ずっと宇宙と一緒だった 32 紗希 2024年1月10日 02:00 ボクね、絵本に出て来るような 流れ星になって、この世界に やって来たんだ。弟が、姿を消して5年近くになる。捜索願いを出し、私自身、何度も警察に足を運んだ。けれど今だに、何の手掛かりも無いままだ。弟の櫂と私は2歳違いで、仲も良かった。家出をした?事故に遭った可能性は。まさか、何かの事件に巻き込まれたとかーー。この5年間、同じ思考が頭の中を、ぐるぐる廻るようになった。櫂は33歳の時に、いなくなった。生きていれば、今は38になっている。 生きていればだなんて、 微塵も思っては、いけないのに……「飛鳥、どうかした?」夫の悠馬の声で、私は我に帰った。「櫂くんのこと?」「……うん」「いったいどこに行ったんだろうな、櫂くんは。僕も知り合いが居る土地には、櫂くんの写真を送ってあるんだ。もし見掛けたら、直ぐに警察と僕に連絡をくれって。だが……」悠馬はそう云い、悔しそうな顔を見せた。「お茶を淹れるわね」私はテーブルから離れると、食器棚から、急須と湯呑み茶碗を取り出した。時計に目をやると、23時を指している。悠馬は、カフェインに弱い。そして下戸なので、お酒は飲まない。急須に少しの茶葉を入れ、湯沸かしポットのお湯を注ぐ。湯呑みには、申し訳程度の緑色をしたお茶が入り、それを悠馬の前に置くと、私は夫の手を握り締めた。「ありがとう。色々と迷惑かけてしまって、ごめんなさい」そう云った。「家族なんだ。当然だろう?」悠馬は、笑顔で私を見ると、薄いお茶を口にした。私を元気づける為に、無理して作った笑顔なのは、直ぐに判った。 お姉ちゃんも、 ボクと一緒に 宇宙へ行こうよ。 すごくキレイなんだ。(僕は、あの子のことを、真剣に考えてる。結婚のことも)櫂は、科学と天文雑誌の会社で、編集者として、真面目に働いていた。その弟が変わったのは、接待で初めてキャバクラに行ってからだ。それまで勉強ばかりで、女の子と、付き合ったことがない弟は、キャバクラの女の子に、本気になってしまったのだ。貯金はみるみる底をつき、サラ金で借りてまで、櫂は店に通い続けた。(櫂、目を覚ましなさい。あっちはプロなの。恋は恋でも、金持って来いって云うでしょう?)私が幾ら櫂をさとしても、弟は信じなかった。(姉さんは、彼女のことを、何も知らないだろ? ああいう仕事をしていても、たくさん苦労して来たし純粋な女性なんだ)(なんで、そんなことが櫂に判るのよ。相手が自分で何か話したの?そんなこと、信じちゃいけない)(違う!彼女じゃない)(いったい誰に、何を訊いたの?)(誰でもいいだろ。もう行くから)(待ちなさい。ちゃんと話してよ。櫂、櫂!)そしてサラ金で首が回らなくなった櫂は、とうとう会社のお金に手を付けてしまったのだ。両親は自分たちの住んでるマンションを売却。全額返済に当てた。自分たちの息子が、働いていた会社に、幾度も出向き、土下座をし、頭を床に擦り付け、何度も何度も謝罪をした。そのおかげで、会社は警察沙汰には、しなかったのだ。無職になった櫂は、それでもまだ、キャバクラの女の子を信じて、バイトをしては、店に通った。僅かなお金しか店に落とさなくなった櫂を見て、その女の子は、ガラッと態度を変えた。「お金の無い男なんて、わたし大嫌いなの。もう来ないでくれる」櫂が結婚まで考えていた娘に、そこまで云われ、店を放り出された弟は、数日後に姿を消した。抜け殻のようになってしまった父と母に、悠馬は同居しましょうと、云ってくれた。だが両親は首を縦には振らずに、山奥にある空き家を借りて暮らすことを選んだ。 でも、宇宙は真っ暗なんでしょう? ワタシは行かない。 だって怖いもん。 違うよ、お姉ちゃん。 真っ暗じゃないよ。 いつも、どこかが光ってるんだ。 だからね、怖くないんだ。 それにボクも一緒にいるよ。 本当に? 真っ暗じゃないの? 何で、どこかが光ってるの。 忘れちゃった。 だからまた行くんだ 今度こそ、忘れないようにある日、私が仕事から戻り、玄関の鍵を開けていた時、携帯が鳴った。「もしもし、谷です」「谷さん!ご無沙汰しています。あの時は本当に、ありがとうございました」「いえ、何のお力にもなれなくて。櫂の行方は」「それが、まだ何も……」「そうですか。飛鳥さん、必ず櫂は帰って来ます。信じましょう」「はい。ありがとうございます」谷さんは、櫂と同じ会社の同僚だった人だ。今回のことがあってから、何度か連絡を入れてくれる。私や両親のことを、心配して……。もう会社にいない、弟のことを、今も心配してくれる人がいる。そのことが、本当に有り難かった。夕食の後、私が片付けをしていると、「やっぱりロマンだよなぁ」と云う、悠馬の声が訊こえた。リビングに行くと、悠馬がテレビを観ている。そこには、種子島でロケットの打ち上げがあったとのニュースが流れ、その様子が画面に映っている。「一度でいいから宇宙に行ってみたいよ」「私は行かないな」「どうして。きっと綺麗だぞ〜。それに、UFOにも遭遇するかもしれないよ」「だから行きたくないのよ。悠馬は怖くないの?」「全然。想像しただけで、ワクワクするよ」 お姉ちゃん、ボク、大人に なったら、宇宙飛行士になる。 もう決めたんだ。「櫂もね、宇宙飛行士になるんだって、ずっと云ってた」「櫂くんの気持ち、判るよ。宇宙はロマンなんだよ。特に男の子にとっては特別なんだ」「あ、今のは差別だと思うわ。宇宙飛行士になった女性だって、何人もいるんだから」「そうでした。反省します」櫂は本気で、宇宙飛行士に、なりたかったのだと思う。大学も理工学部に行き、地学や宇宙・地球学など、将来役に立ちそうな学科を学んだ。だけど櫂の中で、宇宙飛行士になる夢は、諦めたんだと思う。それでも、宇宙への情熱は持ち続けていた。だから、天文雑誌の編集者に、櫂はなったのだろう。「あの、すみません」日曜日、私と悠馬は買い物をしに、ショッピングモールに来ていた。すると知らない男性が、遠慮がちに、声をかけて来たのだ。「はい。なんでしょうか」「突然すみません。もしかしたら、西野櫂さんの、ご家族の方ですか」驚いた私は、黙ってしまった。「どちら様ですか」悠馬が訝しげに、尋ねた。その男性は、萎縮してしまったように見えた。だが、覚悟を決めたようだ。「僕は西野君と、同じ部署で仕事をしていた平田といいます」「平田、さん……」「はい。驚かせてしまい、申し訳ありません。西野君の、お姉さんですよね。何年か前に、櫂くんと一緒にいるところを見掛けたことがあります」「……そうですか」私は身構えていた。まだ、この男性を信用したわけじゃなかったから。「櫂くんは、まだ?」「はい、まだどこに居るのかも、判らない状況です」私の言葉に、平田さんは、いっそう心配そうな表情になった。「お辛いですね」「……」「実は、ずっと悩んでいましたが、櫂くんのことで、お姉さんに、伝えておこうと思いました」「櫂のことで」平田さんは、頷いた。「あの、どういったことでしょうか」私は訊くのが怖いと思った。だが、訊かないと、いけない。何故か、そう感じた。「谷 順一という男を、ご存じだと思いますが」私の体が、小刻みに震え始めた。「谷さんが、何か」やっとのことで出た言葉。「飛鳥、顔が真っ青だ。大丈夫か。平田さん、いま訊かないといけませんか。妻の様子が」「大丈夫よ。私も訊きたいの」悠馬は、心配そうに私を見ていたが、「判ったよ」そう云って、私の手をぎゅっと握った。「お姉さん、本当に大丈夫ですか」平田さんも、不安そうだ。「はい。お願いします」「アイツは、谷は櫂くんのことを、会社から追い出した人物です」「櫂を追い出した。谷さんがですか」信じられなかった。あの谷さんが櫂のことをーー。「何故でしょう。谷さんは、どうして櫂のこと」「ひとつは、自分の昇進の為に。もう一つは、谷が櫂くんの才能を妬んでいたのが理由です」「だけど谷さんは、今も櫂のことを心配してくれて……」「云いづらいですが、様子を伺っているのだと思います」私は、平田さんの言葉を、信じることが出来ずにいた。すると悠馬が平田さんに、質問をした。「櫂を、会社から追い出した。そう云いましたが、具体的には何をしたんですか、谷さんは」平田さんは、私に同情しているようだった。「これは、虐めには有りがちなことですが、谷がでっち上げた櫂くんの悪い噂を、わざと社内で流し、特に上司には、かなりの嘘を、吹き込んでいたようです」「……」「だけど、谷が櫂くんにしたことの中で、僕が一番許せないのは、キャバクラ嬢の嘘の生い立ちを、谷が櫂くんに信じさせたことです」平田さんの拳は、怒りで小刻みに、震えている。「櫂くんの将来を、ヤツは潰したんです」私は悠馬に支えてもらい、やっと立っていられた。「飛鳥、どこかで休もう」悠馬は私にそう云うと、平田さんに伝えた。「平田さん、僕らに教えてくれて、ありがとうございました。だけど櫂の将来は、潰されてなどいません。櫂は必ず起き上がる。そう信じています」悠馬は平田さんに、そう告げると、会釈をして、私を抱き抱えるように、歩き出した。私は、ゆっくり振り返り平田さんを見た。彼は深々と、私たちに頭を下げている。涙を床に落としながら……。私は、広場のベンチに腰を下ろした。「何か飲み物を買って来るから」一人になった私は、何にも考えられず、糸の切れた、操り人形のように、そこに居た。バックに入れた、携帯が、着信を知らせている。私はゆっくりと、視線を下ろした。えっ。私は急いで電話に出た。櫂は、無言だった。私も言葉が出て来ない。すると、櫂は、「姉さん……ごめん」やっと聴き取れる小さな声で、そう云った。私は涙が止まらずに、泣き続けた。「飛鳥!どうかしたのか」悠馬が、駆け寄って来た。「櫂から……」それだけが、やっとだった……。5年ぶりに見た櫂は、かなり痩せて、髪も伸びていた。5年の間に、色々なことがあったことを、櫂の痩けた頬からも伝わって来る。母は、櫂の顔を見ると、泣き崩れた。父は最初に櫂を見た時、拳で頬を殴った。力が弱くなっているのが判り、私は見ているのが辛くなった。櫂はいま、民間のプラネタリウムでスタッフの一員として、働いている。投影するプログラムの、監修や制作などの仕事で、櫂に合った仕事だと、私は思っている。櫂自身も、仕事が楽しいようだ。けれど、櫂には夢があるらしい。「秘密だよ」そう云って、教えてくれないが。「やっぱり宇宙飛行士を、諦めてなかったのかもしれないよ」「そうかもしれないね」冬の澄み切った星空は、櫂のことを、ずっと待っているのかもしれない。常にどこかを、光らせながら。 了 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 32