「……ごめんなさい、慎」「玲奈、謝らなくていいよ。玲奈自身、自分が判らなかったんだろう」私は、頷いた。「これから、どうするの。彼女と付き合っていくの?」「……まだ、判らない。どうすることが、一番いいのか。その答えが見つからないんだ」「そっか。ゆっくりでいいんじゃない」「うん、そうだね。ありがとう」そして慎と私は、お店を出た。「玲奈、頼みがあるんだけど」「何でも云っていいよ」「別々の電車で、帰ろうと思う」「そうだね。先に発車する電車に、慎が乗って、今度は私がホームから手を振りたい」慎は、優しく、そして悲しみに満ちた目をして、私を見た。そして電車が静かに、ホームへ入ってきた。慎はその中に乗り込んだ。ラッシュで大混雑だけど、以前のように、窓から私を見てくれた。そして慎を乗せた電車が動き出した。私は慎に手を振る。電車が見えなくなるまで、振り続けた。私は、どうしたい?自分に問いかける。けれど答えは出てこない。判らないまま。答えが見つからないまま。私は生きていく。前だけを見て、進む。いま出来るのは、それだけだから。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #短編小説 #ありがとうございます #本当の自分って #人の性癖に口を出さない #キアヌリーブスは聖人 27